第777話 年ごろ思ひつること…

吉田兼好の「徒然草」の中でも有名な「仁和寺の法師」の逸話で「先達はあらまほしけれ」と結論付けられた文章である。仁和寺のとある法師が、長年、石清水八幡宮に参詣したい、と考えていた、ということから話が始まる。


話の内容は、有名なので割愛させてもらうが、今でも「仁和寺」から「石清水八幡宮」まで向かうのはそれなりに遠い。嵐電を使うか、もう少し足を延ばしてJR嵯峨野線まで向かい、嵐電なら「大宮」から阪急で河原町まで向かい、鴨川を渡って京阪の祇園四条から。JR嵯峨野線なら、京都駅でJR奈良線に乗り換え東福寺で京阪に乗り換えて、「石清水八幡宮」まで向かう、ということになるだろう。これだけでも結構な時間である。「徒歩にて詣でけむ」ということなので、どこかで1泊するか、朝早くからの強行軍であろう。


閑話休題。私が医学生のころ、制度改革があり、私たちの学年から、「初期研修必修化」と「マッチング制度」が導入されることが決まった。この「マッチング制度」は「医学生」側が、自身が研修を受けたい病院のいわゆる「入社試験」を受け、行きたい順にリストを作って、厚生労働省の外郭団体である「マッチング協議会」にそのリストを(PCで)提出する。


病院側は病院側で、受験した医学生の中で、「受け入れたい順」で学生をリスト化し、同様にマッチング協議会に提出する。


そして、マッチング協議会は、独自のアルゴリズムでそれぞれの希望順位から高いものをマッチさせるのが仕事である。マッチング制度でマッチした病院には、医学生は「医師国家試験に不合格」とならない限りは必ず入職しなければならない、というシステムになっている。


私の「マッチングリスト」で、1位と2位の病院をどこにするかは、提出ギリギリまで迷った。当市にある、「岡付療養所病院」と、いわゆる中河内地域にある「丸田記念病院」で迷ったのだ。最終的にこの辺りの地域で医師をするつもりだったので、人脈などを考えると、「岡付療養所病院」に大きなアドバンテージがあり、「ハードトレーニング、促成栽培」という点では丸田記念病院に分があった。


医学生時代に、実習をさせてもらった「浜野先生」も、私の師匠である「狩野先生」も、どちらも指導医としては十分な力のある医師であった。どちらを1位にするか、本当に決めかねていたのが正直なところである。


「えいやっ!」と勢いで、1位に丸田記念病院、2位を岡付療養所病院として提出し、結局丸田記念病院で初期研修医としてのトレーニングを受けることとなった。ただ、岡付療養所病院での入社試験でも、「ここを第一志望と考えています」と伝えており、実際にギリギリになるまで決めきれなかったので、その言葉に嘘はなかったつもりだったが、結局は「嘘をついた」ことになってしまった。


それからずっと、「岡付療養所病院」について、特に親身になって学生時代指導してくださった浜野先生にはものすごく申し訳ない思いを20年抱えていた。


当時は消化器内科部長だった浜野先生は現在は岡付療養所病院の院長となられている。


たまたま、浜野先生のお姿を拝見したので、謝罪のチャンスをうかがっていた。そうかい、講演会が終わると、当院の理事長、課長に軽く挨拶をしてから、急いで浜野先生のもとに駆けて行った。


自分の名刺を用意し、


「浜野先生、いつもお世話になっております。元畑町病院 内科の保谷と申します」

「これはこれは、よろしくお願いいたします」

「浜野先生、実は私は先生に謝らなければならないことがあるんです」

「???」


「先生、20年ほど前、初期研修必修化の初年度、桜島大学医学部から、2週間近く実習に来られた学生がいたことを覚えておられますでしょうか?」

「…そういえば、そんな学生さんがいたような気が…」


「先生、その時の学生が私です。先生には本当にお世話になったのに、研修医として岡付療養所病院に来ることができなくて、ずっと心苦しく思っていたのです。今日、謝罪の意をお伝え出来て良かったです」

「なんだ、そういうことだったのですか。先生、全然気にしないでください。これからもよろしくお願いいたします」


「先生、こちらの方こそ、よろしくお願いいたします。ありがとうございます」


と、短い時間であったが、お世話になった浜野先生に謝罪することができた。おそらく先生はあまりしっかりとは覚えておられなかったこととは思うが、私にとっては、20年来の心の重荷がようやく晴れた瞬間であった。


まさしく徒然草にあるように「年ごろ思ひつること 果たしはべりぬ」という気分だった。ただ、「仁和寺の法師」のように、大事なことを忘れたりはしていないと思っている。


余談。とうとう777話になりました。パチンコで、「フィーバー」としての777が導入されたのは、私が小学生のころだっただろうか?父に連れられてしばしばパチンコ屋さんに行ったことがあるが、その機種に触れたことはない。幼稚園のころは指ではじくタイプのパチンコ屋さんだったし、電動式の玉打ち出し機になってからも、それで遊んだ記憶はない。親父がそれをしていたこともなかったように記憶している。


あの時代以降、ラッキーセブンという言葉を聞くと、多くの人は「7」ではなく「777」を思い浮かべるようになったのでは、と思う。そういう点で、影響力はすごいものだったと、振り返って思うのである。完全に蛇足である。乱文乱筆失礼しました。

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