第786話 今頃慌てても…ねぇ。

NHKの公式サイトの中「サクサク経済Q&A」から


「博士人材が足りない」との表題でページを作っていたが、あまりの「他人事」っぷりに唖然、愕然としてしまった。NHKが悪いのではなく、調査を行なった「経団連」に対してである。


NHKのサイトでは、「日本は、博士号を持つ高度な人材の確保で大きな後れを取っている」として取り上げていた。経団連の調査では、従業員1000人以上の企業120社にアンケートを取ったところ、博士号を持つ人材を全く採用していない企業が20%以上、今後採用を増やしていく方針である企業も20%程度、という結果だったそうだ。


調査を担当した経団連の常務理事は「産学官が連携し、それぞれの立場で役割を果たさないと「博士人材」の活用は進まない」とし、調査結果を踏まえて、経団連は「教育は国家百年の計」と表現していた、とのことだ。


今更、何を言っているのだろうか?全くもって理解に苦しむのだが…。


私が大学院生だったのは、もう30年近く前なので、話は変わっているかもしれないが、当時から、「就職するなら『修士』が一番有利」というのは「常識」だった。企業は「博士号を持つ人を」、「歳をとっている、融通が利かない」と言って、受け入れないことは周知の事実だったからである。


ここからの議論は「理系」で、「化学」や「分子生物学」など、すそ野の広い分野での「博士号を有する人」として話をさせてほしいが、企業の持つような「融通の利かなさ」などというものは「企業側の幻想」であった。「すそ野の広い分野」の「博士」であれば、その分野で「広く活躍できる」だけの力を持っているのである。


私は生物物理学、あるいは分子生物学を主とする研究室に所属していた。私のボスは、「教室の仕事」としては「マラリアワクチンの開発、マラリア原虫の基礎研究」であり、その分野でしっかり業績を出していたが、学士~博士までの研究テーマは「染色体の相同組み換え」という、マラリアとは全く関係のない仕事をされていた。


たまたまポスドク(博士課程修了、博士号取得後、大学のポストにつかない、期間の定められた仕事をする人、その仕事の枠)で行ったアメリカの研究室で、「マラリア原虫の増殖」を抑制するモノクローナル抗体を見つけたことで、ボスの研究は大きく方向性が変わったのである。


私の先輩で、国立の研究施設の教授をされている方も、ボスの余業である「染色体の相同組み換え」で博士号を取られたが、スイスのポスドクでX線構造解析、という全然別のテーマを与えられ、そこで実績を出して「教授」というポストにつかれた。


そんなことは枚挙にいとまがなく、博士論文とは全然違う仕事で成果を出された人は多いのである。という事は、「融通が利かない」というのは企業の勝手な思い込みで、結局博士号取得後、自分の仕事のテーマを変えることは珍しくはなく、逆に多少のテーマ変更には十分ついて行けるだけの見識と技術を持っているのが「博士」という人材なのである。


その一方で、おそらく1990年代、バブル崩壊後もしばらくは、自分の企業の従業員を研究室に送り込んで、企業側で「博士号」を取らせる、という事も行なわれていたようである。私の研究室にはいなかったが、友人の研究室には、有名な企業から社員が「博士号取得」のために派遣されていたり、私の学部時代の同級生が、修士号を持って企業に就職後、企業内での仕事を論文にまとめ、「論文博士」という形で博士号を取っていた。


2010~2020年代の、企業内での人材育成がどうなっていたのかは知らないが、バブル崩壊直後は、古き良き時代の名残で、「自社で人材を育てる」気風が企業にも残っていたのかもしれない。


それはさておき、1990年代半ばに「大学院重点化構想」を国が打ち出し、国を挙げて、大学院生を育てていく、という方針で大学院改革を進めていたが、「修士」の人材は企業が採用してくれても「博士」の人材は企業側が敬遠する、という流れは消えず、結局「大学院」に進学する人たちそのものが(おそらく少子高齢化とも相まって)増えないままの日本となっているようだ。


今頃になって「国家百年の計」なんて言っているようでは遅いのである。そんなことは私が大学院に進学する前からわかっていたことである。


バブルのころは日本について「政治は三流、経済は一流」なんてことがまことしやかに言われていたが、振り返ってみれば、なんてことはない。「政治は三流、経営者も三流、国民が一流」だっただけであった。


なんてことを思った次第である。

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