第782話 アナフィラキシーショックと見るか?
過日の外来、12時の受付時間も過ぎ、
「もうすぐ終わりかなぁ…」
なんて考えていた。ただ、外来の椅子に座るたびに私の心をよぎる、いわゆる「マーフィーの法則」がある。それは、
「受付最後の患者さんは重症」
というものである。そんなことを思いながら、一人一人患者さんを診察していった。
「先生、初診の方です」
とクラークさんが次のカルテを渡してくれた。初診の方は原則として問診票を受付で書いてくれている。問診票を見てみると主訴のところには
「飲んではいけない薬を飲んでしまったようです」
と書いてあった。カルテの表表紙を見てみると
「サワシリン禁忌」
と書いてあった。サワシリンは一般名はアモキシシリンと呼ばれる、ペニシリン系でよく使われる薬である。カルテには、看護師さんが問診を取ってくれていた。
前日に歯科で治療を受け、内服薬として「アモキシシリン、トランサミン、セルベックス」を処方され、昨晩その薬を飲んで寝たそうだ。午前4時ころから全身のむくみ、かゆみが出てきた。熱も出てきたので受診、と書いてあった。
「まずいなぁ、ペニシリンによるアレルギーだよなぁ」
と思いながら、バイタルサインを確認した。体温 38.0℃、血圧 104/58、脈拍 124/分、SpO2 98%とあった。バイタルサインを確認後、患者さんを診察室に呼び込んだ。
「先生、私、どうも飲んだらあかん薬を飲んでしもた様ですわ。息は苦しくないけど、熱が出ていて、身体もだるいですわ」
とお元気そうに話しかけてこられた。
「なるほど、まず胸の音を確認させてくださいね」
と胸部を聴診した。胸部には喘鳴、wheezeは聞こえず、肺胞呼吸音も良好に聞こえた。お身体を診せてもらうと、全身の紅皮症、四肢に圧痕を伴わない浮腫が著明であった。四肢に冷感はなかった。
診察時間終了が近いときには、「人間」としての傾向性として、「早く済ませよう」という意識が働いてしまう。私も少し心が揺れた。
「この人、アナフィラキシーショックとして本気で治療しようか?強めの薬剤性アレルギーとして、内服ステロイドと抗ヒスタミンを処方して経過を見ようか?」
と一瞬逡巡した。見た目は元気で、内服薬で症状コントロールできそうな印象を受けた、ということもあった。さらに、午前4時から症状が出ているのに、なぜ受付時間が11:58になってんねん、と結構「もやっ」とした感情もあった。
ただ、もう一度冷静にご本人の様子とバイタルサインを見直した。
「喘鳴はないが、全身の皮膚は真っ赤になってむくんでいる。発熱の原因はよくわからないが、本人の見た目は元気そうだけど、それに引きずられない方がいいなぁ。バイタルサインを見ると、収縮期血圧の値よりも心拍数が増えているよなぁ。発熱による頻拍と見るか、Shock index>1と考えてショックバイタルと見るか…」
と考えた。ただ、困ったときは「患者さんの命を守る」ことが優先である。アナフィラキシーショックであれば、アドレナリンを使用しないことで明らかに死亡リスクは上昇する。この患者さんを「アナフィラキシーショック」として対応したとしても、「過剰診察」にはならないし、患者さんの状態を改善することにつながるだろう。
と考えれば、「アナフィラキシーショック」として対応するのが適切である、と判断した。患者さんに、
「確かに歯医者さんで処方されている薬の中で、抗生物質は、うちのカルテでは『使ってはいけない』と書いてあります。ペニシリン系抗生剤で誘発された『アナフィラキシーショック』という、激しいアレルギーの状態で、命にかかわることもあります。お時間いただきますが、点滴でしっかり治療していきましょう。点滴室で横になって待っててもらえますか?横になると息苦しく感じるようなら、座ったままでいてくださいね」
と伝えた。そして、カルテに点滴薬の指示を記載すると同時に口頭でも指示を伝えた。
