第761話 辛いところ…。

現職場に勤務し始めて、4年目になり、訪問診療を担当してからも同じような時間が経ってしまった。前任の医師から引き継いだ患者さんで、今も継続して訪問診療を続けている人はずいぶんと減ってしまった。ただ、これはしょうがないことである。新たに訪問診療を開始することもあれば、訪問診療を、亡くなられたり、遠方の息子さんのもとに転居されたり、施設に入所されたりと、様々な形で終了した方もおられる。


前任の医師から引き継いだ患者さんの一人、80代後半の女性が、11月ころから急に食事を取れなくなってしまった。高齢のご主人と二人暮らしの方で、夏ごろまでは、月に1回、介護タクシーを使って大きな駅の駅前まで出かけ、喫茶店で二人でモーニングを食べることを楽しんでおられた方である。


急に食事が取れなくなったので、「詳しく調べてほしい」と入院精査を希望されたため、11月下旬から入院していただいた。血液検査、画像検査、内視鏡検査など当院でできる限りの検査を行なったが、特記すべき異常は認めなかった。消化管を動かし、吐き気を和らげ、食事を取りやすくする薬や、食欲が亢進するステロイドなども試してみたが、はかばかしい効果は得られなかった。


ご主人には


「できる限りの検査を行なったが、食事が取れなくなった原因と思われる異常は認めませんでした。とれる範囲で食べられるものを食べてもらい、少し点滴でサポートしましょう」


と伝え、そのような形で経過を見つつ、ご主人一人では介護をしきれない、とのことで施設入所をご主人が希望され、調整を行なっていた。


10日ほど前から、看護師さんのカルテに「皮膚の黄染(+)」という記載が見られるようになった。私はほぼ毎日回診を行なっているが、顔や眼球結膜を見る限り、黄疸があるようには見えなかった。


「あれぇ??」とは思いつつ、でも看護師さんの観察眼は素晴らしいものがあり、複数の看護師さんの記録で「皮膚の黄染(+)」とあると、実際に血液検査でビリルビン値を確認する必要がある。採血の指示を出したところ、病棟から


「血管がなく、採血できません。先生が採血してください」


との連絡を受けた。両側の鼠径部には大腿動脈、大腿静脈が浅いところを走行しているので、中心静脈カテーテルの挿入や、手足の血管からの採血が困難な時は鼠径部にある大腿動静脈を穿刺することが多い。そんなわけで、看護師さんに介助してもらい、右鼠径部を開けてもらった。


「ありゃっ!本当に黄色いな」


とその時点で私自身も皮膚の黄染に納得した。顔とは明らかに黄色さが異なっていた。


生まれたばかりの赤ちゃんは、様々な理由で黄疸を来しやすく、「新生児黄疸」と病名が付いている。全身の組織には毛細血管を介して血流が届き、赤血球からは酸素の供給を、血管の隙間から漏れ出た血漿(組織の中にある時は「組織間液」と呼ぶ)から様々な物質の供給、あるいは二酸化炭素や老廃物の回収などを行なっているのだが、いくつかの組織、特に「脳」では、神経細胞が極めて脆弱な細胞であり、わずかな化学物質の暴露でダメージを受けてしまう。そのために、脳の毛細血管は一般的な毛細血管とは異なる構造をしており、脳内に取り込む物質と取り込まない物質とを厳格に区別している。そのメカニズムを「血液脳関門(Blood Brain Barrier:BBB)」と呼んでいる。


黄疸の原因物質である「ビリルビン」も、血液脳関門を通れない物質なのだが、新生児ではBBBが未成熟なため、新生児黄疸が高度であると脳細胞がビリルビンでダメージを受けてしまう(核黄疸という)。ビリルビンはある波長の光で分解されるので、高度の新生児黄疸を起こしている場合には「光線療法」といって、全身にその光を当て、光でビリルビンを分解し、黄疸を改善させ、核黄疸を避ける治療が行われる。


