第778話 前もって、確認していてよかった。(その1)

我が家の長男君、高校3年生で今、受験の真っ最中である。「新生児仮死」の状態で吸引分娩で引きずり出され、ハラハラドキドキしたのがついこの前のように感じているが、もう18年も昔の話になってしまったことに、時の経つことの速さを実感する。


彼の幼稚園卒園式には、仕事を休んで夫婦2人で参加した。卒園証書授与式では一人一人、将来の夢を宣言する、ということになっていたようだ。


「サッカー選手になりたいです」という男の子が多かったこと、その一方で「弁護士になりたい」など、「もうこの時点で将来を見据えているのか」と思わせることを言う子供もいたことに驚いた。女の子も、「パティシエ」や「お花屋さん」など華やかなイメージのある夢を言う子がいる一方で、「医師になりたい」「弁護士になりたい」など、高学歴を要する夢を語る子もいたことを覚えている。


私自身は幼稚園のころは、「阪急電車の運転手」が一つの夢だった。もう一つは「お医者さんになること」。後者の夢は、当時の私と、私を取り巻く環境からすれば、全くの夢物語だったのだが、今でも、私がそのような職業に就くことができたことは「夢ではないか」と思ったりする。

さて、わが息子。「いったいどんな夢を持っているのだろう?」と、妻とドキドキしながら、息子の番を待っていた。


彼の口からは、「サッカー選手になりたいです!」との言葉が出た。と同時に、私たち夫婦は、保護者席から転げ落ちそうになった。まるで吉本新喜劇のようであるが、それほど彼の言葉は私たち夫婦には衝撃だった。というのも、我が家はサッカーとは「無縁」の生活を送っていたからだ。


私が小中学生を送った地域は、サッカーが盛んだった。サッカー選手の本田圭佑氏が「中学時代の師」と仰ぐ「田中先生」は、私たちが中学生のころは、私たちの中学の体育教師をされていた。もちろんサッカー部の顧問でもあり、毎週金曜日には近隣の小学校から希望者を募り「サッカースクール」と称して、中学サッカー部の練習と並行して小学生にもサッカーを教えておられた。私の通っていた小学校は、その中学校の隣だったので、その「サッカースクール」に参加していたクラスメートも多かった。


そのような雰囲気なので、当然学年、学校全体で「サッカー熱」は上がるのが道理である。ただ、私は「壊滅的」に「運動」が苦手だったこと、「身体を動かす」よりも「学級文庫の本を読みたい」子供だったのである。当然そのような子供は極めて少数派(というか、私一人くらい)であった。


「悪しき民主主義」は「数の暴力」と言われる。私にとってはそのとおり、「数の暴力」で、「昼休みは身体を動かすため、みんなでサッカーをしましょう」というルールができてしまった。


サッカーをしたくない私が、昼休みに読書をすると、多くの場合、授業を終えてからのホームルーム、通称「終わりの会」で、


「今日は保谷君がサッカーに来ませんでした。クラスのルールに違反しています」


という指摘を受けた。結局「ルールを破ってごめんなさい」と謝罪する羽目になる。今ではこんなことは「人権問題」として大きな問題となるのだが、何せ「昭和50年代」、それが通用した時代である。


かといって、昼休みにサッカーに参加しても、ぼーっと突っ立っているだけで何の役にも立たない。宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」で言うところの「タダノデクノボウ」である。ボールに絡みに行くつもりもなければ、技術もない。ゴールポストに寄りかかって、同じような立場の友人と馬鹿話をして、目の前にボールが近づいてくれば、敵陣にボールを蹴り返すくらいのものである。


まぁ、そんなわけで、私はそれほどサッカーが好きではない。野球やソフトボールとて同様である。


そんな親であり、また、我が家は基本的には「テレビを見ない」生活をしていたので、「サッカー」の中継番組を見るわけでもなく、Jリーグの試合を見に行くでもなく、子供のために、ボールは用意していたが、玉蹴りを楽しんでいる息子の姿を見たこともなかった。


なので、息子の宣言に、夫婦そろってズッこけたわけである。「君の生活のどこに『サッカー』があったのだ?」と。


夫婦ともども、なぜ彼がそんなことを言ったのか、疑問と興味で一杯になった。卒園式から帰ってきた後、長男君に聞いてみた。


「ほんまは、ほかになりたいものがあるんやけど、それを言ったら笑われる、と思ったから、みんなに合わせてん」

「ほんなら、別に『サッカー選手』じゃなくても、お父さんがしている『お医者さんになりたい』て言うたらよかったのに。それでも様になったと思うで?」

「それはいや~!」

「(泣)」


なんてやり取りがあったことを覚えている。それから年月が経ち、どういうわけか、卒園式では「いや~!」と言っていた医師になろうと努力中の長男君である。


国公立、私立を問わず、医学部医学科の入学試験には必ず「面接」がついてくる。なので当然面接対策も必要である。


「なぁ、医学部の面接試験、何を聞かれるかはわからへんけど、『なぜ医師になりたいか』ということは絶対聞かれるから、ここだけはしっかり考えて、固めておきや。ここが曖昧やいい加減やったら、いくら試験の得点が良くても、落とされることもあるで。あと、医学的倫理観を問われる問題については、考えといたほうがええで。」


と長男にはアドバイスをしておいた。が、あまり真剣には考えていないようだった。


そして、共通テストは、目標としていた得点をゲットし、次に私立大学医学部の受験が目前に迫っていた。無事に筆記試験は合格。そして翌日を面接試験日に控えたとある日、妻が、「一応、模擬テスト」という形で、面接の練習をしておこうか、と長男君に提案した。


次に続く。

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