2024年 2月
第762話 うち、「診療所」に毛が生えたようなものですから…。
今日の外来の一番最初の患者さん、他県の病院からの紹介状を持ってこられていた。この患者さん、普段は当院の「物忘れ外来」に通院中で、内科への受診歴はないようだった。
患者さんを呼び込む前に、カルテと、紹介状に目を通した。紹介元はおそらく結構大規模の病院だと思われる。救急科のDr.からの紹介状だった。紹介目的は「大腸がんの疑い。精査加療をお願いしたい」とのことだった。
他県におられる娘さんのところに訪れていた時に、体調不良のためにその病院に救急搬送されたらしい。血液検査でHb 7.7g/dLと貧血(MCVも低く、小球性貧血だった)を認め、腹部CTで上行結腸にがんと思しき腫瘤性病変を認めたそうだ。ご本人より「かかりつけの元畑町病院で調べてもらう」との申し出があった、とのことでよろしくお願いします、という内容だった。
「う~~ん」
と困ってしまった。当院は診療所をルーツとする小さな、いわゆる「療養型病院」である。常勤医は内科系4人と、精神科(物忘れ外来、病棟のリエゾン、隣接する同じ医療法人に属する精神科クリニックでの診察を担当)の医師が2人、の6人である。内視鏡の検査は、週に2回、内視鏡専門医が非常勤で来られるが、下部消化管内視鏡では観察と生検のみで、ポリープを取ったりすることはしない。しかも、市が行なう特定健診で上部消化管内視鏡を希望される方が多く、内視鏡検査枠は3月上旬まで埋まっている。
患者さんを診察室に呼び込む。倒れたときに訪問していた娘さんとは別の、これまた遠方にお住いの娘さんが、患者さんと一緒に入室された。
「慣れないところで体調を崩されて大変でしたね」
「えぇ、びっくりしました」
「母が言うには、この1~2か月ほど前から黒っぽい下痢が続いていたそうです」
とのことだった。血液は消化管の活動を亢進させる作用があるらしく、基本的には消化管出血で診られる黒色便(タール便)は軟便である。一般の人が道路舗装などで使われる「コールタール」を目にすることはあまりないと思うが、黒くて、ドロッとした液体である。それに似ているから「タール便」と呼ばれるのだが、イメージしにくければ「海苔の佃煮」みたい、といえばイメージがわくだろうか?
なので、娘さんがおっしゃられた「黒っぽい下痢」というのは、確かにタール便を疑うものである。
「そうなんですね」
と答え、患者さんの腹部の触診を行なった。右下腹部に確かに不自然なものが触れる。多分上行結腸癌なのだろう。
「大腸がん」と一言で言ってもその病変部位で症状は異なる。出口(肛門側)に近いほど、「便に血液が付着」することが多く、腫瘍による大腸閉塞の症状も起きやすい。出血もより「血液」らしいものが出てくる。
この患者さんは上行結腸の起始部、回盲部あたりに腫瘤を触れた。この部分からの出血であれば、タール便となってもおかしくはないし、消化管の内容物もより液状のものなので閉塞しにくいので、下流にできる大腸がんよりも発見が遅れがちになる。
「おなかを触れると、不自然なものが触れます。うちの病院だと、内視鏡の検査が3月になってしまうので、近くの本郷総合病院に紹介します。そちらでしっかり検査を受けてもらい、しっかり治療してもらいましょう」
「先生、3月の検査ではだめですか?」
と患者さんが問うてくる。おそらく想定される疾患を聞いていないのか、忘れてしまったのか、どうだろうか?と思った。付き添いの娘さんも
「私も遠方に住んでいるので、そんなに何度もこちらに来るのは大変なんです。母の言う通り、3月の検査の方が、私も都合をつけやすいんです」
といわれた。
「あぁ、この娘さんは何も知らされていないのだなぁ」
ということが分かった。しかし想定される疾患は深刻であり、1か月放置することは許容できない。「ご本人への病名告知」は少なくともこのタイミングではない、と感じた。しかし、何も知らない娘さんには、現状を伝えなければならない。どうしよう…。
こういう時に、「閻魔様に抜かれるべき」内科医の舌が働いてくれる。
「頂いたお手紙を見ると、やはり私は検査を早く開始した方がいいと思いますし、病気が見つかった時の対応も、本郷総合病院にお任せした方がいいと思います。とにかく「なるだけ早く」で本郷総合病院の予約を取らせてもらっていいですか?」
「はい…。」
「うん、やはり早くした方がいいと私は思います。□☆さんの受診について、娘さんにお話しすることがあるので、すみませんが、□☆さんは待合室でしばらく待っていただけますか?」
「はい。わかりました。じゃぁ、待合室で待ってるね」
と娘さんに声をかけて□☆さんは待合室に向かわれた。少し時間を置いて、診察室の話し声が聞こえない距離まで□☆さんが移動しただろう、と見計らってから、付き添いの娘さんにお話を始めた。
「すみません。向こうの病院で、ご本人にどのような説明があったのかは分からないのですが、紹介状では『大腸がんの疑い』とあります。実際におなかを触っても、不自然な腫瘤があるので、私も大腸がんの疑いがかなり高いと思います。1か月後の検査を待つ、というのは時間がもったいないです」
「えぇっ?そうなんですか…。初めて聞きました。それなら、「遠方だから」とは言ってられませんね」
と娘さんは納得してくださった。
紹介状を作成し、本郷総合病院の病診連携室に送付して、予約を取ってもらい、予約が取れたら、当院に予約票が届くこと、予約票が届けば、当院の地域連携室から連絡をするので、受診日の前に受付に紹介状と予約票を取りに来て頂くことをお願いした。
娘さんも納得して診察室を後にした。次の患者さんが途切れていたので、本郷総合病院宛てに「大腸がん疑い、精査加療のお願い。本人には現時点で病名未告知であること」を紹介状に記載し、前医からの紹介状のコピーをつけて紹介状を完成させた。
紹介元の先生は、当院がそんな小さな病院だとは思わなかったのであろう。
「ご紹介いただきありがとうございました。当院は小さな療養型病院であり、悪性腫瘍の治療は行なっていないこと、また、消化管内視鏡検査も曜日が決まっており、現時点で3月上旬まで予約が埋まっており、当院での対応は難しく、近隣の急性期総合病院である本郷総合病院 消化器内科に紹介しました。ご紹介ありがとうございました」
と返信を書いて、紹介元の病院に返信してもらうようにお願いした。
朝の一番目から、悩ましい出来事であった。
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