第733話 ご足労いただいたのに、大変すみません。

私が訪問診療を担当している男性Tさん。もともと認知症で当院の物忘れ外来に定期通院されていたが、高血圧などの内科的管理をお願いしたい、ということで1年ほど前に私の外来に紹介され、半年ほど物忘れ外来と私の外来に通院されていた。独居の方で、ご親戚の方が通院に付き添われていたのだが、「通院そのものが大変になってきた」との申し出があり、半年ほど前から訪問診療を開始している。


TさんはGentlemanで、ADLも良く、自宅から200mほど離れた、地域の憩いの場となっている喫茶店までご自身で歩いて行かれ食事をされていたのだが、この2か月ほどは、訪問診療を忘れて喫茶店でお茶をしていたり、など病状は進行していた。夜間徘徊で、夜中にタクシーを呼んで乗車したものの、行き先が二転三転し、ドライバーとトラブルになった、とか、夜中に外で大声を出していたので警察を呼ばれ、警察のお世話になった、ということが目立ってきた。


直近の訪問診療では、そのような問題行動が増えてきた、とのことで夜間の鎮静目的で薬を追加していた。


1/5の夕方、院内に事業所を置いている訪問看護ステーションの訪問看護師さんから、「Tさんのことでご相談が」と電話がかかってきた。大急ぎで訪問看護ステーションに向かった。


訪問看護師さんから報告があった。


「先生、Tさんなんですけど、1/3の夜中に外出していて、転倒して顔面と右の手背に結構ひどいけがをされていたんです。訪問看護で傷の処置を続けていたんですけど、今日はふらつきがひどく、まっすぐ歩けないようになっていて、入院で診てもらえませんか」とのこと。


ありゃりゃ…。顔面の強い外傷後、時間を置いて出現した歩行障害なら、硬膜下血腫を考えなければならないだろう。「当院で入院」の前に評価しなければならないことがいくつもあり、「当院で入院」が必ずしも「最適解」とは限らない。可能性の高い流れとしては、頭部CT撮影→頭蓋内出血を同定→急性期病院 脳神経外科への転送、と想定したが、いずれにせよ、診察しなければ始まらないし、自宅での生活も危険だろうと考えた。


「わかりました。地域連携室に、入院できる部屋があるかどうか確認してください。部屋があれば来ていただいて、外来で評価をして(当院入院か、他院転送かを)考えます」


と答えた。医局に戻り、書類作成の仕事をしていると、訪問看護師さんから連絡があった。


「先生、明日なら入院できる様です」

「わかりました。それでは、明日、私の外来があるので、外来に来ていただいて評価の上、対応します。今晩、何か異常があれば、救急車で高次医療機関に搬送、という対応としてもらえますか?」

「わかりました。ありがとうございます」


とやり取りをした。明日の午前まで待てる病態かどうか、「危ない橋だなぁ」と思いつつ、そのような対応とした。


1/6、外来診療を行なっていると、Tさんがご親戚の付き添いで受診された。診察の順番がきたので、呼び込もうとすると、外来看護師さんから


「先生、Tさんの呼び込み、ちょっと待ってください。地域連携室から先生にお話があるそうです。課長がもうすぐ出勤なので、それまで、Tさんの呼び込みは止めてください」


と止められた。なぜだろう??と思いつつ、Tさんの呼び込みを飛ばして、患者さんの診察を続けた。10分ほどかかっただろうか、地域連携室の課長がやってきた。


「先生、大変申し訳ないですが、インフルエンザクラスターの状況と、スタッフの状況を考えると、Tさんの受け入れはできません。近隣の精神科併設の病院を当たるので、よろしくお願いします」


とのこと。


「わかりました。謝罪はTさんと、仕事を調整してついてきてくださったご親戚の方にしてください。私からも謝罪します。」


と伝えて、Tさんとご親戚を診察室に呼び込んだ。


「お待たせしました。お仕事も調整をつけておいでいただき、ありがとうございます」

「先生、すみません。叔父ですが、前回もらった寝る前の薬を飲んでから、傍でみていると、少しハイになったような印象を受けていました。今日はいつものようにまっすぐは歩けず、身体も左に傾いていきます。」

「なるほど、わかりました。大変申し訳ないのですが、『今日、こちらに入院』ということでおいでいただいたのですが、先ほど病棟のベッド管理をしている地域連携室から、『どうしてもベッドの調整がつかず、当院での受け入れができない』と連絡を受けました。ご足労いただいたのに大変申し訳ありません。こちらで、診察と、必要な検査を行ない、入院可能な病院を調整します。本当にすみませんでした」

「えっ!そうですか?『今日こちらに入院』ということで、私は仕事を休んできたのですが…。わかりました。ただ、この状態ではとても自宅での生活は無理なので、何とかお願いします」


付き添ってくださっているご親戚の方が、非常に多忙な仕事をされているのは知っているので、大変申し訳なかった。それに、Tさんは明らかに座っていても身体が左に倒れこみそうになっている。体幹失調があるようだ。歩行も不安定である。中枢神経系にトラブルがあるのだろうか?よろしくない兆候である。


身体所見を確認。体幹や四肢に骨折はないこと、眼球運動に異常は目立たず、少なくとも顔を強く打ち付けているが、眼窩底吹き抜け骨折はなさそうだ、と判断。頭部~顔面CTと、右手に大きな傷があるようなので、手のレントゲンを確認した。


頭蓋内出血や脳挫傷の存在を一番に心配していたのだが、頭部CTでは、前回の写真と比較して大きな変化はなさそうだった。頭蓋内出血は緊急手術を要する場合があるので、『それがない』ということは助かった。しかしそれでは、ふらつきや体幹失調は説明できない。それはそれで今結論を出す必要はないので、pendingである。手には骨折はなさそうだった。


患者さんは画像検査後、傷の処置をお願いしていた。


「先生、手の傷、見てもらえますか?」


と外来看護師さんから呼ばれ、傷を見せてもらう。右手背に3×3cm大のえぐれるような挫創で、一部不良肉芽を形成していた。感染創の可能性があり、プロスタンディン軟膏はちょっと避けたいところである。薬品供給不足の影響で、現在、イソジンシュガーパスタ(ISP)の供給が停止している。浸出液の多そうな創なので、ISPを使いたいのだが、薬がなければしょうがない。当院にはおいていないが、浸出液の吸収力の高い貼付材で保護するのが適当かと思ったが、とりあえず、ゲンタシン軟膏+ガーゼというold-fashionedな処置とした。


ご本人、ご親戚の方に入室してもらい結果説明。心配していた頭蓋内出血性病変はなかったこと、今から紹介状を書いて、病院の調整をすることを伝え、待合室でお待ちいただくこととした。


大急ぎで紹介状を作成し、地域連携室に調整を依頼した。


その後外来診療を継続していると、30分ほどで受け入れ病院が決まり、無事に転送となった。


受け入れ病院が決まって本当に良かった、と思うと同時に、体幹失調や歩行困難、もしかしたら、MRIでないと分からないようなびまん性の軸索損傷などがあるのでは、と心配をしている。

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