第772話 解せぬ…。(長文失礼)

2/6のMBSニュース、ソースはYahooニュースより


<以下引用>

必要な透析治療を実施しなかったことで、入院患者の男性が死亡した”として、遺族が入院先の病院の運営法人に対し、約5000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴しました。


2月5日付けで訴えを起こしたのは、去年1月に当時の「医誠会病院」(大阪市東淀川区)で亡くなった男性(当時90)の遺族です。


訴状によりますと、男性は腎不全のため、「医療法人医誠会」が運営する大阪府内のクリニックで週3回、透析治療を受けていました。 しかし去年1月、クリニック内で多くの発熱者が発生。男性も新型コロナウイルスの検査を受けたところ、陽性と判定されたため、クリニックは医誠会病院に転院させました。


しかし男性は、医誠会病院でベクルリー(新型コロナの抗ウイルス薬)は投与されたものの、透析治療は一切実施されませんでした。男性は転院から数日後に、窒息による低酸素脳症で死亡しました。


男性の遺族は、「▽病院がクリニックに対し透析治療が可能である旨を返答し、▽クリニック側も男性の診療情報や透析記録を引き継いだにもかかわらず、透析治療が行われなかった。その結果、肺に水がたまり窒息が起き、低酸素脳症で死亡した」と主張。


2月5日、医療法人「医誠会」に対し約5000万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴しました。 遺族の代理人弁護士によりますと、示談交渉(決裂)の際に「医誠会」側は、透析治療の実施を怠った注意義務違反は認める趣旨の回答をしたものの、そのことと男性の死亡との因果関係については、男性の新型コロナ感染と高齢を理由に、明確に争う姿勢を示したということです。


<引用ここまで>


情報が極めて限られているので、ほとんどが「推測」となってしまうのはご容赦いただきたい。ただ、わずかではあるが、透析医療にも関わっていた人間としては、疑問点がたくさんある。


まず気になるのは「死因病名」である。「窒息による低酸素脳症」が死因、とのこと。ご遺族の主張として、「透析をしなかったことで、肺に水が溜まり窒息した」とのことだが、「肺に水が溜まり」というところと「窒息」というところに強い違和感を感じる。


まず「肺に水が溜まり」という事だが、この表現では2つの状態が想定可能である。「肺の中」に水が溜まった『肺水腫』なのか、「肺の外側(胸郭)」に水が溜まった『胸水』なのか、という事である。


肺の中(つまり肺胞内)に水が溜まる病態は「肺水腫」と呼ばれる。それぞれの臓器はそれぞれ特徴的な構造を取っており、その臓器の機能を果たすための部分を「実質」、その構造を維持するための部分を「間質」と呼ぶ。「間質」という骨組みの中で、「実質」と呼ばれる構造物が形成され、その構造によって臓器が機能する、と考えていただければよいかと思われる。


一般の人や『医学生』にとっても「戸惑う」理由の一つだが、「肺」という臓器を取り上げると、「肺実質」は、「肺胞内にある空気」であり、血管や粘液を出す細胞、肺胞構造を維持するための細胞の集合体からなる肺胞壁が「間質」となる。「肺実質」が「空気」と聞くと「何じゃそりゃ?」という疑問がわくかと思うが、そういう立て分けなので「そんなものだ」と考えていただきたい。肺実質の炎症である「肺炎」は病理解剖で、顕微鏡で覗いてみると、肺胞腔内に病原性微生物と、それと戦う白血球、炎症のために間質から染み出た「間質液」で充満した状態となっている。肺胞内に溜まったいわゆる膿汁が咳とともに排出されたものが「膿性痰」である。また、ある種の微生物やウイルス、自己免疫、薬剤、放射線などで、肺胞壁がダメージを受けた状態は「間質性肺炎」あるいは古い言い方では「肺臓炎」として、一般的な「肺炎」とは区別される。


肺水腫は、この肺実質に「水分」が貯留し、うまくガス交換ができなくなった状態である。多くの場合、肺水腫は肺胞壁を走行する「ガス交換」のための毛細血管の圧力が高まったことで、血管内から水分が漏れ出して起きる。肺胞の毛細血管圧が上がるのは、心機能(特に左心機能)が低下し、肺からの血液を十分に心臓に回収ができない状態で起きることが多い。もちろん、透析で仮に体内に余分な水分が溜まっていたとすれば、それも「心臓で十分に水分を肺から回収できない」ことで肺水腫を起こすことは多い。それに加えて、本来尿中、あるいは透析で除去されるべき「尿毒素」が悪影響を与えることもあるだろう。


