第615話 シュラバ・ダ、修羅場だ 1(土曜日シリーズ)

「先生、私休みをいただいているので、検食(入院患者さんに提供する食事、提供前に医師が食べて、異常がないことを確認することが義務付けられている)をお願いします」


と、金曜日に声をかけていただいて、いつも土曜日午後の急患待機をしてくださっている先生がお休みになられることに気が付いた。大体私が「時間外外来対応・病棟急患待機」の時には、何かが起きる。とドキドキしながら、土曜日を迎えた。


朝一番の回診、お一人、終末期の患者さんがおられるが、回診ではろれつがうまく回らず聞き取りにくいことはあるものの、ご様子は前日と変わらず。ただ、前日から「身体がしんどいわ~」とおっしゃり、顔色も白い。ナースステーションでカルテを確認すると、2時間ほど、心房細動で心拍数が200近くが続いていたとのことだった。命の終わりが近づくと、やはり心機能も低下するのだろう。このようなrapid Af(頻拍性心房細動)をよく見るのだが、脈拍をコントロールするのに用いられる、抗不整脈薬や、心機能を改善すると同時に心房細動を抑える効果があるジギタリス製剤も極めて使いにくい。患者さんは血圧もずいぶん低くなっていた。


抗不整脈薬は基本的に「陰性変時作用、陰性変力作用」を持っている(簡単に言うと、脈はゆっくりにし、心筋収縮力を弱める)ので、終末期で心臓が弱っているときにそのような薬を使うと、さらに心臓を弱くしてしまう。なので、怖くて使えない。


ジギタリス製剤は植物の「ジギタリス」の根(だったと思う)から取れる「強心配糖体」であるが、この薬は「陰性変時作用、陽性変力作用」(脈はゆっくり、心筋収縮力は強く)を持つ独特の薬である。ただ、問題は、薬の「有効域」(効果を出す血中濃度の範囲)と、「中毒域」(中毒を起こす血中濃度)が極めて接近しており、特に腎機能の悪い方では使い方の難しい薬である。


その他の患者さんは「落ち着いている人」は「それなり」、「不安定な人」も「それなり」、「COVID-19」の患者さんは落ち着いておられた。それぞれカルテを書き、指示を出して、医局に戻り、机の上に積まれていた、カルテの山(書類依頼)を片付け、外来診察に備える。


病棟でもクラスターが発生しており、外来も発熱外来はCOVID-19陽性の方がほとんどなので、フェイスガードの下にはN95マスクをつけて外来に向かった。


「おはようございます。よろしくお願いします」とスタッフに挨拶をして、診察室に入る。診察用の道具をいつものように配置、紹介状作成用のPCを立ち上げ、画像、検査データ、心電図確認用のPCもそれぞれのソフトを立ち上げて、いつも通りの状態とした。


時間は早めだが、「ちょっとフライングしましょう」と診察についてくださっているクラークさんに声をかけて、1番の患者さんのカルテを確認する。と、いきなりヘビー級のパンチを食らったような衝撃を受けた。


患者さんは本年6月の人間ドックで、「尿潜血」を指摘され、精査希望で8月下旬に、別の医師の外来に入られた方だった。腹部エコー(当院はほぼ完全予約制)と、尿細胞診の指示を出され、その日の診察は終了となっていた。9月上旬に腹部エコーを受けられ、膀胱内に、内部に血流を有する(これが大事)6㎝大の隆起性病変を指摘されていた。その後、担当医から「早期の受診をするように」と本人に連絡をされていたが、土曜日しか休みが取れなかった、ということで私の外来に来られたようだ。


「内部に血流を有する」ということは、この病変は、「結石」などではなく、血液の供給を受けている腫瘤、つまり腫瘍性病変ということである。大きさを考えると「膀胱がん」の可能性が高く、大きさだけで考えても、膀胱の上皮を削り取る「TUR-BT」という侵襲の少ない手術ではなく、おそらく、膀胱全摘+α(これは全身検索をして、転移の有無を見ないと何とも言えない)が必要なことを示唆している。同時に細胞診の結果も帰ってきていたが、「異常な細胞の集塊が見られるものの、細胞変性強く、再検査を」という所見とともに、ClassⅢと帰ってきていた。


細胞診では、悪性度によってClassⅠ~ClassⅤに分かれていて、ClassVは悪性と断定、ClassⅣは、悪性の可能性が高い、ClassⅢは悪性の可能性あり。ClassⅡとⅠは悪性ではない、という意味を持っている。細胞診はClassⅢだが、腹部エコー所見を考慮するとほぼ「膀胱がん」で間違いないだろう、という患者さんだった。


初対面で、いきなり「膀胱がんです」と伝えなければならないし、早急に泌尿器科に紹介し、精密検査と治療を行なってもらう必要がある。朝一番から厳しい洗礼である。


患者さんを呼び込み、挨拶をして、「暑い日が続きますね」などと少し言葉を交わし、アイスブレークしていく。


「さて、今日は結果を聞きに来た、ということでお見えになられた、ということですが…」


と話を始める。細胞診の結果、腹部超音波検査の結果を説明し、


「ということで、これらの結果からは膀胱がん、しかもそれなりに進行しているものと推測されます。今後の治療方針などは、専門診療科が「泌尿器科」となるので、紹介状をご用意します。「なるだけ早くの診察予約」ということで調整してよいですか?」


