第642話 いつ「成功」への道のりを学ぶか

今回の文章はYahooニュースに取り上げられていた“FORZA STYLE”の記事に対する感想文です。


今年の夏の高校野球は、ある意味で「時代を画した」ものとなった。104年ぶりの優勝、とのことだが、「エンジョイ ベースボール」を掲げ、高校球児の代名詞でもある「丸刈り」のヘアスタイルを取らず、自主的に練習を運営していた「慶応高校」が全国制覇を成し遂げた、ということである。


記事では、今夏の慶応高校の活躍を見て、従前のある意味「精神論」的高校野球に対する疑問、不信感が「球児」やその「保護者」に広がり、指導者がそれに戸惑う現状を取り上げている。


私の個人的考えではあるが、若いうちに一定期間、「何か」にひたすら寝食を忘れて打ち込む、という経験はした方がいいと思っている。私にとっては、それは高校時代の「クラシックギター部」、そして「ギター」であった。


「一つのことに真剣に打ち込む」ということは、ただ「楽しい」だけではない。「本当の楽しさ」を知るために乗り越えなければならない「壁」というのは実際に存在し、それを乗り越えるには相当の努力と精神力を必要とする。


これも個人的な意見ではあるが、「楽しくポロポロ」と弾くだけでは演奏できない曲の一つとして、「アルハンブラ(アランブラ)宮殿の思い出」がある。示指、中指、環指(薬指)の三本でトレモロを弾き続けなければならない曲である。この曲が弾けるようになれば、「胸を張って」クラシックギター演奏が趣味です、と言って恥ずかしくない曲である。


地道に、トレモロの練習を続け、粒のそろったトレモロを弾けるようになるまでは結構な基礎練が必要である。そのうえで譜読みをして、何とか形になるようになるまで、それなりに時間と努力が必要である。一朝一夕には弾けない曲である。これは私の経験と言い訳になるが、医学生時代、2年生の夏休みに2か月ほど集中してアルハンブラを練習した。ほぼ8割がた完成、というところまで持って行けたが、夏休み明けから、解剖実習が始まり、その後、そこまで本気でギターと向き合っていないので(楽しみでポロポロと弾くだけ)、今では指がなまって弾けなくなっている。


閑話休題。高校球児でも「甲子園」を目指して「野球推薦」で進学した子供たちは、「何か」にひたすら打ち込む、ということを経験しているであろう。しかし、「野球部」の部員全員がそのようなメンバーで占められているわけでもなかろう、と思う。


「慶応高校」の生徒たちは、まず「慶応高校」に入学している、という時点で、実は「大きなもの」を乗り越えてきている。というのは、同校に進学するための「高度な学力」、いわゆる「受験戦争」を「勝ち抜けた」ということである。慶應義塾の系列校、いずこであれ「高い偏差値」を有しており、その水準まで自己を高めることは、自身にとって「全力で取り組む」ことを要求されるからである。


記事では、野球部の指導者のインタビューを載せていたが、「自身が高校時代に野球部で培った「耐える力」がその後の人生で大いに自分を助けてくれており、指導している子供たちにも、同様の経験をしてほしかった」とのことであった。


この指導者が「高校時代に野球部で培った『耐える力』」、おそらく慶応高校の生徒であれば、野球部に限らず、入学時点で、「受験競争」の中で培ってきていると感じている。


長男は「中学受験」を経験しているが、子供たちが生まれてすぐのころに、妻と二人でファイナンシャルプランナーさんに依頼し、そこで立てた人生設計では、子供たちは公立中学、公立高校に進学、というスケジュールでプランを組んでいた。ありていに言えば、子供たちに「中学受験」をさせる気などさらさらなかったのである。


ただ、本人が「中学受験をしたい」と、(本当に)自発的に申し出たので、その方向に路線変更をしたが、彼自身が自分で言い出したこととはいえ、本当に「中学受験」勉強は厳しかった。不本意な成績に、彼自身が涙することもあった。そういう「自身との闘い」を乗り越えて「志望校合格」を勝ち取ったのであるが、そこで得た経験は、私が時に涙しながら弾き続けたギター部での経験と同等の価値を持つものを、彼に与えたのであろうと思っている。


少し脱線してしまったが、そんなわけで、インタビューを受けた野球部指導者が、高校時代野球部で身に付けた「耐える力」、慶応高校の生徒たちは、入学の時点で、ほぼ身に付けているわけである。慶応高校の面々は、厳しい受験社会のなかで、いわゆる「勝者」に分類される人たちである。


なので、わざわざ、高校の野球部で「苦労」を経験させる必要もない。高い目標を設定し、それを達成してきた人たちなので、部員自身に目標を与えれば、目標達成までのステップを彼ら自身で考え、それを実践してくれるわけである。自律性を持ったチームに必要な指導者は、彼らの成長を妨げない人、部員たちのレベルの高い問いに対して、論理的、科学的に示唆を与え、解決への方向性を示してくれる人である。


戦前から、東京の公立名門高校からの東大進学率は高かった。各高校それぞれに特色のある教育を行なっており、その教育方法が、その高い進学率を支えていた、と当時は考えられていた。


しかし、1960年代、通達にて「進学指導」の禁止、各高校間の学力格差を無くすための「学校群制度」の導入によって、従来の公立名門校の進学実績は軒並みがた落ち、見るも無残なものとなった。その結果から見ると、なんてことはない。名門校が「名門校」足り得たのは、「生徒」が優秀であったからに他ならない。教師の教育方法云々は関係なかった、というのが結論である。近年、東京都の公立高校の制度も変わっているようだが、関西在住の私にはそこまで細かいことは分からない。ただ言えることは、「良い結果」を出せる高校は勉学であれ何であれ、「生徒」自身が優秀である、ということである。


慶応高校野球部のスローガン、「エンジョイ・ベースボール」、彼らは、本当に野球を楽しむために乗り越えなければならない大きな壁を認識している。その厳しい練習を乗り越えた上でしか分からない「野球の楽しさ」を求めている、というスローガンだと彼らは認識している、と私は思っている。


今回の記事は、指導者のレベルアップ、という問題だけでなく、慶応高校野球部が持つ背景を知らぬままに、表面上のスタイルだけを見て指導者を非難する保護者や生徒たちへの警告、という意味もあるのではないか、と思った次第である。

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