第628話 「急性期」のような一日(2)

慌てて電話を取る。


「保谷です~(お弁当をモグモグ)。」

「あぁ、先生。在宅部ですが、先週から訪問診療を開始した□☆さん、今日デイサービスに行ったのですが、『様子がおかしい』ということなので、受診を指示したいのですが…」


□☆さん、確かに先週、初回の訪問診療をした方だ。ひどい訪問診療依頼だったことを覚えている。先週の水曜日、訪問診療出発時に突然、


「先生、突然ですが、今日から□☆さんという方がエントリーされます。今日、Post-COVID 19ということで、凸凹総合病院を退院されます。退院当日ですが、自宅療養のための訪問看護指示書を凸凹総合病院が「書けない」ということなので、「訪問看護指示書」作成のため、退院後すぐの訪問診療です」


と同行の看護師さんから伝えられた。訪問看護指示書を「書けない」というのはひどい話である。


医師法には、診断書など、医師が書くべき書類については、患者さんの求めがあれば適切に作成、交付することが義務とされている。なので、本来なら「書けない」とはよほどの理由が無ければ言えないはずである。


こういうことは稀なのだが、例えば、普段は別の病院の整形外科的問題で定期通院を行ない、自宅で受けている訪問看護指示書も書いてもらっている患者さんが、たまたま、発熱で当院を受診。血液検査や各種検査で特段の異常もなく、咳、鼻汁があり「風邪症候群」と診断、自宅で療養が適切、と診断した時に、「月に2回も病院に行くのは大変なので、いつもの訪問看護指示書、こちらで書いてほしい』と言われた場合には、さすがに、こちらに「普段の訪問看護指示書」もなく、明らかに別に「主治医」がいるので、「指示書を書いてほしい、と言われても、患者さんの日常の詳細が分からないので、たまたま数分、普段とは別の問題で受診されただけなので、訪問看護指示書は「主治医」に書いてもらってください」と断るのはアリだと思う。


しかし、入院で数日間診療していた医師と、「今後主治医になるであろう」とはいえ、数分間の診察時間しかない医師のどちらが「指示書」を書くのに適切か、ということについては話が変わるだろうと思っている。少なくとも私は、退院された患者さんが、他の医療機関で治療の継続と訪問看護を受ける場合には、「初回の訪問看護指示書」は退院時に私が書いている。


とにかく、そんなわけで、退院後すぐの□☆さんの訪問診療に向かったが、退院直後なのに、熱源ははっきりしないものの、37.7度の体温が見られた。微熱があるし、このまま凸凹病院に『発熱しています』と紹介状を書いて帰ってもらおうか、とも考えたが、それもご家族の負担、本人の体力を考えると「ベストな選択肢」ではないわな、と考え、「熱が上がってくるなら、ご連絡ください」と言って経過観察とした。


心配していた通り翌日、在宅部から「□☆さん、38度台の熱が出ています」と連絡があり、当日訪問予定の訪問看護師さんに採血を依頼。血液検査では白血球、CRPの増多と細菌感染症を示唆するデータであり、尿道に留置されているカテーテルからの排尿は強く混濁していた、とのことだったので、暫定的に「尿路感染症」と診断。抗生剤を投与していた。


抗生剤投与後は解熱したものの、徐々に活気は落ちていったらしい。この日は熱がなかったので初回のデイサービスに出たが、元気がなく、デイサービスのベッドでお休みになっていたが、なんとなく呼吸の様子もおかしくなって来たらしい。


「(モグモグ)師長さん、お話は分かりました。ただ、私、これから新入院の患者さんが来られ、そのあとNSTの会議があるので、手が空きそうにないです。時間外対応も今日は私が当番ではないので、今日の時間外対応の先生に診察をお願いしていただくか、紹介状を用意するので、もともと入院されていた凸凹病院へ受診するよう調整していただけますか?(モグモグ)」

「あぁ、そうですか。わかりました。では一度、調整してみますね」


ということになった。


必死にお弁当を食べ、お茶と薬を飲むと、時計は13:30を指していた。大急ぎで病棟に降りていき、患者さんの入院の段取りを始める。入院指示は前もって書いているので、「段取り」とは言っても、患者さんが入院される直前にすることは、夜間せん妄などで身体拘束を要する場合の「身体拘束の承諾書」と、「急変時に蘇生処置を行うかどうか」の意志確認書を用意して、前もって医師署名欄にサインを書いておくこと、その話をするためのスペースと椅子の配置を用意しておくことくらいである。


