第629話 「急性期」のような1日(3)

当院には、「救急搬送」の患者さんを受け入れる特別なスペースがなく、看護師さんが外来患者さんの問診を取ったり、採血をしたりする「処置室」で救急患者さんを受け入れている。


処置室に入ると、外来看護師さんから、


「先生、先ほど救急隊から連絡がありました。意識レベルはJCS-3、血圧は180代、脈拍は170程度と不安定だそうです。呼吸様式は少し不自然、とのことでした」


と報告を受けた。□☆さんが来る前に、点滴路確保用の点滴の指示、血液検査の指示、レントゲン、心電図の指示をあらかじめ記入しておくこととした。記入中に患者さんが到着、救急隊のストレッチャーから処置室のストレッチャーに患者さんを移したが、その時点で、患者さんの呼吸が明らかにおかしい。今にも止まりそうな微弱な呼吸で、下顎をカクカクと動かすような状態だった。「下顎呼吸」という、「死戦期」にみられる呼吸様式だった。


ストレッチャーに移す時点で、「ごめん!肩枕用意して!」と語気が強くなった。「肩枕」というのは、枕になるものを、肩に差し込むことで、「肩枕」をすると、頭部は後屈、気道は広がる、という、呼吸路を確保するための体位である。


肩枕をして、□☆さんのバイタルを測定している間に、救急車に同乗してきたデイサービスのスタッフ、そして救急隊から状況の引継ぎを行なった。デイサービスのスタッフからは、


「今朝、来られた時から発熱はないものの活気もなく、デイサービスのベッドで横になってもらっていた。昼頃から、呼吸が浅くなってきたので、ケアマネージャーに連絡し、こちらに搬送してもらった」


と伺った。救急隊からも、「現着時から、このような状態でした」とのことだった。


□☆さんは「開眼」はしているが、呼びかけに視線を寄せるわけでもなく、胸骨を握りこぶしでグリグリとしてみても(実際されるととても痛い。患者さんを痛めつけているわけではなく、疼痛に対する反応を見ている)、体動は見られない。救急隊からの事前報告では意識レベルはJCS-3(開眼しているが、自分の名前を言えない)とのことだったが、患者さんはただ目が開いているだけで、意識レベルはJCS-300、深昏睡である。眼球の変位はないが、一点を見つめているだけで、瞳孔径は3㎜、正円同大だが、対光反射ははっきりしない。


確かに血圧は180台だが、頻拍なので「大きな頭蓋内出血」がある、ということは考えにくい(脳血管障害の中でも、脳出血やクモ膜下出血など、頭蓋内に出血し頭蓋内圧が高くなると、血圧は高くなるが、脈はゆっくりになる(Cushing現象という))。何が起きているか分からないが、明らかにわかることは「命の危機である」ということだ。


高齢の方で、全身に中等度の浮腫があり、点滴路の確保も難しい。看護師さんが点滴路確保と採血をしている間に、気道確保のため、久しぶりにnasal airwayを挿入した。気管内の吸痰を行なうと「朝に食べた」と伺ったヨーグルトと思しき残渣が多量に吸引された。SpO2については、救急隊接触時から90%後半を維持している、とのことだったが、意識障害が目立つため、オーダーに頭部CTを追加した。


頭部CTは、脳室の拡大は目立つものの、明らかな出血性病変は認めなかった。胸部レントゲンは肺炎像は目立たず。血液検査では著明な白血球増多とCRPの上昇がみられた。


Focus不明だが、敗血症と判断すべきだろうと判断した。ご家族も来院され、当院に到着時の状態を説明。


「こちらに到着された時点で、命の炎は消えかかっていました。今も昏睡状態です。入院して治療をしていきますが、非常に厳しい状態だとご理解ください」


とお話しし、何とか部屋を調整して、入院してもらった。


□☆さんは、病棟に上がっても、深昏睡の状態であったが、呼吸は「下顎呼吸」から離脱。今度は頻呼吸になっていた。正常では、おおよそ15回/分だが、その2倍を超えていた。


バイタルサイン(生命兆候)は、意識状態、体温、血圧、心拍数、呼吸数を指し、そのいずれかに異常があれば、命にかかわりうる「何か」おかしなことが起きていることを指し示している。□☆さんは、意識は深昏睡、体温は38度を超えており、血圧は180台。心拍数は不整脈で180近くあり、呼吸回数も30回。バイタルサインは大きく崩れていた。


病棟に上がってもらった時点で、大急ぎで入院指示を記載する。予定入院の方は、事前に入院指示を書く、と書いたが、入院指示を記載するには小一時間かかる。大急ぎで入院指示と入院時所見、点滴指示などを書いた。記載しながら、再度画像を見直していると、「おやっ?」と思うことが見つかった。


拡張している両側の側脳室。後角のところをよく見ていると、不自然に平坦になっていた。


「もしかして、これ、デブリみたいなものが溜まって、ニボーになってるの?」と思った。デブリ、と考えると大脳白質と同程度のdensityである。頭蓋内には出血を疑う変化は認めなかった。中枢神経感染症で膿が溜まっているのか??よくわからない。それは放射線科の読影所見を待つこととした。


そんなわけで、大忙し、久しぶりにnasal airwayを入れる、などと少し急性期医療らしいことをした。よく頑張ったなぁ。

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