第745話 鎮火したと思ったら、今度は別の炎が…。

お正月早々から続いていた病棟のA型インフルエンザクラスター、結局そのフロアのすべての部屋から患者さんを出して、ようやく鎮火した。


当院には2つの病棟があるが、インフルエンザで病棟がボーボーと燃えている一方で、もう一つの病棟には別の疾患がやってきていた。


朝回診を開始し始めた午前7時過ぎ、当直の看護師さんから報告を受けた。


「先生、先ほどですけど、武藤さんが嘔吐されました」と


武藤さんの回診をフロアの一番最後にすることにし、他の患者さんを回診した後で、武藤さんの回診を行なった。


「いや、さっき吐いてから、気分は楽になりました。今はしんどいところはないです。おなかも大丈夫です。下痢はしていません」


とのこと。身体診察も重篤感はなく、落ち着いておられるようだ。


回診を終え、カルテを書き始める。この病棟には今、私の担当している患者さんが10人以上おられ、カルテを書くだけでも必死である。医師の病棟での仕事は、患者さんが増えると、「指数関数的」とまではいかずとも、患者さんの数の1.5倍くらいの比例定数で増えていく。仮に一人のカルテ記載、指示出しに5分かかるとしても、10人いれば50分だ。1時間のサービス早出+dutyとしての1時間早出で、毎朝、業務開始の2時間前から回診、カルテ記載、指示出しを行なっているが、1フロアのカルテ記載だけで50分もかかれば、その他の仕事も合わせると、2時間では足りなくなってしまう。


閑話休題。そんなわけで時間をかけてカルテを書いていると、当直のスタッフの雑談が聞こえてくる。


「昨日はごめんね。仮眠時間を長めにとってしまって」

「いいよ、気分はましになった?」

「吐き気はちょっとましになったけど、まだお腹の調子は良くないみたい」

「じゃぁ、私が日勤帯との引継ぎをしておくよ。ちょっと早めに帰ったら?」


なんて会話が聞こえてきた。これは危険だ、と思っていたら、その数日後、やはり、病棟で「嘔吐下痢症」が流行し始め、患者さんの検査をすると「ノロウイルス」が検出された、とのことであった。


これまた困ったことである。インフルエンザの次はノロウイルスか…。


冬季嘔吐下痢症の原因ウイルスとしては、ノロウイルス、ロタウイルスなどが挙げられる。当院の看護師さんは、子育て中のママが多いので、子供からロタやノロをもらってしまうようである。


ノロウイルスの困ったところは、「アルコール消毒」が無効であることだ。当院では各病室の入り口にアルコールディスペンサーが設置してあり、看護師さんは腰にアルコール消毒液を携えているので、看護師さんは一処置ごとに、私も一人の患者さんを回診するたびに、病室の入り口に戻り、手指のアルコール消毒を行なってから、別の患者さんを診察している。


COVID-19もインフルエンザもアルコール消毒が有効なので、それで手指消毒は完了なのだが、ノロウイルスを疑う方では、アルコール消毒は不適切である。ノロウイルス感染を疑う方では、一人を診察するごとに、石鹸で手洗いをしなければならない。それは時間もかかるし、手も荒れる。しかも、吐物や便なども飛散するとCOVID-19同様に飛沫核感染の可能性がある。という事で、COVID-19と同様、それ以上に気を付けなければならない感染症である。


そんなことをしているうちに、スタッフ、患者さんに嘔吐下痢症が広がってきた。


昨日の医局会では、ノロウイルスが原因と思しき嘔吐下痢症に対して、どのように対応するか、という事が議題に上った。


看護部からは、「軟便の見られた患者さんは、検査用の検体を取り置きしておくので、いったん沈静化するまでは怪しき人はノロウイルス抗原検査をしてほしい」との要望があったそうだ。


医局内でも「ルーティーンとして、怪しき人には検査をしよう」という意見(主に私)が出た。その一方で、ノロウイルスもまた、症状がないのにウイルスを多量に排出している「無症候性感染」の患者さんがそれなりの割合でおられるので、検査をして「陽性・陰性」と分けてしまう事で、陽性の人への対策だけがとられ、陰性、あるいは無症状の方への予防策が不十分になってしまう懸念があり、「症状の有無、検査の結果にかかわらず、患者さん全員に対して、予防策をきっちり行っていくことが重要ではないか」という意見も出た。


結局、患者さんすべてに対して、おむつ交換時などの予防策は徹底していくこと、アルコール消毒だけでなく、流水で石鹸手洗いをこまめに行うこと、迅速検査のする、しないは主治医判断とする、という事で決着がついた。


今朝の回診でも私の担当患者さん2名が、嘔気、水様便で昨日は食事がとれなかった様子であった。一応検査のオーダーは立ててある。


ノロウイルス、感染予防対策が大変なんだよなぁ。困ったものだ、と頭を抱えている次第である。

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