「すみません。アドレナリン 0.3ml用意してください。これは私が注射します。1号液500mlにソル・コーテフ100mgを溶解して、2時間で点滴してください。側管から、生食100ml+レスタミン1Aを10分で、その次に生食100ml+ファモチジン1Aを10分で点滴してください。点滴路を確保するときに、院内緊急採血をとってください」
とお願いした。最新のガイドラインでは、アナフィラキシーの場合、成人ではアドレナリン 0.5mlとなっているが、かつてのガイドラインでは、0.3-0.5mlとなっていたこと、年齢が60台であり、高容量のアドレナリンで頻拍性不整脈のリスクが上がることを考えての減量とした。
アドレナリン 0.3mlの入ったシリンジと、アルコール綿をもって患者さんのところに向かった。
「この薬が、今の状態を改善させる「カギ」になる薬です。太ももに注射するので、少しズボンを緩めてもらえますか?」
「はい、わかりました」
と患者さんはズボンをずらして、太ももの部分を出してくれた。その部位も真っ赤になっていた。アルコール綿で消毒し、大腿広筋にアドレナリン 0.3mlを筋肉注射した。
「まず一番大事な薬の注射をしました。その他の薬は今準備しているので、もう少し待っててくださいね」
と伝え、診察室のデスクに戻り、カルテを記入した。そのあと、残っていた2名を診察し、オーダーした血液検査を待った。
アドレナリンを注射してから30分ほど経った頃だろうか、血液検査の結果が返ってきた。白血球は13800,好中球が87%、好酸球は5%とあまり好酸球は増えていない。CRPは0.38と高くはない。その他の緊急項目は問題なしだった。
アナフィラキシーで高熱が出るか、と問われると悩ましい。何例もアナフィラキシーショックの患者さんの対応をしたが、「発熱」の印象はなかった。なので、発熱は、もしかしたら「歯科的問題」に起因するかもしれない。
患者さんに結果を説明するため、点滴室を覗いた。
「先生、おかげさまで、何か身体は楽になってきました」
「それは良かったです。ホッとしました。血液検査ですが、ばい菌と戦う「白血球」という細胞が増えています。それ以外はあまり問題はないのですが、今回の症状で「発熱」だけは、薬のアレルギーとは関係のない症状かもしれません。点滴が終わって、体調が落ち着いていれば帰宅してもらって結構です。薬は、アレルギーのお薬(抗ヒスタミン薬)を3日分、ステロイドの薬は、今日の夜と、明日の朝の2回飲んでおしまいでいいでしょう。アレルギーの出た抗生物質とは全く構造の異なる抗生物質は5日分、熱さましの頓服も出しておきます。具合が悪いときには、私の外来でなくてもいいので、我慢せずに受診してくださいね」
「先生、ありがとうございました」
と患者さんとお話しし、お話の通り、薬を処方し、外来看護師さんに、点滴終了後、バイタルサインと本人の様子を確認し、どちらも問題なければ抜針帰宅可、と伝えた。
その後、病棟仕事を少しして、遅めの昼食を取った。その日は各病棟でのカンファレンスの日だったが、カンファレンス中、外来から連絡があった。
「先生、患者さん、バイタルも問題なく、『すごく楽になりました』とおっしゃっておられました。抜針帰宅としたので報告です」
「わかりました。ありがとうございました」
と返答した。食事もとって、少し落ち着いた頭で考えてみると、症例報告でアドレナリン未使用のアナフィラキシー患者さんで、その後急変した、という事例をいくつか読んだ記憶があったことを思い出した。
患者さんには、それぞれ都合があってのことだと思うが、「ただ事ではない」と思われたのであれば、診察終了ギリギリに来るのは止めてほしいと思う。私の勝手な言い分かもしれないが、実際問題として、医師も看護師も疲れており、診療終了ギリギリ、という時間帯は「医療ミス、医療事故の起きやすい時間帯」という報告が出ているのである。今回は安易な方に流されず、きっちりとなすべきことをしてよかった、と思った次第である。
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