第759話 今日の外来の一コマ。

今日は「初診(異常を感じて最初の受診)」の患者さんがいつも以上に多かった。初診の患者さんには気を遣う。訴えられている症状から、想定される疾患を考え、病歴、身体診察、各種検査で診断を絞り込んでいく、というのがいわゆる「診療」の流れだが、一番最初の「想定される疾患を考える」ということが、実は大きな落とし穴、なのである。医学用語では、想定される疾患群を「鑑別診断」と呼ぶのだが、基本的には、「鑑別診断に上がらなかった疾患」を診断するのは極めて難しい。


疾患のほとんどは、よくある疾患で、よくある経過をたどるので、そうそう外すことはないのだが、時にまれな疾患が混じりこんだり、逆に、よくある疾患だが変な経過を取ることもある。医学の世界の格言の一つに「まれな疾患の典型的な経過よりも、よくある疾患の非典型的な経過の方が頻度が高い」という言葉がある。必ずしも「真」ではないのだが、こういうことはよくある。あとで「ありゃりゃ…」と思うこともあるので、鑑別診断を考えるときには、かなり気を遣う。人間の頭の中で、一度に扱えるデータの個数は7個程度、という実験結果を聞いたことがあるが、鑑別診断を考えるときも、「見逃すと死んでしまうかもしれない、緊急度、重症度の高い疾患」のベクトルで3つ、「よくある頻度の高い疾患」で3つ考えるようにしている。


閑話休題。今日の初診の患者さんは、一筋縄ではいかない人が多かった。


大病院で、とある消化器疾患の専門外来に定期通院中の方が、血液検査で肝機能に異常があったので「近くの病院で診てもらうように」といわれた、という主訴で受診された。


肝疾患も基本的には「消化器内科(場合によっては消化器内科の中で、「消化管」グループと「肝・胆・膵臓」グループに分かれていることもあるが)」が主科となる臓器である。患者さん曰く、「その専門外来では、その疾患以外は診ないことになっている」ということらしい。


それであっても、大病院なんだから、自院の「肝・胆・膵臓」を中心に診る先生へ「院内紹介」という形で紹介すればよいと思うのだが、なぜ自院で診ないのだろうか?何か確執があるのかどうか、それは分からないが、「大病院」から「ちっぽけな専門家のいない病院」へ精密検査のために受診、なんて滑稽な話である。


腹部CTでは軽度の脂肪肝があるようだった。血液検査を提出し、結果を後日危機に来てもらうこととした。おそらくMASH(Metabolic dysfunction Assosiated SteatHepatitis、かつての”NASH”)だろうと考えている。MASHの疑いが高ければ、結局、元の大病院に再紹介となる。「肝機能異常を、他院で診てもらうように」といった医師は、どういう意図でそのように言ったのか、理解に苦しんだ。今も訳が分からない。


また別の患者さん。「初診」の患者さんについては、受診前に「問診票」を記入してもらうことが当院のルールとなっている。どういう症状で受診したのか、それはいつ頃からなのか、随伴する症状は何か、他の病気で通院や薬をもらっているか、アレルギーはあるか、妊娠しているか、などを受診前に記入してもらっている。


その患者さんの主訴は「2日前から右の顎が痛い」というものだった。「『顎が痛い』というのは『内科』で評価すべき問題か?」と一瞬悩んでしまった。ちなみに、脳、頭蓋内の問題は「脳神経内科/脳神経外科」が、眼の問題は「眼科」が専門診療科となるが、それ以外の顔面にかかわる問題は「耳鼻咽喉科」が専門診療科となる。多くの大学ではかつての「耳鼻咽喉科」は「耳鼻咽喉科・頭頚部外科」と表記を替えている。かなりの大掛かりな手術を担う診療科であり、一般的にイメージする「街の耳鼻咽喉科」よりもはるかに広い守備範囲を持っている。


それはさておき、私の外来に来たからには、少なくともまず私が評価しなければならない。


患者さんを呼び込むと、中年の男性がお一人で診察室に入ってこられた。お話を聞くと、2日ほど前から右の耳よりやや前方辺りに痛みがある、とのことだった。外観上腫脹、熱感はなく、触診を行なっても、その部位に存在するはずの「耳下腺」については腫脹、圧痛、熱感もなかった。下顎リンパ節や内深頸リンパ節にも腫脹圧痛を認めなかった。バイタルサインも安定しており、発熱もなかった


たまたま私が「歯が痛い」状況で過ごしていたので、「歯科」的問題を考え、患者さんに口を開けてもらい、痛みを感じるあたりの臼歯を一つずつ舌圧子で軽く叩いていった。

上顎の右臼歯は叩くとかなり痛みが響くようで、辛そうだった。下顎の臼歯は痛みはないとのことだった。自分も同様の症状で苦しんでいたためか、


「なんだ。歯が痛いんやん」


と思ってしまった。患者さんには、「今、右上の奥歯を叩くと強く痛みを感じられたようですが、これは痛みの原因が「歯」の問題を示す所見と考えます。おそらく『歯』にかかわる問題なので、まず、『歯科』で調べてもらってください。一般的に歯科で処方される薬を処方しておきます。なるだけ早く歯医者さんに行ってくださいね。では、お大事に」と診察を終えた。患者さんの処方箋を書き、患者さんを数人診察していると、医事課受付からスタッフの方が


「この患者さん、付き添いの方が『なんでここの病院は検査もせえへん(しない、の意)ねん!』と大変ご立腹なんですが、どうしましょう?」

「へっ?付き添いの人がおられたの?患者さんは一人で診察室に入って来たから、付き添いの人がいたなんて知らなかったですよ?」

「えっ?そうなんですか?」

「はい、そうです。僕がその方にも説明するので、私の診察室に入ってもらってください」


と、すこし「イライラした」口調で言ってしまった。医事課の方、何も悪いことをしていないのに、私の不機嫌爆弾をぶつけてしまって、申し訳ない限りである。


とはいえ、付き添いで来ていて、病状を聞きたいなら、当然診察室に一緒に入るべきだろう。ご本人は「検査をしてほしい」とは一言も言っていなかった。まぁ逆に、「検査をして」といわれても少し困るような気はするが。


何か「医師」に対して、希望、要望、クレームなど言いたいことがあれば、こちらに直接言ってほしい。状況の分からない医事課スタッフに文句を言っても何の解決にもならないのである。「診察、診療」については、自身が覚悟と責任をもって行なっているのだ。可能な限り、患者さんのリクエストには応えたいと思うし、それが「不必要」だと判断するなら、その判断根拠を明確に伝えるようにしているのである。自分たちのリクエストも明確にせず(私は診察の初めに「今日はどうしましたか?」とopen-ended questionで聞くようにしている。なので、その場で「検査をしてほしい、」と思えば、そう言ってくれればよいのである)、後で「希望したことがされていない」と怒られても、怒られた方が困ってしまう。私は神様ではないのだ。言われないと分からない。


そんなわけで、付き添いの方を含めて診察室にもう一度入ってもらった。どうも患者さんはグループホームに入所中で、施設のスタッフが同行してきたようだった。最初から診察室に入ればよかったのに、などと思いながら、もう一度説明を繰り返した。


「右の顎辺りが痛い」という主訴で受診されましたが、歯を軽く叩くだけで、ひどく痛がります。内科ではなく、まず歯科で評価をしてもらってください!後、何か疑問や質問があれば、遠慮なく医師の方に声をかけてください」と最後に付け足した。それで患者さんの付き添いの方も納得して帰って行かれた。なんじゃ、そりゃ?


と、どこかモヤモヤした印象の午前診だった。

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