第639話 「いかに魂を高潔に保つか」

前章と同じく、R5.10/15 読売新聞朝刊「本 よみうり堂」より。


このコーナー内コーナーで、「私を作った書物たち」というものがある。今月は市川 沙央氏の担当である。今回は「空の怪物アダイー」(大江 健三郎著)を取り上げていた。ただ、私は今回の氏の書評に強い感銘を受けた。


氏は先天性の障碍を持ちながら生きてこられた。今回の氏の書評も、身近に「病」を意識しながら生きてきた氏ならではの文章だと思った。


氏の文章を一部引用する。


「14歳で病の進行により在宅医療生活に陥った少女が当時何を考えていたかって、そりゃあ魂をいかに高潔に保つかであり、空のベッドを見慣れた者は、生きることにネガティブな思いなど抱かないのだった」(注:「空のベッド」は、病院の中で、そのベッドで療養していた子供が亡くなり、『空』となったベッドを指す)


私自身も自分の「魂」をいかに高潔に保つか、と煩悶したことを覚えている。私自身は大病をせずに中学、高校生活を過ごしたが、「疾風怒濤期」とも呼ばれる思春期(特に男性)には、自身の「心」と「身体」の解離に苦労した。


バカみたいなテストステロンの暴走に翻弄される肉体を懸命に精神力で押さえ込み、魂の底から「特定の異性」を愛する、ということは「心身ともに」ということに気づき、否定することのできない自分の体の「男性」性を抑え込むために、そして、だんだんと理解してきた、自分の生きている社会の「暗黒面」も理解し、邪悪なもの、聖なるものをすべて含んだ「人間」というもの、自分自身もその「人間である」と痛烈に体感した時に、やはり私は「いかに自らの魂を高潔に保つか」ということを真剣に考えた。


氏と違うところは、「空のベッド」を実感として持っていなかった私は、どこかで「私」という存在が清濁併せた状態で存在していることに罪悪感を持ち、上座部仏教の一つの悟りの在り方である「灰身滅知」を志向したことである。


氏の文章を読みながら、そんな若いころを思い出した。

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