「死亡診断書」の書式は、直接死因、その原因疾患、原因疾患の原因疾患、という順で記入し、「死亡病名」もその順で解釈するのだろうと思うが、「肺水腫」が原因で「低酸素脳症」を来たした、と考えるなら、「窒息」という表現は使わないだろう、というのが私の感覚である。死亡診断書も「直接死因:低酸素脳症、その原因:肺水腫」とするだろうと思うのだ。肺水腫の状態で「窒息」という表現は使わないだろう、というのが大きな違和感の一つである。


肺水腫であったとして、その場を乗り切る手段は「透析」に限らない。毛細血管の圧力が高くなって肺に水がしみ出てきている、という事であれば、肺胞内の圧力を毛細血管の圧力よりも高くすれば、水がしみ出すことはないわけである。


気管内挿管を要する人工呼吸器しかなかった時代は、人工呼吸器を装着し、持続的陽圧呼吸を適切な圧で行なえば、うっ滞性の肺水腫は改善できた。私が後期研修医のころからはNPPV(気管内挿管を行なわない人工呼吸)の機器が開発、改善されており、「漏れのないように」マスクはきつく着けられる(褥瘡ができることも珍しくはない)ことにはなるが、NPPVで肺水腫を乗り越えることは可能である。


NPPVをつけて肺水腫を乗り越える、なんてことは、医誠会病院レベルの急性期病院では、ごく普通の発想であり、救急科や内科を専攻しているものであれば、後期研修医の2年目程度では普通に発想し、行なってほしい、いや十分できる能力を持っているであろうと思われる。


肺の外(胸郭)に水が溜まるものは、たまった水を「胸水」と呼ぶ。胸水の貯まる理由はたくさんあり、胸水の分類だけで、一つの章を作れるほどの内容になるので、詳細は割愛するが、この患者さんであれば、「胸水」が「両方の胸郭」に溜まっていれば、おそらくそれは心不全(ここには透析を行なわないことによる水分貯留も含まれる)が理由、と考えてよかろう。


「胸水貯留」も「透析」せずとも回避は可能である。太いchest tubeを挿入するまでもない。透析を行なっている病院であれば、透析シャント穿刺用の針である「ハッピーキャス」があれば、一番安心だが、それがなくても胸水穿刺キットや、何となれば、末梢点滴用の留置針でも胸水穿刺はできる。もちろん、全くリスクのない手技ではないが、私が「初期」研修医として一般内科をローテートした際に、まず身に着けた(着けさせられた?)手技の一つである。エコーガイド下に、指導医の指導下に数回行えば、後は初期研修医1人で十分施行可能な手技である。胸水を一気に大量に排液した場合、「再膨張性肺水腫」という合併症が起きることがあるが、それとて、NPPVを使ってしのげばよいわけである。窒息するほどに胸水が溜まっていた、とするなら、それこそ穿刺部位として適切と思われる部位に「えい!」と太めの針を刺しても問題なさそうである。


という事を考えると「透析の施行の有無」にかかわらず、「肺の外(胸水)」であっても、「肺の中(肺水腫)」であっても、十分に乗り越えられるだけの医療設備と技術のある医師を「医誠会病院」は持っているのである。NPPV、胸水穿刺ともに、「人工透析」を行なうより安全性は高いものである。それと繰り返しであるが、「窒息」とは言わない。


さらに追加するなら、適切に管理された透析を受けておられたならば、よほどめちゃくちゃな水分管理をしなければ、数日で「致死的な」胸水貯留や肺水腫を起こすことはないと思われる。ご遺族が主張されるような、「透析しなかったことで、肺に水が溜まって窒息した」というストーリーそのものが、「窒息」という言葉の不自然さとともに強い違和感を覚える。


一方「人工透析」を行なう、特に高齢者や全身状態の悪い方に行うのはリスクが高い。十分な透析の効果を得るためには、日常の血液透析では1分間に200mlの血液を身体から抜き取り、人工透析器を通して、浄化された血液を200ml、身体に返さなければならない。


心臓の生理学を考えるうえで、「前負荷」「後負荷」というものがある。「前負荷」は「心臓に入ってくる血液量」、「後負荷」は「心臓が送り出す血液に対する血管抵抗」と考えるが、現実問題としては、「前負荷」にも「圧力の要素」、「後負荷」にも「量の要素」が入ってくる。


