第616話 シュラバ・ダ 修羅場だ 2(土曜日シリーズ)
続きです。
外来を終え、先生から頼まれた検食を済ませると、午後1時になっていた。当院は月曜~土曜まで午後にも3枠、発熱外来枠を設けている。
先ほど外来を終えたばかりなのに、すぐ外来から連絡がきた。
「先生、13時枠の発熱外来患者さん、陽性でした。診察お願いします」
「了解!今から行きます」
と返事をし、先ほど外したばかりのN95マスクとフェイスシールドをつけ、外来に向かう。カルテを確認すると、患者さんの年齢は88歳だった。
「わぉ!88歳ですか。なら、ラゲブリオも処方した方がよさそうですね。ラゲブリオの患者さん用説明書も用意してもらえますか?」
と看護師さんにお願いし、患者さん皆さんにお渡ししている外出制限スケジュール表に発症日からの日付を書き込んだ。検査結果と、スケジュール表、ラゲブリオの説明書をもって発熱外来に向かう。
患者さんは88歳の男性だが、お元気そうだった。カルテの問診表でも重篤な基礎疾患はなさそうだった。結果を説明し、スケジュール、ラゲブリオの説明をした。診察室に戻り、カルテを記載し、処方箋を作成した。
午後の発熱外来は1時間で1枠なので、飛び込みで患者さんが来なければ、少し余裕がある。
その間に病棟から依頼された仕事をこなしていく。13:30頃、放射線科から連絡があった。
「先生、昨日入院した☆☆さんですが、レントゲンを撮っていると『こんなにたくさんレントゲンを撮ると、お金が心配だ』とおっしゃっています。あと残りは両膝の写真ですが、どうしますか?」
「ご本人が心配されている、ということなら、キャンセルしてください。時間を見てご本人にお話に行きます」
「わかりました」
私は内科医で、それと同時になんでも屋さんでもある。なので私の外来には様々な主訴の患者さんがお見えになる。整形外科的な訴え、腰が痛い、膝が痛いと言って受診される方も多い。
「レントゲンを撮ってほしい」
と言われることも多く、レントゲンを撮るのだが、一番困るのは、「比較対象」となる、「痛くなる前」の写真がないことである。そのような訴えのある方はご高齢なので、もともと、例えば胸腰椎の陳旧性圧迫骨折などをお持ちのことが多い。あるいは変形性股関節症を持っておられることもある。
胸腰椎については、比較対象となる画像が無ければ、そもそも、症状の原因となっている圧迫骨折があるのかどうかから分からない。複数の圧迫骨折があって、身体所見では腰椎の棘突起すべてで叩打痛があれば、レントゲンでは分からない(MRIでないと分からない)。股関節痛についても、微妙な骨折線は判断が難しいし、骨折線が分からない、実は大腿骨頭無腐性壊死が存在して、しりもちをついたときに少し大腿骨頭に変化が入ったのかもしれない。これも、「比較対象」がないと判断しづらい(MRIがあればわかるのだが)。
ということで、私が入院患者さんを受け入れるときには、転倒後の骨折が問題になりやすい、胸腰椎、両側股関節と、しばしば結晶性関節炎を起こして腫れあがる両ひざ関節は入院時にレントゲンを撮っておくことにしている。これは「比較対象」を最初に作っておく、ということである。
ただ、以前にも書いたことだが、本人の同意なく医療行為を行なうことは「傷害罪」となるので、「嫌だ」ということなら、中止とせざるを得ない。
手がすいたら、患者さんのところに説明と謝罪に行こう、と思っていたが、なかなか手が空かない。14時の発熱外来、病棟からの呼び出し、などなどで時間が過ぎていった。
そうこうしている15:30頃、病棟から連絡が入った。
「先生、☆☆さんの息子さんから、今電話があって、『母からたくさんのレントゲンを撮られた』と連絡を受けたが、どういうことなのか、説明を聞きたいそうです」
とのこと。わぉっ!これは誤解を解いておかなければならない。急いで☆☆さんの病棟に向かい、息子さんに連絡、上記のことを説明し、
「私のスタイルで申し訳ありませんが、そういう理由で、入院時に、入院中にトラブルの多い部分についてレントゲンを撮らせてもらっています。ご心配をおかけし、すみませんでした」
と説明し、息子さんは納得してくださった。ご本人にも説明に向かう。
「☆☆さん、ご気分はどうですか」という声掛けから、本題に話を進めていく。
「先生、私は何度も入院して、そのたびごとにたくさんレントゲンを撮られているので、それは気にしていないのです。ただ、昨日も撮影したところを今日も撮影されたので、『なんで2日連続で撮影するのだろう。おかしいんじゃないか?』と思ったんです」
とのこと。前日に撮影したのは胸部レントゲンと頭部CTだけで、画像はそれだけしかサーバーに入っていなかったはずだ。
「あれぇ?私が昨日確認した時は、レントゲンは胸の写真だけ、あとは頭のCTの写真をとったと思っていました。コンピュータ上の画像データも、昨日の分はそれだけでしたよ?」
