第804話 俺たちの仕事の価値は、その程度と見積もっているのだな。

第800話で、診療報酬と役人のテクニックについて触れたが、さらに突っ込んだ話が流れてきた。この話には、はっきりした裏付けがないので、あくまで噂、としておくが、事実であれば、「社会は我々の仕事の価値はその程度と認識しているのか」とがっくりした話である。


今回の診療報酬改定、プラス改定に見せておいて、本質的にはマイナス改定だ、ということを前回書いたが、それに関して、どこかの医師がSNSで、「財務省は『医師の給料は年間700~800万円、大企業の課長クラスが適切』と考えている」と発言したそうだ。実際問題として、「歯科医」の診療報酬を下げ、現在の歯科医の平均年収はその程度になっているらしい、ということもその発言を補強するものだ、とされていた。


超高齢化社会で、社会保障費が国の財政を圧迫しているのは明らかであり、単純にそれを減らそうとすれば、医療や介護の報酬を下げれば済むわけである。ただ、医療、介護に従事する者の多くは、健康保険や介護保険の報酬によって給料をいただいており、お金のことだけを考えれば、「医師の適切な年収は700~800万」と財務省が押し付け、それに応じて診療報酬を下げれば、懸念となっている「社会保障費」の減少が可能である。


「医は仁術」といわれたり、「医は算術」と言われたりするが、現実問題として「霞を食べて生きていける『仙人』には、医学部を卒業したくらいでは成れない」ので、ある程度の収入が必要である。


本年度から、医師の時間外労働に制限が加わり、「年間960時間」、特定の病院であっても「年間1960時間」という制限がつき、罰則が設けられた。これも極めて滑稽、「医師を守っている」かのように見せて、却って医師の過労死を認めない方向に進めていく施策である。


私が研修医だった20年ほど前から、救急を積極的に受ける「急性期病院」の深夜救急外来の多忙は変わらない、あるいは現代はそれ以上に多忙になっている。


医師の人数は変わらない、多忙な「当直業務」も変わらない。そこが変わらないのに、「医師の労働時間」を制限する、なんていう発想がおかしい。どうやっても解けない方程式である。


医師の労働時間制限に「罰則規定」がついたので、何とか帳尻を合わせなければならない。そこで登場する裏ワザが「宿日直許可」である。労働基準法には「宿直」の定義があり、「基本的にはほとんど労働する必要のない、緊急時の待機要員であり、時に起きる出来事に短時間対応すればよいだけの状態」とされている。病院によっては「寝当直」などと呼ばれ、まさしく「宿直」の定義に当てはまる「当直」であることもあるが、夜間救急などを支える病院では深夜帯も日勤帯と同様の労働量が必要である。


労働基準法では、このような深夜労働については、「労働時間」と換算し、適切な時間外、深夜帯の加算を加えた賃金を払う必要がある、とされているのだが、慣習として「医師」の給料については、「年俸制」であったり、「当直手当」などの名目で、法に規定された適切な給与を支払われてこなかった。


「宿日直許可」とは、その病院での日直、宿直の業務量が「労働基準法」上の「宿直」に相当する分量である、と「労働基準監督局」に認定してもらうことである。認定をもらえれば、「宿日直許可」として、その病院での日直や当直は「宿直」とみなされ、(1)労働時間にカウントされない、(2)休憩時間としてカウントされる、ということになる。


最近の事件であるが、医師が業務中にクモ膜下出血を発症し、死亡した。実労働時間としては、深夜労働を含め、月に100時間を超える超過勤務が数か月にわたって続いていた。遺族は「過労死」として労災認定を申請したが却下された。そのため裁判となった。


裁判では、その病院は「宿日直許可」を得ていたため、「現実は」日勤帯と同様の深夜労働を行ない、その実績もカルテ記載などの物証で遺族側が証明したにも関わらず、「宿日直許可」があるため、「その時間帯は休息していたことになる」ということで、労災が認定されなかった、ということが起きている。


先日の医師会勤務医部会でも、地域を支えている急性期病院が軒並み「宿日直許可」を得るために躍起になっている姿が明らかになった。医師の夜間帯の仕事を分単位でカウントし、純粋な労働時間だけを「労働時間」としてカウントし(つまり、病棟やERから連絡をうけて、白衣を着て、聴診器など、診察セットをもって当直室から診察室に移動する時間や、診察を終え当直室に戻るまでの時間、10分程度で結果の出る検査指示を出し、結果が出るまでの診察室での待機時間は「労働時間」としてカウントせず)、それ以外の時間はすべて「当直室で休息を取っている」という体でようやく「宿日直許可が取れた」と明言している病院もあった。まるで超能力者のトランスポーテーション能力である。


ということで、これからは「医師」の「過労死」認定は認められなくなるだろうと思っている。


さらに、加えて「医師の給料は年収700~800万が適当」と来たわけである。


計算を簡単にするために、GW、正月休みはないと仮定(お盆休みはもともと急性期病院にはない)すると、週40時間×52週+1920時間=4000時間が理論上の最大の労働時間となる。これで年収700~800万と考えると、安く考えるなら、700万円として、時給1750円、となる。


