第801話 辻褄合わせ、変な話だ。

もう1か月ほど前だが、市医師会の勤務医部会総会に参加した。


今、勤務医の労働環境問題で、病院側も含めて頭を悩ませていることが「医師の労働時間上限制」である。違反には「罰則」もある、ということで各病院とも必死である。逆に「罰則」がなければ、これほど真剣に考えてもいないだろう、と少し冷たい視線で眺めている。


通常の労働者は、「基本給」に「各種手当」がつき、労働基準法では、時間外勤務、深夜勤務にはそれぞれ既定の割り増し分を加えた分の賃金を支払わなければならないことになっている。


ところが、「医師の給料」が「額面」では他の職種に比べて「高給」となっているため、賃金体制が「いびつ」になっていることがほとんどである。


研修を受けた病院では、給与体系としては、「基本給」は他の職員と同じ金額であった。そこに「職務手当」という形で金額が上乗せされ、「医師の給与」として、他の病院と同程度~ちょっと少な目の月給、となる。勤怠については、タイムカードで管理されていたが、各診療科で集合時間、業務開始時間は異なっており、いずれも一般職員の勤務開始時刻よりも1~2時間ほど早く設定されていた。しかし、そこに「時間外」の賃金支払いは発生しなかった。「残業」についても同様である。当然のことながら、一般職員の規定された「終業時刻」に仕事が終了するなんてことはあり得ない。「夜診」の担当であれば、「夜診手当」が回数に応じて支払われていたが、そうでなければ、「時間外」とは認められなかった。同じ医療職であっても、看護師、介護士などが、きっちり「早出手当」「残業手当」がついていたこととは対照的である。


「賞与」は当然「基本給」で計算されるので、それほど大きな金額になるわけではない。


そして一番の問題は、「当直」勤務であった。「宿直」の法的規定は、「基本は休憩しており、まれに『簡単な出来事』で呼び出される」ようなものとされている。しかし地域の救急医療を担う急性期病院のERでは、とてもではないがそんな勤務はあり得ない。一晩で7~8本鳴るホットライン、もちろん、時間外外来に普通に受付をして受診される方もいる。ERでは重症度を問わず受け入れるので、忙しいときには本当にトイレに行く暇もない。私の所属していた病院では、医師の当直帯は16:30~翌7:30となっており、ERには少なくとも3人の医師、3人の看護師が当直帯に割り当てられていたが、全員が一睡もできずに「交代時刻」を迎えることも珍しくはなかったほどである。当然ながら、このような勤務は「宿直」ではなく「夜勤(夜間の通常勤務)」」ととらえるべきであり、正規の勤務枠を超えたものであれば、時間外手当、深夜勤務手当をつけなければならないはずである。


しかし残念ながら、「当直帯」あるいは「日勤帯」を1コマとして数え、月にこなした日当直のコマ数に合わせて、「当直手当」(初期研修医 1万円/コマ、後期研修1年目 2万円/コマ、後期研修2年次以降 2.5万円/コマ)が支払われるのみであった。ちなみにこの「当直手当」は、各診療科の当直医師も同様の金額であった。各診療科の当直には、部長先生レベルも入られ、内科では院長、副院長も当直に入られていたのだが、院長、副院長も「当直手当」は同額であった(そういう点では平等)。


前職場の診療所では、完全に「年俸制」であった。なので、いくら残業をしても、当直の回数が増えても、全く給料には反映しない。一時は、ひどい話で、私の当直の日は、私が事務当直も兼任していた(一人二役!)が、それでも給料が増えることはなかった。逆にここまで徹底するとスッキリする。前職場の当直は確かに「宿直」の定義に当てはまるものだったので、それはそれでよいのだが、「時間外」手当てがないのはつらかった。


現職場は、一応は年俸制となっているが、一応定時勤務を意識されており、そこを意識することは少ない。ただ、既定の勤務時間から遅刻してしまうと「減給」となってしまい、「時間外」は加算されないにもかかわらず「遅刻」は「減俸」というこれまた訳の分からないことになっている。退職した同僚医師は、大雪が降っている日に、道路が非常に混雑しており、1時間早く自宅を出発したにもかかわらず、12分遅刻してしまった。そのため、給与が引かれてしまい、「『年俸制』というなら、これを減額したらあかんやろ。残業をしても『年俸制』だから、といって時間外手当は払わず、遅刻したら『遅刻した』といって減給している。筋が通らないやろ!」と激怒して退職された。当院の当直帯、日勤帯は労働基準法に規定されている「宿直」に適合するような仕事量なので、それはそれでよい。


閑話休題。問題は、私が研修をした病院のように、実質「宿直」とは言えない深夜帯の勤務をどうするか、ということである。


急性期病院の働き方も、現実として日勤を行ない、そのまま深夜勤務に突入、深夜勤務開けは、また通常業務、という形が、私が経験したように現実である。先に述べたように急性期病院の深夜勤務はとても「宿直」とは言えないほどの業務量である。本来なら「時間外勤務」とすべきであるが、そうすると、すぐに年間の限度である、「年間960時間」を超えてしまう。最大の「年間1960時間」もあっという間である。


ということで、地域の救急医療を担う「急性期病院」に所属する医師の勤務時間をどうするか、というのが急性期病院の抱える悩みである。


会では、各病院の対応策が報告されていたが、各病院とも「宿日直許可」を得る、という方針としていた。「その病院での宿直、日直は『いわゆる宿直、日直』というレベルの労働量ですよ」と申請し、深夜勤務を「時間外労働」としない」ということであった。


病院も必死だが、必死も一定のレベルを超えると「滑稽」となる。とある急性期病院の事例だが、何度か厚生局に申請を出したが却下されたそうだ。なので、実際の夜間の医師の動きを分単位で計測し、それ以外の時間をすべて「当直室で休憩」とすることで、「宿日直許可」を得られた、ということだった。


目をつぶったからといってすぐに眠れるわけではない。診療行為は当然かなり頭を使うので、診療所時代でも、夜中に呼び出されると、もう寝付けない。呼び出しがなくても、どこかで「呼ばれたらすぐ起きなければならない」と緊張しているのだろう、ぐっすりと眠れる、というわけではないのだ。たとえ「宿直」であったとしても、自宅で眠るのとは眠りの質が異なる。「医師が呼び出される」ような状態は常に「緊急事態」なので、目覚めればすぐに頭をフル回転させなければならないのである。眠ってはいても、常に臨戦態勢だ。


「医師の過重労働」を改善するために時間外勤務の条件を設けたのに、病院側は必死になって抜け穴を通る。到底「宿直」とは言えないような労働をしている病院が「宿直」として扱われている。


先日、医師の過労死の記事を新聞で読んだが、明らかに「労働」の実績があるのに、病院側が「宿日直許可」を出していたため、「勤務実態はなかった」ことにされ、労災が認定されなかった、という事例が紹介されていた。


せっかく制度を作ったのに、その制度のために却って、「過労死認定」がされなくなる事態が発生しているのだ。大変困ったことに、却って医師側にとって不利な状況が生まれている。本末転倒とはこのことだ。


根本の原因が本質的に改善されていないのに、無理に労働時間の上限をつけても、結局は抜け道ができてしまう。現実問題として、そうしなければ深夜帯の救急医療が成り立たないのである。


変な話である。

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