第731話 この景色、いつ見ても辛いなぁ。
小学生のころ、市が行なっていた「平和登校日」。8/6~8/9の間の1日、登校日を設け、先の大戦を振り返り、平和について考える、ということを行なっていた。
空襲や、原爆で一面の焼け野原となった街の写真を見て、何とも言えずつらい気持ちになったことと、そこから新しい街を作り上げた人間の力を「すごい」と思ったことを覚えている。
写真でしか見たことのない光景を、現実のものとして目にしたのは「阪神淡路大震災」だった。何度も遊びに行った神戸の街ががれきと化し、何度も通ったことのある高速道路が横倒しになる、など、信じられない光景であった。この地震では、学友も被災したし、自宅もかなり揺れた。卒業論文の作成に必死だった時期だったが、大学も被災し、3週間近く実験を再開できない、など、自分自身にとっても大きな影響を与えた地震だった。日に日に増えていく、犠牲者の数に胸が痛くなったことを覚えている。
「東日本大震災」では、うんと離れた関西の地でも地震が伝わった。震源が東北の太平洋側、と聞いて、誰ともなく医局のテレビをつけた。リアルタイムで放映される津波の画像は、画面を通してみているためか、リアリティを感じない。私たちの想定を超えることが起きていた。
そして今回の地震である。妻の親戚の集いに参加し、それなりにお酒をいただき、「それでは、これで失礼します」と一族の総領である叔父に挨拶し、コートを着たりしているときに地震が届いたようだった。誰かが「あっ、地震!」と声を上げ、確かに電灯がかなりゆらゆら揺れていたが、私自身が酔っぱらっていたので、よくわからなかった。
時代は進み、誰もがスマホを持っている時代。「えっ?震源が能登半島だって!」という声に驚いた。私にとっては、「東日本大震災」の記憶と大きく重なった。
それから起きていることは、皆さんもよくご存じのことだろう。一面の焼け野原となった能登の朝市、ほとんどの建物が崩壊し、津波の被害にもあった珠洲市の街並み、アクセスするための道路がほぼすべて使用できない状態となっていること、日を追うごとに増えていく死者数、やはり報道を聞くのはとてもつらい。現地の人はもっとつらいだろう。
昨日は、5歳の子供が亡くなったことをラジオで聞いた。地震でやかんで沸かしていたお湯が全身にかかり、全身のやけどを負っていたらしい。大変つらいニュースである。
アクセスする道路が応急処置され、支援が入って、ある程度インフラが回復するまで、しばらく時間がかかるだろう。この寒い時期に大変お辛いと思う。自然は理不尽で、その力の前には、人間の力は無力だ、と痛感することだらけである。
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