第715話 巧言令色鮮し仁

最近の様々な報道で、「若者の非婚化」が叫ばれている。「結婚」だけでなく「恋愛」を忌避する傾向にある、という報道も見かける。ここ近年特徴的な風潮だが、とはいえ、20年ほど前、私が研修医だったころから、その傾向は指摘されていた。


結構いい感じの男性や、魅力的で素敵な女性が「結婚できない」ことを真剣に悩んでいる一方で、ER当直をしていると、色々な意味で「う~ん」と思うような男女が「ご夫婦」であることも珍しくなかった。何らかの金銭的な利点があるのかどうなのか、「愛情」があるのかどうなのか、傍で見ていてもよくわからなかったが、ご夫婦ともに受付やERの診察室内で「ワーワー」と人を威嚇している姿を見ると「割れ鍋に綴じ蓋」なのか、「朱に交われば赤くなる」というべきなのかは不明であるが、悪く言えば、「こういう形の夫婦もあるのだから、自分は結婚前に結構悩んだけど、あんまり悩まなくてもいいのかの知れない」という思いが浮かんだのは確かである。


それはそれとして、「結婚する」ことの重さは、どちらかといえば男性よりも女性の方が重いように思うのだが、どうだろうか?そして、私がERで感じた一番の疑問は、「何でこの女性、この男性と結婚しようと思ったんだろう?」という事である。


悪く言えば、「男性がどうやって、この女性を「結婚しよう」という気にさせたのだろう?」という疑問でもある。実際の社会においても、「結婚したらDV男だった」、「モラハラ男だった」などという話は耳にタコができるほど聞く話である。なぜ気づかない?という気がしないでもないのだが、よくわからんなぁ、と長らく思っていた。ただ、たまたま昨日の外来中、その一端を見たような気がした。


患者さんは当院関連のメンタルクリニックに通院中で、体調不良時には当院に臨時受診をする男性である。パートナー(婚姻関係はなさそうだが)の女性も同様の受診形態をとっていて、時々青あざを作って受診するなど、確証はないもののDVもあるのではないか、とスタッフも思っている。少し待ち時間が長いと、「いつまで待たせんねん!」と待合室で威嚇したり、近くの薬局では、薬局にアクセスする道路が細いのだが、その道路の交差点部分に車を止めて、「今、道封鎖してんねん」などと言っている男性である。スタッフみんなが、「う~ん」となる人である。


今回その人が、2回連続で「咳が止まらない」ことを主訴に私の外来に受診した。喘息があり、吸入ステロイドもメプチンも吸って、鎮咳薬も飲んでいるが咳が止まらないとのことだそうだ。「メジコンくれたらすぐ治るねん。薬局にメジコン置いているのに、何でここでメジコン出されへんねん!」とイライラしている。医事課と薬剤課の決め事で、一つの効能の薬品は1種類のみ、という院内ルールがあり、当院では中枢性非麻薬系鎮咳薬は「アスベリン」を採用しているので、院内のレセプトPCでは「メジコン」の処方箋が出せない、というルールになっているのだ。メジコンが出せないのは、私の知ったこっちゃないが、ヤイヤイいわれるのもストレスである。ちなみに胸部レントゲンでは異常影を認めず。タバコは普通に吸っているとのことであった。まず禁煙が大事だろうと思い、「咳が出ている間は禁煙してくださいね。タバコを吸ってたら、咳、止まりませんよ」とくぎを刺し、「医事課に『メジコン』が出せるかどうか確認しますね」と伝え、医事課に「メジコン、あるいはデキストロメトルファンは処方できますか」と電話を掛けた。


「折り返し電話します」といわれたが、電話を切られてしまうと、その間、またこの人の相手をしなければならない。なので、「いえ、電話はこのままつないでおいてもらっていいですか?」とお願いした。


という事で、私は受話器を持って固まった状態になっている。患者さんはしばらくブツブツといっていたが、やおら、診察室にいるメディカルクラークさんを口説き始めた。


「そういえば、とてもきれいですね~。目元、アイラインとか入れてます?入れてなくて、それだけ目がきれいな人っていないですよね~…」と。


今日び、あまり面識のない人にそんなことを言えば、下手をすれば「セクハラ」といわれてしまうが、このような人、日常の行いが「カスタマーハラスメント」なので、おそらく「ハラスメント」なんてことを気にしていないのだろう。自分のパートナーがいる目の前で堂々と他の女性を口説けるわけである。


「そうか、そういう事か」と長年の希望に得心がいった。これで、「下手な鉄砲~」とすれば、どこかで当たるだろう。当院のスタッフは、これまでの行状を知っているから心動くことはないだろうが、あまり知らない人から、自然な出会いの中で、このような行動をとられればぐらりと来る人がいてもおかしくないのかもしれない、と得心した。


デキストロメトルファンは処方できる、とのことだったので、それを処方して患者さんにはお帰りいただいた。いわゆる「ナンパ」の現場を初めて見たが、色々な意味で、「なるほど~」と思った次第である。ただ、たくさんの誉め言葉には中身が伴っていないこともよくわかった。「巧言令色鮮し仁」とは、まさにこのことである。


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