随分脱線したように思われるかもしれないが、この方の、「顔」と、「鼠径部」の「黄色さ」の違い、「光線療法」と同じように、顔に光が当たっていることで、顔のビリルビンが目立たなかったのかな、なんてことを思わなくもない。


さて、血液検査をすると、前回の血液検査では全く問題のなかったビリルビンは10mg/dlを超えており、肝酵素の値にも異常が出ていた。


同じ「黄疸+肝酵素異常」であっても、若い人と、高齢者では考えることが異なる。若い方(50代くらいまで)なら「肝炎」を、高齢者なら「閉塞性黄疸による肝障害」を第一に考える。


もちろん頻度の問題ではあるのだが、当然理由もある。ウイルス肝炎を考えてみると、A型肝炎は昭和30年代くらいまでは日本で珍しくはない疾患であった。A型肝炎ウイルス(手足口病やヘルパンギーナを起こす「エンテロウイルス族」に属する「へパトウイルス」)は、ウイルスが食べ物や飲み水などを介して口から入ってくるウイルスである。戦後、衛生状態が改善する昭和30年代ころまでは、そういう意味で今の「手足口病」や「ヘルパンギーナ」と同様に、珍しくない病気であった。衛生状態の改善とともに急激にA型肝炎の流行はなくなってしまった。私が医学生の時(20代のころ)、授業で「50歳代を境にA型肝炎に対する抗体保有率が激減する」と聞いた記憶がある。なので、今なら70台がそのラインになるのか?衛生環境も良くなってA型肝炎ウイルス感染症そのものが減少し、なおかつ、高齢者はしっかり抗体を持っているわけで、A型肝炎を高齢者が起こすとは考えにくい。


B型肝炎、C型肝炎は血液を介して感染するウイルスである。垂直感染、といって母親から子供へうつることもあるウイルスである。B型肝炎ウイルスは垂直感染を起こしても、発症するのは思春期から青年期である。免疫抑制剤を使っている高齢者の場合は「de novo肝炎」といって、一旦鎮静化したB型肝炎ウイルスが再活性化することがあるが、これは特殊な場合である。B型肝炎ウイルスは水平感染、といって、性交渉で人から人に感染するが、この場合は速やかに発症することがほとんどである。C型肝炎は基本的には血液同士が接触しない限りは感染しない。「針刺し事故」などでは感染のリスクはあるが、今の時代であれば、C型肝炎に感染するのは、違法薬物の「針の使いまわし」や、タトゥーを入れるときの針、くらいしか思いつかない。B型肝炎は「垂直感染」なら思春期から青年期、「水平感染」でも、性的活動性の高い時期であり、いわゆる後期高齢者がそれに該当するか?といわれると、「???」である。C型肝炎についても同様である。


D型肝炎ウイルスは出来損ないウイルスでB型肝炎ウイルスにくっついて発症するので割愛する。E型肝炎ウイルスはA型肝炎ウイルスと同様に食べ物から感染するが、感染の原因は主に「野生動物の肉」である。「ジビエの肉は生で食べるな」という理由の一つはE型肝炎、一つは「旋毛虫」と呼ばれる寄生虫の問題である。高齢で身体の弱っている方が「ジビエの生肉を食べるか?」といわれると否定したくなる。


そんなわけで、高齢者の「ウイルス肝炎」の頻度は高くないのである。


一方で、「閉塞性黄疸」とは、肝臓と十二指腸をつなぎ、胆汁の流れ道である「総胆管」が何らかの原因で閉塞することで起きる黄疸である。閉塞の原因は「悪性腫瘍」や、「胆石」がほとんどであるが、いずれも、若年者にはめったに見ない。ということで、若い人は「肝炎」、高齢者は「閉塞性黄疸とそれに付随した肝障害」をまず考える、というわけである。


閑話休題。なのでこの方もおそらく閉塞性黄疸だろうと推測している。少なくとも、2か月前の入院時で、閉塞性黄疸の原因となりうる悪性疾患については「なさそう」であることを確認済である。


