第785話 1日休むと、次の日が大変+COVID-19クラスター(3)(激動の土曜日シリーズ)

病棟に向かう階段の途中で、その日の病棟リーダー看護師さんとすれ違い、


「先生、昼一番で検査の指示のあった方、今から検体を提出します」

「ありがとうございます。今、外来が終わったところなので、このまま病棟に向かいます」


とすれ違いざまに言葉を交わし、病棟のNs.ステーションに外来グッズを置いて、まず検査データの確認を行なった。


昨日の昼から発熱し始めたSさんは、今、看護師さんが検体を下ろしたところである。不穏になっていたMさんは、白血球の増多はないが、CRPは22を超えていた。前立腺がんの多発転移、終末期なので、前回の採血よりも細胞の新陳代謝を表すLDH、骨の代謝や胆汁うっ滞を反映するALPは上昇していた。「痰が多いです」と当直Ns.から報告を受けた、2日前の朝に一時的に発熱したUさんは、血液検査には問題はなさそうだった。そしてCOVID-19はMさん、Uさんとも陽性だった。


Mさんの病室前で、ガウンや手袋をつけて(私は外来中もN95マスクとフェイスシールドをつけているので、それは触らずとも大丈夫)、病室に入った。


「Mさん、調子はどうですか?」


といつものように声をかけたが、Mさんの様子が朝回診とは明らかに異なることにびっくりした。


いつもはしっかりした口調で、ご自身の困っていることなどをしっかり言語化できていたMさん。今朝も、せん妄で訳の分からないことをおっしゃってはいたが、私の目を見て、多弁でぺらぺらとしゃべっていたMさんだったが、今、自分の前にいるMさんは、私の声掛けにも目を動かさず、天井の一点を見つめたまま目を動かさない(動かせない?)状態で、声掛けにも極めて反応が乏しい。「名前は何ですか?」「お年はおいくつですか?」という問いかけに単語でしか答えられなくなってしまった.


単純なCOVID-19では説明できない。CRPが高いから髄膜炎か?そう考えても、頭痛も発熱もない、となれば考えづらい。がん細胞は全身に広がっているので、これまでは無症状であったが、がん性髄膜症や微小脳転移が多発していて、感染を契機に一気に症状が出始めたのか、いずれにしてもわかることは「これだけ急速に状態が悪化しているならば、いつ寿命が果ててもおかしくない」ということである。


Uさんは、特にご様子は変わらず、発熱もなく穏やかな表情をされていた。2日前の発症で、喀痰量は多いものの食事も水分も取れており、活気もある。Uさんについては、何とかCOVID-19を乗り越えることができそうだと考えた。


Ns.ステーションに戻り、Mさん、Uさんのご家族に急いで連絡を取った。Uさんのご家族には、Uさんが昨晩、痰の量が多かったため、検査をしたところCOVID-19に感染していることが分かったこと、ご本人の状態は今のところ安定しており、注意しながら経過を診ていく旨お伝えした。


Mさんの奥様には、2日前にお会いし、病状をお話ししたところである。Mさんの奥様にも連絡し、病状を説明した。発熱や咳などはなかったが、昨晩はこれまで見られなかった「せん妄」がかなりひどく、今朝も「訳の分からないこと」をおっしゃられていたこと、高齢者で急に「せん妄」が見られた場合には、感染症を来している可能性が高いので、血液検査などを行なったところ、COVID-19の感染、CRPの高度上昇が見られたこと、お昼過ぎに一度意識レベルの低下があったが、その時点では私が外来中のため診察に向かえず、外来診察終了後にMさんのところに行ったところ、朝は私の目を見て、訳の分からない内容ながら、自発的にしっかりとした口調で話されていたのが、声をかけても目を合わせることもできず、発語も、単語レベルとなっていること、状態が急激に悪化しており、いつ何が起きてもおかしくない状態である、ということをお伝えした。


ご家族への電話を終えて、それぞれの患者さんの指示をカルテに書こうとしたところで、検査室から連絡があり、先ほど検体を持ってきてもらったSさんもCOVID-19陽性だった、とのことだった。Sさんは当院に来られてから4日ほどだが、COVID-19患者さんが一人も出ていないお部屋で過ごされており、Sさんの感染経路は不明であるが、やはり院内クラスターで感染した可能性が高いと判断した。


カルテを書く暇もなく、Sさんのご家族に電話連絡。昨夕から発熱が見られ、先ほど検査をしたところ、COVID-19に感染していることが分かったこと、抗ウイルス薬を使い、経過を診ていくことをお伝えした(朝の時点で薬剤課に、Sさんの内服薬の中にパキロビットパック禁忌薬の有無の確認をお願いしており、併用禁忌薬はないことを確認済)。


