第630話 病棟待機医の苦悩
何度も書いていることだが、私は火~金までの早出と、火曜日午前、水曜日午後の病棟待機を担当している。
先の水曜日、午後に病棟から連絡があった。
「先生、すみません。先生の患者さんではなく、真鍋先生の患者さんなんですが、最近、「胸が苦しい」ということが多いのです。今も、「胸が苦しい」とおっしゃっているのです。今日の病棟待機が先生なので、患者さんを診ていただけますか?」
とのこと。自分の患者さんではないので、患者さんの基礎疾患、背景はよくわからないのだが、「胸が苦しい」ということならすぐに対応が必要である。
「わかりました。すぐ行きます!」
と返答し、すぐ病棟に駆けつけた。
リーダーの看護師さんが、「今はだいぶ楽になったそうですが…」と言いながら、患者さんのところに案内してくださる。
「すみません。内科の保谷と言います。『胸が苦しい』と看護師さんから聞いたので、診察に来ました。今はどうですか?」
「今はだいぶましです」
「しんどい時はどんな感じですか?一度しんどくなると、どれくらいの時間しんどくなりますか?」
と胸部聴診後、患者さんからお話を聞いた。みぞおちから前胸部に掛けて、何とも言いづらい重い感じが、数分間続く、とのことだった。心疾患の既往があるとのことであり、狭心症が一番疑わしいと考えた。抗血小板薬は飲んでおられるようだったので、ニトロペンの舌下錠を処方し、翌日、主治医の診察を、とカルテに記載した。
翌木曜日、いつものように朝の回診をしていると、急に院内PHSが鳴った。何だろう、と思いながら電話に出ると、
「保谷先生、今すぐこちらの病棟に来てください!」
とのことだった。看護師さんの声も切迫していた。先ほどまで回診でとどまっていた病棟だったが、慌てて戻った。
「先生、こちらです!」と呼ばれると、前日にニトロペンを処方した患者さんだった。朝食を食べているときに、急に胸が苦しくなった、とのことだった。
「どうされましたか?ご気分はどうですか?」
「朝ご飯を食べていたら、胸がひどく苦しくなって…」
とのこと。患者さんは血圧低下などのバイタルサイン変化はないものの、結構な冷や汗をかいておられた。患者さんが冷や汗をかいてしんどがっているときは、「命にかかわる」危険なことが起きているサインである。前日のことを考えると、心筋梗塞の可能性が高そうだ。
「すぐに点滴路を確保してください。ニトロペンは2回使ったのですね。そしたら、ニトロ製剤はもう追加は不要でしょう。心電図と、トロポニンを含めた採血を取ってください。もうすぐ主治医も出勤してくるので、主治医が出勤してきたら、私からも声をかけますし、病棟からも連絡してください」
と口頭で指示し、すぐにナースステーションで点滴路確保のための輸液指示、心電図、血液検査のオーダー用紙を作成、臨床検査科に連絡し、病棟で至急で心電図を取ってほしい、と伝えた。
検査技師さんが心電図を急いで取ってくださり、入院時の心電図と比較した。入院時の心電図も、今回取った心電図も、どちらもペースメーカーリズムで、異常Q波、ST変化、T波の増高ともなく、変化を認めなかった。血液検査の結果が出るまでには20分程度かかり、それまでに外来開始時間がやってくる。
経過と、心電図所見をカルテに記載し、外来の準備のため、医局に戻った。主治医の真鍋先生が丁度出勤してこられたので、
「先生、おはようございます。先生が診ておられる〇〇さん、最近胸が苦しい、とのことだったので、昨日ニトロペンを処方していましたが、先ほど、胸が苦しいと言って冷や汗をかいておられました。心電図は入院時と変化はありませんでした。ニトロペンは2回使っています。今、採血結果待ちです。診察をお願いします」
と診察をお願いした。
外来を開始して、15分ほどたったころ、検査室から電話があった。
「先生、朝の緊急オーダーの方、トロポニン陽性でした」
「ありがとうございます。患者さん、主治医が真鍋先生なので、真鍋先生に伝えていただけますか?」
と返事をした。やはり心筋梗塞だったようだ。検査をして、主治医に繋ぐことができて、「病棟待機医」としての仕事は果たしたかな、と思っていた。
その翌日の金曜日、いつものように定時の1時間前、7時に出勤すると、普段は寝ておられる当直医が、私の出勤を待っておられた。
「おはようございます。当直お疲れさまでした」
「保谷先生、先生が昨朝緊急対応されていた患者さんが、未明に心肺停止で発見されました。ちょっと経過について、モヤモヤすることがあるので聞いてもらえますか?」
「え~っ?!あの患者さん、心筋梗塞だからてっきり転院していたと思っていました。どういうことがあったのですか?」
と、転院されず、そのまま当院で入院継続となっていたことに驚いた。当直医の話を聞くと、患者さんの経過としては、昨日から心電図モニターがつけられていたが、心室性期外収縮が夕方から出現していて、単発→散発→連発と変化していたらしい。モニターの記録を振り返ると6連発を超えるような心室性期外収縮(6連発を超えていれば、病名は「期外収縮」ではなく、「心室頻拍」となる)も見られていたそうだ。そして、心室頻拍→無脈性心室頻拍→心室細動となった時点で当直医が呼ばれた、とのことだそうだ。
「カルテを見ても、ご家族にどのような病状説明をしているのか、急変時の対応はどうするのか、などが全然記載されていなくて、どう対応していいかわかりませんでした。バタバタした中で、ようやく、「急変時は蘇生処置を希望しない」という用紙が見つかったので、そのまま死亡確認、としましたが、カルテを見ても分からないことだらけだったので、「死亡診断書」は私は責任をもって書けませんでした。保谷先生のカルテ記載はしっかりされていたので、保谷先生が何を考え、どう動いたのかはよく分かったので、主治医の先生との対比があまりにも強くて、先生に言うべきことではないのですが、あえて言わせてもらいました」
とのことだった。
「先生、不快な思いをさせてしまいすみません、と私が謝ることでもないのですが、すみませんでした。主治医には死亡診断書の作成のことは伝えておきます」
とお伝えした。
今週は、何かと「急変」にあたるなぁ、と思いつつ、主治医の真鍋先生が出勤されてこられた時に、死亡診断書の件については作成をお願いした。
私が医学生を過ごした時代の少し前は、「心筋梗塞後の致死性不整脈」で亡くなられる方は多かった、と教科書に記載されていたことを覚えている。ただ、私が医学生のころにはCCU(Coronary/Cardiac Care Unit:冠動脈/心臓集中治療室)の整備とともに「致死性不整脈」が「死因」となることはうんと少なくなった、と理解している。
真鍋先生のお話では、もともと冠動脈の状態も悪く、腎機能も悪いためPCI(Percutaneus Coronary Intervention:経皮的冠動脈血管内治療)は行わない、とご家族とお話をされていたそうである。いつ急変が起きてもおかしくないと伝えておられ、ご家族もご理解されていたそうであった。
その旨、カルテに記載されていれば当直医も困ることはなかっただろう、と思った次第である。
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