「心不全」という病態は、その定義が病態の解明とともに変化してきており、現時点での医学的定義は非常に専門的となっている。なので、ここでは「過去の定義」になるが、「前負荷、後負荷」と「心臓の機能」のミスマッチ、ととらえてほしい。心機能が悪くなると「心臓に血液を吸い込む力」が衰え、前負荷に見合った血液量を回収できなくなり、「心臓から押し出す力」も衰えるので、後負荷に負けないだけの血液量を送り出せなくなる。たまった前負荷は「肺水腫」や「全身の浮腫」となり、拍出量が減ると血圧が下がるため、血圧をあげようとして血管が収縮し、さらに後負荷がかかってくる、というのが心不全の状態、と考えてもらえばよいと思う。心臓は正常であれば、1分間に約60回鼓動し、約5Lの血液を押し出す。計算を楽にするために、1分間で6L、として考えると、6000ml/60回=100ml/回の血液を拍出する、と考えてみる。


ここで透析の話に戻ると、1分間に200mlの血液を透析機に送り、200mlの血液を身体に返すので200/60=3.3ml/秒の血液をやり取りする。1秒間に100mlの血液を送り出すうち、余分に3%の拍出された血液を奪い、3%余分に前負荷を増やす、という事になる。元気でピンピンしている心臓であれば問題ないが、もともと高齢で、へばりかけている心臓(心‐腎連関で、透析するほど腎臓が悪い人は、基本的には心臓もへばりかけ)であれば、その3%がダメージになる。


研修医時代、院内心肺停止時に全館放送で「コード・ブルー」(私のところでは「Dr.チャーリー」だった)が流れるが、「透析室」でのコード・ブルーは珍しくなかった。ERやICUなどはもともと人が多いので、そこで心肺停止しても人を呼ぶ必要はほとんどなかったので、たぶん特定の場所でのコード・ブルーは「透析室」が最多だったかもしれない。


そんなわけで、特に高齢者や心機能の悪い人への透析は慎重にならざるを得ず、場合によっては「透析中に死亡する危険が高い」との判断で「途中で透析中止」「最初から透析中止」と、透析医が判断することもしばしばであった。私たち内科で「この状態では透析は厳しいなぁ」と思いながら、透析室に送ると、「透析無理です」と透析医から連絡をもらう事もしばしばであった。その時にはご家族においでいただいて、「透析をすると、透析中に死亡する危険性が高いです。お身体の限界、とお考え下さい」と伝えていた。


90歳のCOVID-19罹患した方の全身状態は「透析可能」な状態だったのだろうか?「透析中の心肺停止」のリスクが高いと判断すれば、「透析中止」の判断を透析医が行うのは適切である。もちろんそれは「死の宣告」と同義であるが、それを承知の上で、である。


また、COVID-19に罹患している方を、一般の透析室で透析することはできない。感染が広がるからである。それは関連のクリニックでも本院でも同じことである。


私の修業した病院は、透析ができるのは、「透析室」と「ICU」のみであった。集中治療の一環として、心肺の負担の少ない持続血液濾過透析(CHDF)、あるいは透析器を使った「カラム吸着療法」や「血漿交換」などが要求されるので、透析機能を有する病院のICUでは、ICUで透析できるようになっている。


では、この患者さんを入れることができるICUがあったのかどうか、という事でもある。COVID-19のクラスターを何度も経験しているので、おそらく医誠会病院でも、COVID-19患者さんに対応できるICUベッドはあっただろうと思うが、そこで透析をする判断となったのかどうか、というところはわからない。


患者さんやご家族が、積極的な延命治療を希望されていた、という事であれば、ICUでの透析はありうるかもしれないが、それでも透析中の死亡リスクは低くはない。


その辺りのことが家族とうまく疎通できていたかどうか、というのは気になるところである。


もう一つ私が引っかかるのは、賠償金額が著しく高く感じるところである。以前調べたことがあるが、交通死亡事故の場合の額は、基本的な金額がすでに決まっていて、主に家計を担っていた人は2800万、家計を担っている人を支える人は2500万、そのほかの人は2000万円、そこに損失利益が加算され…、で、最終金額が決定する、とのことである。


おそらく弁護士もそれを理解しているはずであろう。にもかかわらず90代の方の死亡で「5000万」を争う、というのもあまりに不自然だと思われるのだが?


いや、お金のことはここまでにしておこう。


という事で、色々と、色々な意味で「解せぬ」と思った次第である。ただ、こういうことがあると、当事者となった医師の心労は計り知れない、と思っていただきたいと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る