第730話 それは「フェイント」だよ…。

毎週水曜日が私の訪問診療担当日である。2023年最後の訪問診療から戻り、在宅部兼訪問看護ステーションの部屋で、訪問診療中にかけなかった処方箋(薬の用法容量を確認したかった)など、書類仕事をしていると、訪問看護ステーション所長兼任外来・在宅部看護師長から、「先生、ちょっとご相談が」と声をかけてこられた。


「先生、Jさんって言われてピンとくる?」

「あぁ、わかります。普段は神経難病で他院に通院されていて、脂質異常症の定期薬とか、便秘がひどいときなんかに僕の外来に来られる患者さんですよね」

「そうそう。そのJさんやねんけど、相談があるねん」

「どうされたんですか?」

「年末年始は、奥さんの介護疲れでショートステイの予定やってんけど、昨日訪問看護師が行ったら、こんな皮疹(と言ってスマホで画像を見せてくれた)が出ててんて。ショートステイ先が、『治療が必要な病気やったら、ショートステイは受け入れられません』って言うてきたんやって。ケアマネージャーさんが、『皮膚科に受診したら』っていうたら、『そしたら、保谷先生に診てもらいます』ってJさんが言うてはるねん。先生、明日の外来で診てもらって、処置とか必要やったら、入院させてもらえる?」


写真を見ると、円形の正常な皮膚の外側に、黒変した放射状の病変を持つような皮疹が複数個集簇している。訪問看護師さんは「帯状疱疹みたい」とおっしゃられていたそうだが、写真を見る限りではそうは見えなかった。


「はい。外来に来てもらうのは構いませんけど、僕、皮膚科とちゃいますよ(違いますよ)」

「Jさんがね、『保谷先生にみてほしい』って言うて、今日の受診も拒否しはってん。先生ご指名やで。」

「はぁ。ご指名なのはありがたいけど、困ったなぁ。Jさん、こだわりがつよいからなぁ。それに、『入院』というても、明日外来に来て、入院してもらったら、明後日診たら、後は年明けですやん。まぁ、来てもらうのはOKです。皮疹を見て考えます」

「じゃぁ先生、よろしく!」


Jさんは、神経難病をお持ちで、少しこだわりのある方である。土曜日に「便が出ない」ということで来院されることが多く、一時は「土曜日は保谷医師の1診制」で外来をしていたことがあったので、私が対応することが多かった。それで、私の対応に信頼を置いてくださったのならありがたいことではあるが、スマホの写真を見ても、想定される皮膚疾患が思いつかなかった。


「中国の医療の『吸い口』?(手のひらサイズのガラス半球に、一瞬火を入れ、すぐに背中の皮膚にかぶせる。熱が冷めることでガラス半球の中が陰圧になり、皮膚が吸い込まれていき、しばらく時間を置いて外すと、陰圧による毛細血管損傷で背中に丸いあざができるが、「それで身体に溜まった毒素が抜ける」との話らしい)。でも「吸い口」だと円の内側に紫斑ができるけど、写真だと円の外側に病変があるしなぁ…」


と思いながら、ネットや手持ちのアンチョコ本を調べるが、それらしき皮疹は見つからない。


自宅に帰った後、医学書を詰め込んだ段ボールの中をひっかきまわして「皮膚科アトラス」を見つけ、確認したがそれらしい皮疹は見つからなかった。「なんだろう??」と思いながら、その日は眠りについた。


木曜日、私の年内最後の外来。いつもの外来セットと、『皮膚科アトラス』そして、皮膚科の非常勤Dr.の私物(「使っていいですよ」と言ってくださっている)である皮膚科の教科書をもって外来に向かった。


9:30頃か、Jさんが奥さんの押す車いすで診察室に入られた。Jさんとはこの3か月ほどはお会いしていなかったように思う。随分お痩せになられた様子であった。


「先生、ご無沙汰しています」

「おはようございます、Jさん。体調はどうですか?昨日訪問看護の方から聞きましたが、皮疹が出ているとのそうですが」


すると奥様が、

「そうなんです、もう2,3週間前からです。いまはずいぶんと枯れてきているようですが。痛みは訴えなかったですが、少しかゆみがあったそうです。背中と、おなかに同じような皮疹が出てました」


とのこと。Jさんを診察ベッドに移動してもらい、皮疹を見せてもらった。


スマホの写真とは全く違う印象で、左の腰背部と、腹部に、デルマトームに従うように出現している枯れ始めた水疱が集簇していた。実物を目にするとなるほど、確かに帯状疱疹である。しかも2,3週間前の発症なので、抗ウイルス薬の適応でもない。


「Jさん、痛みはなかったですか?皮疹を見ると、やはり「帯状疱疹」です。発症から2,3週間経っている、ということであれば、抗ウイルス薬の内服は不要です。水疱は残っているから、抗ウイルス薬の軟膏を塗ってもらおうかと思いますが、ショートステイには行ってもらってもいいと思いますよ」


と伝えると奥様から、


「先生、ショートステイは中止しました」


とのこと。ありゃりゃ。奥様の介護疲れ、ということでショートステイを予約しておられたのだから、奥様の介護疲れ軽減も考えないといけない。るい痩も進んでいるし、栄養の補充も必要だろう。「必要なら入院」って師長さん、おっしゃってたけど、ここまで話が進んでいたら、「入院してもらう」以外の選択肢はないがな、と考えた。


「Jさん、奥さんの介護疲れもあってショートステイを予定していた様やから、奥さんに休んでもらうためにも、入院してもらいましょう。私の勤務も明日までなので、それ以降は年明けになるけど、いいですか?」と本人に了解を取り、入院とした。


外来中なので、入院用の指示箋やカルテは十分に書く時間がない。食事箋や入院時のレントゲン、心電図など、最小限の指示を記入して、病棟に上がってもらった。


外来が終わり、その足で病棟に向かい、必要な書類や診察所見などのカルテを書いていると、病棟の主任さんから、「Jさん、ショートステイの予定はもともと1泊2日だったそうですよ」とのことだった。


何じゃそりゃ。「処置などが必要ならショートステイに行けないので、入院させてほしい」と外来師長さんに聞いていたのだが、1泊2日なら入院は不要だったのではなかろうか??


Jさんにとっては不便だが、年明けまで入院してもらおう。「退院」の時も、なんだか「自宅の調整」云々で長引きそうだなぁ…、と頭を悩ませている次第である。

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