閉塞性黄疸の治療方針はシンプルで、「閉塞機転の解除」ということになるが、これが結構大変である。肝障害による凝固因子合成障害が理由なのか、高濃度のビリルビンが原因なのか、私の記憶にないところであるが、少なくとも、黄疸を呈している方は出血しやすく、止血しにくい。なので、出血を伴う処置を行なうためには、総ビリルビン値を5程度にまで改善させる必要がある。そのために肝臓の中にある「肝内胆管」や、「胆嚢」に排液チューブを留置して、滞っている胆汁を排出させるための処置、”PTCD(経皮経肝胆管ドレナージ)”や”PTGBD(経皮経肝胆嚢ドレナージ)”と呼ばれる処置を行ない「減黄」する必要がある。


減黄ができたところで、近年は内視鏡を使って、総胆管の十二指腸側の出口(十二指腸乳頭)を切開し、悪性腫瘍であればドレナージチューブ(ERBDチューブ)を挿入、胆石(総胆管結石)では砕石術を行なった後、砕いた石を取り除く、という処置を行なう。


PTCD,PTGBDや内視鏡的処置は身体への負担が大きく、食事もとれなくなった高齢の方に、そこまでしんどい思いをさせてまでする処置か?と考えると、処置が必要とは思えない。


そんなわけで、ご主人には黄疸が出始めたこと、おそらく閉塞性黄疸であること、治療そのものが非常に身体に負担をかけるものであり、奥さんの現状を考えると、そのようなしんどい治療を行なう必要性は低く、このまま様子を見たほうがいいでしょう、とお伝えしていた。


「予後は厳しいなぁ」と思いながら経過を見ていたが、日曜日に食事を誤嚥し、一時窒息、呼吸停止となったようである。看護師さんの介助下に食事を取っていて誤嚥窒息、となったのでは、もう経口摂取も危険である。もともと数口程度しか取れていなかったので、経口摂取そのものを中止とした。


「点滴」といっても、点滴を行なうことができる血管がもう見当たらない方である。そのような方では「皮下点滴」といって、体幹の皮下に針を留置し、ゆっくりと皮下に点滴を行なうが、皮下点滴では体液と同等の浸透圧を持つものしか投与できず、1日に500ml程度の投与が限界である。個人的な経験であるが、皮下点滴500ml/日のみでは、命を長らえても2か月は厳しい、という印象である。


本日、ご主人が奥様の面会に来られたので、現状をお伝えし、予後は厳しいことを伝えた。


病状についてもご理解いただき、予後不良であることも納得された。


ただここで、大きな問題が一つある。病院の性質によって「入院期間」が保険診療上規定されているのである。当院での入院期間は「2か月」ということになっているそうだ(健康保険制度に明るくないので、どうしてそうなっているのかは分からない)。患者さんは入院されてから、2か月が過ぎている。なので、「病院側」としては「転院してほしい」のである。


これは非常に悩ましい。私としては、長年主治医としてお付き合いし、もうすぐ旅立ちの近い方である。最期まで主治医として寄り添いたいと思っている。ご主人も、私を信頼してくださり、最期まで診てほしい、と考えておられる。ところが制度がそれを許さない、という状態となっている。病棟管理も担っている地域連携室の意向としては、「転院調整をしてほしい」ということなので、主治医としては板挟み状態となっている。


ご主人には、健康保険、医療の制度上、当院で許容されている入院期間を超えてしまうことになるので、病院側から、強く転院を求められることがありうることもご理解いただきたい、と辛い説明を行なった。


「先生、できるだけ最期まで診てください」


というご主人の言葉が心に堪える。同席した地域連携室のMSWさんも板挟みの状況は理解されているので、


「先生、つらい説明ありがとうございました」


とおっしゃってくれた。


制度上、仕方のないこととはいえ、つらいことである。

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