そして、3人のカルテ記載と、指示を出すことにした。一番悩ましいのはやはりMさんである。朝の時点では食事もとれており、麻薬の内服もできた。しかし、今の状態を見ると、食事も内服薬も取れない可能性が高いと考えた。飲めなくなると困る薬の代表が「麻薬」である。悪性腫瘍の終末期に疼痛コントロール目的で、医療者の管理下に麻薬を使用する場合には、いわゆる麻薬中毒となることはないのだが、使用していた麻薬を急に中止してしまうと「退薬症状」(「禁断症状」と同じことだが、表現は異なる)に患者さんは襲われる。麻薬の「退薬症状」は「自律神経の嵐」と呼ばれるほど激烈で、退薬症状そのもので命を落とすこともある。なので、麻薬を何としても継続させなければならない。


最近は「緩和ケア」領域の進歩で、麻薬製剤も様々な形態のものが出ている。内服ができなくなった患者さんでは、貼付薬に変更することが多い。なので、麻薬の換算表を駆使して、現行の内服量と同程度の効力が期待できる貼付薬の量を計算した。薬剤課に貼付用麻薬の院内在庫を確認してもらうと、適切な量のものが少なくとも1週間分はあることが分かった。なので大急ぎで麻薬の指示を変更し、CRP高値については、発熱、頭痛はないものの「髄膜炎」をカバーする形で抗生剤の点滴指示を出した。


Uさんは、血液検査では炎症反応の増加はなく、「細菌性肺炎」を現時点で発症している可能性は低いと思われたが、喀痰は膿性痰だった、とのことと喀痰の誤嚥を考え、去痰剤、抗生剤を処方した。


Sさんも血液検査では炎症反応の上昇は見られず、もともと腎機能の低下がある方だったので、用量を調整し、パキロビットパックを処方した。


一度に3人のCOVID-19患者さんが発生したので、病棟も大忙し。感染者はこの部屋に集めて、同室者はここで固めて、というように病棟全体で、患者さんのベッドのお引越し大会が始まった。みんなバタバタである。


指示を書き、カルテを書いていると、入院患者さんの窓口にもなっている地域連携室から、私に電話がかかってきた。Mさんの奥さんが、状態が悪いなら、少しだけでもいいから合わせてほしいと希望しておられる、とのことだった。Mさんの奥さんも、闘病中であり、COVID-19感染は命にかかわる。純粋に医学的なことを考えると「面会謝絶」なのだろうが、家族の気持ちを考えると、そう割り切れるものでもない。病棟の今日の責任者である主任さんにも、「たとえ自分が感染したとしても構わないので、一目会わせてほしい」と希望されている、と家族の意向を伝え、奥様から、もう一度お話を聞かせてほしい、とのことだったので、外来で奥様に再度病状を説明した。


「先生、何とか夫に会えないでしょうか」

「今、病棟や感染対策委員会と協議中ですが、なるだけ会うことができるように動いてもらっています。患者さんが本日だけで3人も出ているので、病棟の方も今、てんやわんやの大騒ぎ中です。少し時間をください」


とお伝えし、外来で待ってもらうこととした。


そんなこんなでバタバタし、ひとまずカルテ記載、薬の変更、点滴の指示などを終え、病棟仕事を終えた。


そして、自分の席に戻ると机の上には、朝にはなかった山積みのカルテが。


今日は土曜日なので、書類はさっさと書いてプリントアウトしないと、事務室が閉まってしまえば書類が出せなくなってしまう。なので大急ぎで山のようなカルテを処理し、たくさんの書類を書き上げた。


山のような書類の下には、火曜日に入院予定の方のカルテが隠れていた。私が日、月とお休みなので、今書かなければ、火曜日の入院に間に合わない。なので、これまた大急ぎで入院指示を書きあげた。すべてを終えて、時計を見てみると、時刻は16時を回っていた。まだお昼ご飯を食べていないのに、この時間である。


せっかく妻が作ってくれたお弁当なので、16時過ぎから昼食を開始した。お弁当を食べている最中に、当直の先生がお見えになられた。もう昼ご飯を食べているんだか、夕食を食べているのだか、よくわからない状態である。


そんなこんなで、勤務終了の17時を迎えた。昼食を16時に食べる、なんてことは、研修医時代は珍しいことではなかったが、ここ最近はなかったことである。


いろいろと苦い思いのする週末の一日ではあったが、とりあえず1週間は乗り切った。Mさんは残念ながら、予後は厳しいと思う。悪性腫瘍の終末期の方は、亡くなる直前まで比較的元気であるが、いったん崩れ始めたら、一気に悪くなる。つらいところである。

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