「いえ、私、ちゃんと覚えています。足を持ち上げて、少し開いて、という風にして昨日も取りました」
「あぁ、そうでしたか。再度放射線科に確認しておきます。不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。すみません」
「いえ、先生がそう謝ってくださらなくても…」
「いえ、すみませんでした」
と謝罪してナースステーションに戻った。時計を見ると16:30を過ぎていた。放射線科の職員の定時は16:30なので、もう帰宅しているはずだ。週明けに確認しよう、と思いながら、☆☆さんのカルテを経時的に記載した。
16:45頃、終末期だ、と考えていた〇×さんの心電図モニタの波形が急に変化し始めた。
「あっ、先生、〇×さん、急に徐脈になってきました」
「そしたら、ご家族に来てもらうように連絡をお願いします」
と見る見るうちに心拍数が低下してきた。ご家族に連絡を終えるとほぼ同時に、モニター上は心拍0となった。
当直帯の看護師さんは、「ついさっき、ラウンドした時には、少しおしゃべりしたのに」とおっしゃっていた。朝の回診でもしっかり、
「今日もしんどいわ~」
とおっしゃられていた。外していた鼻カヌラを私が戻したときも
「これ、うっとうしいな」
と言っておられた。
〇×さんの病室に向かう。ご本人は穏やかに眠っておられるような表情だ。苦しそうな表情ではない。直前までおしゃべりされ、ふっと命の炎が消えたのだろう。
17:00から当直帯に入るので、当直医に引継ぎが必要なのだが、ご家族が来るまでは、この病棟から動きにくい。当直簿には、引継ぎの内容は書いていたが、当直医に引継ぎは必要である。当直医のPHSに電話をかける。
「はい、当直医です」
「すいません。保谷です。引継ぎで連絡しました。当直簿に書いてある通りですが、当直簿に書いていた〇×さん、先ほど亡くなりました。私が主治医なので、死亡確認と死亡診断書は書きますが、先生、お見送りをお願いできればと思います」
「わかりました」
と電話で引継ぎ。ご家族が来るまでの間、〇×さんの経過を思い出していた。
食欲不振、全身衰弱、多発椎体骨折、MDS(骨髄異形成症候群)の疑いで、リハビリ目的で転院されてこられたが、「背中が痛いから嫌だ」とリハビリは拒否されていたこと。
8月下旬に発熱、低酸素が出現し、血液検査で著明な炎症反応の上昇、胸部CTで両背側の肺野に浸潤影があり、血液培養採取の上、CTRXで治療を開始し、速やかに解熱。炎症反応も順調に低下してきたが、9月上旬、再度発熱、炎症反応の再上昇、ひどい下痢が出現。偽膜性腸炎を考え、CTRXを中止、嫌気性便培養を提出したが、C.difficile培養もCDトキシンも陰性。
そのうち食後の嘔吐が始まり、腹部CTを確認したが、イレウス像、腸管浮腫を認めず、内臓脂肪が少なく、大動脈と上腸間膜動脈が隣接していたため、嘔吐については上腸間膜症候群と考え、食後30分間の右側臥位で嘔吐は止まったものの下痢は遷延。炎症反応は高く、時に高熱が出るものの、ご本人のぐったり感は強くはなかった。
以前からの背部痛以外に疼痛の訴えはなかったが、血液検査ではCRPが高く、一度PCTを確認すると著増。しかし、敗血症と考えるには、熱源ははっきりせず、血液培養も陰性。軽度の汎血球減少は見られたが、進行はなく、芽球も見られず。ただただ、何らかの炎症で消耗し、旅立たれた、という経過だった。
死亡病名としてはPCT高値から「敗血症」としたが、それが正しいのかどうかも自信がない。細菌感染症としてはあまりに終末期まで「重篤感のなさ」が際立っていたからである。
そんなことを考えていると、ご家族がお見えになられたと受付から連絡があった。
ご家族は前日も、本日の午前中にも面会に来られており、覚悟はされていたのだろう。私が先に〇×さんのお部屋に入り、ご家族が入ってこられたところで、電話連絡してからの経過を説明。丁寧に診察をして、死亡を診断した。
奥様は
「先生には本当に良くしていただいて、主人も喜んでおりました。ありがとうございました」
とおっしゃってくださった。本当のことは分からないが、そういっていただけるだけでありがたいことである。
ご家族のご様子を見ていると、これから市役所に行って市役所式の葬儀を行うようであった。であれば、これからまだ数時間はかかりそうであった。ご家族には
「大変申し訳ありませんが、これから当直帯のため、お見送りは当直の先生にお願いすることになります。私はこれで失礼させていただきます」
とご家族にお伝えし、医局に戻った。
これにて、とりあえず、一週間の勤務は終了。
さて、次の週はどうなることやら?
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