入院予定時刻あたりに患者さん、ご家族さんが来院され、外来でレントゲン写真、心電図を取って病棟に上がってこられるので、入院予定時刻の15分後くらいに患者さんが来島されることが多い。が、当然その時間が前後することは日常のことなので、基本的には「入院予定時刻」には、前述の用意をして、病棟で待機しているようにしている。


予定の時刻をいつものように、15分ほど過ぎて、放射線科から「新入院の方、病棟にご案内願います」とナースステーションに連絡が入った。カルテと必要な用紙を、先ほどセッティングした机に置いて、エレベーター前で患者さんとご家族を待つ。エレベーターで上がってこられたら、「××さんとご家族の方ですか?担当します『保谷』と言います。よろしくお願いします」と声をかけ、ご家族は先ほど用意した椅子に案内。


患者さんは多くの場合、車いすで来棟されるので、車いすに乗ったままで測定できる体重計で、最初に体重を測定してもらった後、改めて「××さん、こんにちは。初めまして。私、担当します内科の保谷と申します。よろしくお願いします。少しお身体の診察をさせてくださいね」とお伝えし、簡単に身体診察を行なう。


患者さんの「認知機能」についてはある程度事前情報はあるが、その身体診察での受け答えも踏まえたうえで、十分な理解力、判断力、意思表示の能力があると判断すればご本人とご家族を交えて、そうでなければ、先に患者さんを病室に案内してもらい、着替えをしていただいている間に、ご家族の方に前述の「身体拘束の承諾」と「急変時の蘇生処置の要否」についてお話を行ない、意思を確認する。


入院される方は基本的に高齢なので、夜間せん妄で興奮されることは珍しくはなく、患者さんの安全確保のため、ベッド柵を追加したり、点滴路の自己抜去を防ぐために「介護服」を着ていただかなければならないことはしばしばである。急変の話も同様である。平均寿命を超えている方であれば、悪く言えば「いつ何が起きてもおかしくはない」のである。


落語などの話芸や演劇などでも、「演者」と「観客」の間で作り出される「空間」は存在する。それと同様に、医師が患者さんやご家族の方に、このような「厳しい」お話をするときにも、やはりそのような空間ができる。話をしている側としては、可能な限りその「空間」を壊してほしくない。落語や演劇などで、その「空間」が作り出されているときに、突然誰かの携帯電話が鳴ったりしたら、その瞬間にその空間は瓦解して台無しになってしまう。それは私たちも同様で、不用意な声掛けや、PHSのコール音でせっかくの「空間」が壊れてしまう。急変時の蘇生処置については、内容もシビアなので、その「空間」を壊してほしくはないのだが、ちょうどそのタイミングで、私のPHSが鳴った。PHSを見ると、在宅部の看護師長さんからだった。ご家族に断ってPHSに対応する。


「もしもし、保谷です」

「あぁ、先生。先ほどの□×さんの件ですが、今日の時間外対応の滝田先生、ちょうど別の患者さんのことでA病院とやり取りの最中、ということで対応困難。凸凹病院に連絡したら、満床で対応できない、という返事でした。デイサービスからは、『今から救急搬送したい』と連絡が入っています」


師長さんがそこまで動いてくれて、「診てくれる人」がいなければ、かかわり上、私が対応せざるを得ない。「救急隊の判断で適切な医療機関に運んでほしい」というのも「訪問診療」を受けた医療機関としては無責任ととられかねないことでもある。しょうがない。


「師長さん、了解です。ありがとうございました。今、新入院のご家族とお話し中なので、お話を終え次第、すぐ外来に向かいます」


と答えて電話を切った。ご家族にも「お話が途切れてしまってすみません。緊急で重症の患者さんが搬送されてくるとのことです。本来ならもう少しゆっくり考えていただくところですが…」と伝えて、急変時の対応を確認。書面に記載してもらい、


「この後、看護師から、病棟についての案内があるので、このままかけてお待ちください。バタバタしてすみません」


と伝えて、外来に向かった。


また次回に続く。

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