第726話 足し算、引き算ができないの?

第704話、705話の「私が冷や汗をかいた」の続きである。


高度脱水、低血圧で大急ぎで元の病院に転送した。転送当日はICUに入室していたようだ。


先方の病院から、「CVポートを造設したので転院を」との依頼があったので、約束通り「受け入れOK」 と返答し、受け入れ準備を行なった。


転院当日、ふと気になり、先方の病院に「水分のin-outバランスを知りたいので、熱型表を送ってください」と連絡した。しばらくして、尿量、回腸ストマからの排液量が送られてきた。その表を見て、頭を抱えた。


ここで基本的な生理学のおさらい。一日に体内で産生される老廃物は約600mOsm程度と推測されている。腎機能の正常な方では、尿の濃さを50mOsm/L~1200mOsm/Lまで調節することができるとされている。一日に体内で産生され、尿で排泄されるべき老廃物をすべて排泄しようとすると、最も濃い濃度で尿を作っても、500mlの排尿がなければ排泄しきれない、ということになる。すなわち、一日に最低でも500mlの尿量を確保する必要がある、ということである。なので、尿量が100ml~500ml/日しかない場合を「乏尿」、100ml未満なら「無尿」と呼んでいる。「乏尿」「無尿」とも、705話で記載の通り、速やかに改善すべき状態である。


ところが、送られてきた排液量、尿量を確認すると、尿量が連日、200ml~300mlとなっていた。回腸ストマからは2500~3000mlが排液されていた。


ガックリ半分、怒り半分である。医師も、病棟看護師も「尿量200ml/日」をどう考えていたのだろうか??上記の通り、尿量<500mlは急いで補正すべき状態である。しかもそれが連日続いているわけである。とてもじゃないが、「患者さんの状態をしっかり診て(看て)、管理している」とは言えない。こんなことは基本の「き」である。病棟看護師さんが、尿量200ml/日と熱型表に記載して何とも思わなければ、「看護のプロフェッショナル」である「看護師」の資格を疑うし、看護師が「尿量が少ないです」と医師に報告をして、医師が動かなければ、「医師失格、医学部の2年生、生理学から勉強し直し」である。


さてさて、そんな状態で患者さんが戻ってこられた。ご家族の方にお話を伺うが、「尿の話や脱水の話」などは全く受けていない、とのことだった。


「多分脱水がひどいだろうなぁ」と水分の出納の依頼をかける前に、前回も確認した下大静脈の状態を見るために、腹部CTの指示を出していた。出来上がった転院直後の画像を見る限り、前回以上に下大静脈はペタンコであった。脱水はさらにひどくなっているようであった。


Dr.からの紹介状を確認する。「CVポート作りました。腹部のドレーンチューブについては、前回紹介状に書いたとおりです」とのこと。読んでいて、少し「ケンカ腰」の雰囲気を漂わせた文面のように感じた。「前回紹介状に書いたとおり」とのことだったので、前回いただいた紹介状を確認するが、腹部のドレーンチューブについては、全く何も記載がなかった。「先生、何を言ってるの?」状態である。


看護師さんは看護師さんで、前医からの看護サマリーを見て、大いに腹を立てていた。


前医の看護サマリーには、「転院先の病院では点滴路の確保ができないため、CVポート作成依頼があり、当院に転院」と書いてあったことに一番怒っておられた。


手足の血管から行う末梢点滴については、点滴路からの感染予防のため、72時間ごとに場所を変えて差し替えることが推奨されている。患者さんの血管、あと2回程は差し替えができそうだが、それでも1週間と持たないわけである。


この患者さん、初回の紹介状では「術後で体力、ADLが低下しました。リハビリをお願いします」という内容だったと記憶している。仮に「看取り方向での管理をお願いします」ということであれば、CVポートを造ったりはしない。


「リハビリ」をして元気になってもらおうとすれば、点滴のサポートはおそらく「年」の単位になるはずである。「『年』の単位で末梢点滴路が取れるわけではないので、CVポートの造設が必要です」と当院からの紹介状には、そのように紹介理由を書いたはずである(私が書いているので、間違いないはずであるが)。


この看護サマリーを見ても、先ほど書いたように「長期ビジョン」をもってこの患者さんを看ている、というわけではないのだなぁ、と分かるわけである。長期間、大量の輸液を行なうことを考えるなら、四肢の血管の状態は明らかに心許ないのが一目見てわかるほどであるからだ。


初回、患者さんが当院に来られた時は、医師の紹介状ではなく、看護師さんの看護サマリーに、1000ml/日の点滴をしています、との記載があったことを覚えている。そして今回のサマリーでも、同様に1000ml/日の点滴をしている、と書いてあった(今回も、医師の紹介状には何も書いていなかった)。


医学部に入学するときにはあれほどクソ難しい数学の問題を解かなければならないのだが、実際に臨床医として、患者さんの命を守るために使う数学は、きわめて単純である。


回腸ストマから2600ml/日、尿量 200ml/日の排泄がある。ここに、呼吸で逃げていく水蒸気や皮膚から蒸散する水蒸気(医学的には「不感蒸泄」という)がおよそ500ml/日と考えると、身体から出て行っている水分は単純に足し算をして、3300ml、ということになる。点滴で1000ml/日を身体に入れても、まだ2300mlの水分が足りない。この患者さんの食事量、飲水量を考えても、とてもじゃないが2300mlの水分は取れないし、経口摂取であれば、結局それなりの量が回腸ストマから出ていくだけである。


医療の世界で”in-out balance”と呼ばれているが、何のことはない、単純な足し算と引き算の話である。腎臓に余力があれば、尿は2000ml/日程度までは十分に排泄できるので、予測されるoutの量を、尿量500mlとして勘案すると3600ml、経口摂取である程度水分が取れるとしても、3000ml/日程度の輸液を行なわなければ、脱水は改善しない、というか、3000ml/日の輸液をして、ようやくin-out balanceはトントン、釣り合う程度となる。


1000ml/日程度の点滴で平然としている感覚、尿量が200ml/日程度が数日(当院転院から戻ってくるまで1週間程度)続いていても、輸液量を増やさないという感覚、私には理解不能である。少なくとも、私が初期研修医で外科をローテート中は術後、血管内脱水となることが多かったので、頻繁に「患者さんの尿量が少ないです」と病棟から電話があり、「ラクテック(乳酸化リンゲル液)500ml点滴して、また尿量教えてください」というやり取りを頻繁にしていたことを覚えている。なので、ここまで「尿量低下」に危機感がない、というのが全く理解できなかった。


CVポートからの輸液なので、吸収不良症候群の存在も考え、TPN(中心静脈栄養)も併用して、3000ml/日の輸液を指示し、ようやく尿量が確保できるようになった(昨日は1500ml/日、標準の尿量)。明日から正月休みなのが気になるのだが、患者さん、きちんと診てあげようよ。CVポート作っていただいてありがたいし、メスをもって、病巣を切除してくれる外科医がいなければ、治療できない疾患がたくさんあるので、私は外科医に敬意を持っているが、このような全身管理では、「手術はうまくいったけど、そのあとなんか分からんけど亡くなった」ということになるよなぁ、と危なっかしく思った次第である。

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