大学病院や急性期病院だけが、重症の患者さんを見ているわけではない。私は研修医時代を急性期病院で過ごしてから、いわゆる「地域のお医者さん」と呼ばれるようなところで診療をしているが、「急性肺炎、敗血症性ショック」、「尿路感染症、敗血症性ショック」、「急性閉塞性化膿性胆管炎、敗血症性ショック」、「急性心筋梗塞」、「中毒性巨大結腸症」、「小腸閉塞」、「大腸閉塞」、「上腸間膜動脈解離」、「脳底動脈解離」、「大動脈解離」、「きわめて『劇症肝炎』に近い急性B型肝炎」、「骨髄異形成症候群」、「急性骨髄性白血病」、「急性膵炎」、「高血糖高浸透圧症候群」、「糖尿病性ケトアシドーシス」、「血球貪食症候群」、「悪性リンパ腫」、「単クローン性高IgM血症(多発性骨髄腫の前駆病変)」、「卵巣嚢腫軸捻転」、「各種悪性腫瘍」、「急性喉頭蓋炎」、「扁桃周囲膿瘍」、「クループ症候群」、「咽頭後壁膿瘍」、「壊死性筋膜炎・フルニエ壊疽」などなど、緊急での対応が必要な疾患、見逃すと命を落とす疾患を持つ患者さんが通常外来や時間外外来などで私の前に現れた経験が、特に頻度の高い病態では何度もあった。普通の「街のお医者さん」でも、命にかかわる救急疾患の患者さんが来ることは頻繁ではないとはいえ、少ないとも言えない程度に来院されるわけである。


当然こういった方を見逃して死亡された場合には、「業務上過失致死」などの罪名で捜査を受けるわけである。


常に患者さんの命を守ることに集中し、医療ミスや医療事故(「医療ミス」がなくても「医療事故」は起きる)が起きないように細心の注意を図り、命にかかわる患者さんが来た場合には、自分のところでできる最大限の救命処置を行ないながら、高次の医療機関につなげているわけである。


その報酬が時給1750円、と財務省は見ているわけである。


申し訳ないが、そのような金額でこのような重責を担う、となれば、「割に合わない」と思うのが人情だろう。今、医学部を志望する人の中で、「お金が儲かるから、生活が安定し、食いっぱぐれがないから」という志望動機の人は少数派ではあるが、それでも、本当にきっつい医学部の6年間を過ごし、精神を病むほどの勉強量をこなして医師国家試験を受け、研修医として厳しいトレーニングを積んだ後の価値が「時給1750円」であれば、「国内」で医師をする人は極端に減るだろう。現在でも、医師の給料はアメリカでは日本の5倍以上はあり、脳神経外科などでは10倍近い金額を稼いでいる。多くの医学生、本気になれば「外国」で「医師」を行なえるだけの語学力は身に付けられるだけのポテンシャルを持っているわけである。


勤務医の現状としては、医師の募集サイトを見ると、都会では1500万円程度がボリュームゾーンである(もちろん、年齢や持っている資格、経歴によって変わるが)。よしんばこの金額だとしても、時給が2倍になるだけなので、時給3000円ちょっと、ということになる。それでも、その金額が高いか安いか、仕事の質と勘案すれば、どんなものだろうか?


仮に医師の年収が700~800万円、と財務省が言うのであれば、「故意ではない「医療ミス(いわゆる「ヒューマンエラー」に起因するもの)」については医療提供者は免責(つまり、「業務上過失致死傷」を医療現場に課さない)、医療従事者へのハラスメント行為は速やかに公権力の介入を行なう、「『医療費不払い』については「窃盗罪」を適応する(現在では、「医療費不払い」を罰する罰則規定が存在しない。「万引き」は「窃盗罪」になるにもかかわらず、だ)。もちろん、「宿日直許可」の判断については厳格化し、「救急告示病院」への「宿日直許可」は行なわない、など、医療従事者が「医療裁判」であったり、「ペイシャント・ハラスメント」に悩むことなく、労働に対する正当な報酬を得る、ということを保証してもらわなければ、おそらく、「日本の医師」はいなくなるか、質の悪い医療を提供せざるを得なくなるだろう。


医師や教師などの知識人をことごとく殺してしまったカンボジアのポル・ポト政権下がどんな社会だったのかを考えれば、エッセンシャルワーカーの存在がどれだけ重要か分かるだろう。


私が最も働いていた時は週に100時間以上の労働(週2回当直(一応宿直程度の仕事だったが)、当直明け通常勤務、週休半日)を行なっており、年俸は1600万に届かない程度だった。日本内科学会 総合内科専門医、日本プライマリ・ケア学会 プライマリ・ケア認定医・指導医、日本医師会認定産業医の資格を持ち、毎日午前・午後、夜の外来と、数人の入院患者さん、20人程度の訪問診療の患者さんを抱え、外来は小児科、内科と、それに付随する小外科を担当、一時は当直時に事務当直が不在となったため、事務当直・医師当直兼任、という状態で計算すると、時給3000円程度となった。


「人はパンのみに生きるにあらず」と聖書に書いてあったように思うが、逆に「パンなし」では生きてはいけない。時給3000円が私の仕事に対して高いのか、安いのか、自分自身では評価しづらいのだが、どんなものなのだろうか?


ただ、「医師の年収は700~800万でよい」と考えている財務官僚がいるとしたら、「あなたもその年収で働いてみればよい」と言いたいと感じた次第である。


あまり給料の話を書くと、なんとなく嫌らしく感じて、今、少し自己嫌悪である。ただ、「それはあんまりだ」と思ったので投稿することにした。

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