第624話 阪急京都線の特急電車 2800系と6300系(鉄分高め)

亡父が競馬好きで、私が幼稚園に行くか行かないかのころから、休みの日には競馬場か、梅田の場外馬券売り場(今のWINS梅田)に出かけるのが習慣となっていた。


幼稚園の卒園アルバムに「とっきゅうでんしゃのうんてんしゅになりたい」と書く程度には鉄道のことが好きだった私にとって、一つの贅沢は、梅田から自宅最寄り駅の間に、父にお願いして、特急、急行、普通と乗り継いでいくことだった。梅田から十三までは特急、十三から淡路までは急行、そこからは普通列車、ということをしてもらっていた。


そのころの特急は2800系。その他の車両が3ドア、ロングシートだったのに対して、2800系は2ドア、クロスシートの「特急専用」車両だった。十三を過ぎると、京都大宮までノンストップだったので、競馬の帰りに乗ろうとすると、当然一駅しか乗れないのだが、それでも、とてもうれしかったことを覚えている。車両の前面には、その他の車両は行先板が一枚くっついているだけだが、特急は2つ行先板をつけており、それも「特急」の「特別さ」を醸し出していた。


私が幼稚園のころだと記憶しているが、阪急京都線に新たな特急用車両として6300系が導入された。阪急の車両の中で初めて、「鉄道友の会」のブルーリボン賞をもらったりと、「名車」として名高い車両だが、始めて見たときは、あまりのかっこよさに言葉を失ったことを未だに覚えている。


「阪急電車」と言えば、創業時代からの「外観の塗装はマルーン、内装は木目調に緑のモケット」が伝統であったが、6300系から、屋根の一部が白く塗られるようになった。側面の車両種別の表示も、明るい方向幕となり、鮮やかな赤の背景に白で「特急」と大きく書かれているのはかっこよかった。前面も、それまでの車両にはなかった、シルバーの帯とそこに前後を表すライトがついており、それまでの車両とはイメージ一新であった。


あまりのかっこよさに、幼稚園のお絵かき帳に6300系の絵を描いたことを覚えているほど、自分の中で衝撃的だった。


6300系のデビューは確か昭和50年と記憶している。そのころはまだ、つりかけ式、戦前~戦後すぐの雰囲気をまとった「旧型車」、2300系、2800系、3300系、5300系などの新型車が混じっており、そこに加わった「6300系」はいわば「最新型」であった。


6300系に「特急型車両」の座を明け渡した2800系は、3ドア化、ロングシート化の「魔改造」を受け、急行や普通列車として活躍するようになった。


それでも「特急型車両」独特の窓配置は健在で、高校時代、阪急電車で通学していたが、2800系にあたると、「ラッキー!」と思っていた。


2800系が「特急専用車両」として活躍した期間は16年、ということをその後に知った。その後も「魔改造」などの影響で、傍目で見る以上に老朽化が進んでいたようだ。高校を卒業するころには、「廃車」となっていった。短い間の輝きと、短かった活躍の期間、流れ星のような電車であった。


一方、6300系は次世代の「特急用車両」である9300系の誕生まで「特急専用車両」の座を維持していた。多分30年近くその座についていたのではないか?


9300系のデビュー後は、一部は嵐山線の車両として、一部は「魔改造」を施され、それでも「特急」扱いの「京とれいん」として2年ほど前まで活躍していた。嵐山線では今も活躍している。


1975年製造なので、車歴はもうすぐ50年にならんとする。2800系の短命を思うにつけ、6300系の息の長さに驚く次第である。


JR東日本は、新型車の製造について、「コストを安く、寿命も短く」というスタンスで導入しているようで、「新製された」と思えば、あっという間に「また新型が」、という感じで経営を行なっている。パワー半導体などの技術革新が著しいので、どんどん新技術を取り入れた車両を導入できる、という点では良い考え方だと思っている。


一方で、JR西日本は「古い車両を長く使う」ということに力点を置いており、京阪神間など、ドル箱路線以外では、車両の新造についてはあまり積極的ではない。最近、117系が「引退」ということがニュースになったが、117系も、デビューは私が小学生だったころだと記憶している。新快速型車両として新造され、「シティライナー」の愛称で登場した記憶がある。117系の前は165系急行型車両を白地に青で塗装し、「ブルーライナー」と呼ばれていた。個人的には、165系ブルーライナーのほうがかっこよかったと思っていて、ブルーライナーのNゲージ車両が欲しい、と思っている(大学時代(だから30年ほど前か、KATOで6両編成が発売されていたのを見た記憶がある)のだが、おそらく一部の人を除いて、そんなことを覚えている人はいないだろう、と思ったり。


阪神・淡路大震災のダメージで、車両の新造にはなかなか手が出せなかった阪急電車。1970年の大阪万博に備えて作られた、当時の大阪市営地下鉄 堺筋線に相互乗り入れすることを考えて作られた3300系が今も、普通や準急で使われている。3300系も確か製造は1960年代後半だったと思うので、もうそろそろ「還暦」を迎える車両である。もちろん、数回の「魔改造」は受けているが、阪急電車もJR西日本同様、「古い車両を大切に使う」会社であるようだ。


3300系車両、子供のころから見慣れ、乗り慣れているが、車歴は60年ほど。私が生まれた時を起点にして、その60年前の鉄道を考えると、その当時走っていたはずの車両は、私が子供のころには全く走っていなかったように記憶している。


JRの103系しかり、阪急の3300系しかり、1960年代以降のものは、工夫すれば今でも使えるものである。なんてことを考えた。


6300系の活躍期間の長さに比べて、2800系があまりにも短命だったことが、YouTubeの動画で紹介されていたので、少し思い出話をさせてもらった次第である。


関西ローカルの話題なので、他地域の方については「訳の分からない話」をしてしまい申し訳ない。

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