と伝えると、


「いえ、今、母が入院していまして、いろいろと呼ばれることが多く、可能なら土曜日の受診にしてほしいのです」


「そうですか…。それは大変だ…。しかし、あなたの病気も余裕がないわけではないです。うーん、わかりました。この2週間の間で土曜日に予約が取れれば、土曜日受診としましょう。もし、この2週間で土曜日に空きがなければ、『なるだけ早く』で予約させてもらってよいですか?」


と伝え、いったん診察終了。大急ぎで紹介状を作成、必要な画像をCD-ROMに焼いてもらい、受診日の調整は地域連携室にお願いすることとした。「膀胱がん」と言われてもそれほど「悲愴」な表情をしていなかったのは、それだけお母様のことが気にかかるのか、実感がないのか、どちらなのだろう、と思いながら紹介状を作成した。


この日は、いつもにもまして、「健診」で受診されている方が多かった。「健診」の方は、病気でないから、診察は容易だろう、と思われる方もおられると思うが、そうではなく、逆に「健診」の方が「手間」である。


当院のスタイルとしては、健診で行う検査のうち、胸部レントゲン、心電図はその日の診察で結果説明、としているのだが、胸部レントゲンについては、まず当日の写真を系統だてて(同じ手順で診る位置を動かしていき、見逃しがないようにしている。私は、Felsonの教科書の手順”Are There Many Lung Lesions?”のニーモニック(語呂合わせ)に沿って、大文字の順番で、A:abdomen(腹部)、T:thorax(胸郭)、M:mediastinum(縦郭)、L:lung(肺)、L:Lung(肺)と見ている。肺は2回確認している)確認し、以前に当院で胸部レントゲンを撮影していれば、直近の写真も同様に読影。そして、両方の写真を同一画面に並べて比較し、変化がないかどうかを確認している。実際にこれで「あれっ?」と異常が見つかることがあるので、気が抜けない。心電図も同様に本日の心電図を系統だてて確認、前回のものも系統だてて確認し、画面上に両方の心電図を出して比較する、ということをしている。もちろん、心電図所見、胸部レントゲン所見とも記載すべき用紙があるのでそこに記載をして、カルテにも書いてから、患者さんを呼び込んでいる。


患者さんを呼び込んで、これまでにかかったことのある病気(既往歴)や今、治療中の病気、体調を「問診票」を見ながら確認する。実際に聞いてみると、問診票には書いていない病気がたくさんあったり、「治療中の病気」の欄の「なし」にチェックされていても、「血圧とコレステロールの薬を飲んでいて、3年前に心臓のカテーテル検査を受けた」と言われる方もおられるので、「問診」も油断できない。


そして身体診察に移るが、これも甲状腺の腫大や心雑音、呼吸音の副雑音、問診でもおっしゃってくれなかった手術の痕が腹部にあったりして油断ならない。


「あれっ?この手術の痕は、何の手術ですか?」

「25年位前かなぁ、胃潰瘍で手術したよ」

「胃潰瘍で、胃に穴が開いたりしたんですか?」

「いや、バリウムを飲んで、『潰瘍があるから手術が必要』って言われて、いろいろ検査を受けて手術をしたよ」


なんてこともある。25年位前なら、H2 blockerもPPIもできていたので、胃潰瘍で手術、と言えば、「出血が止まらなかった」か「潰瘍が穿孔(穴が開いた)」くらいで、あとは内服治療となっていたはずである。おそらく「胃がん」だったのだろうなぁ、と思いながら、何も触れずに、問診票に追記する。


と、そんなわけで、「健診」は、「血圧の薬が切れました」と言って来院される患者さんよりもよほど手間がかかるのである。


健診の患者さんが7,8人も続けば、結構ヘトヘトである。しかしまだカルテは山積みの状態。何とか気持ちを奮い立たせて、診察を続けた。


外来診察の合間に「発熱外来」の患者さんの結果説明や、事前連絡なく「咳、鼻汁、熱」の症状で受診された方に「COVID-19やインフルエンザの検査をするか」の判断が求められる。判断については、私は「発症から5日未満」ならCOVID-19の検査を指示。症状が激しい(高熱など)、あるいは「周囲にインフルエンザの人がいる」なら、COVID-19+インフルエンザの抗原検査を、発症から7日程度ならケースバイケース、それを過ぎていれば、「マスクをして通常外来に」と指示をしている。


「発熱外来」ではそれらしい症状の方はほとんど、ふるい分けした人も7割くらいがCOVID-19陽性である。COVID-19の方でも、ほとんどの方は、対症療法薬のみを処方している。当院では軽症患者さん用の内服薬「ゾコーパ」を採用していないこと、軽症患者さんのほとんどが数日で症状軽快するからである。ただ時々、基礎疾患のある高齢の方や、超高齢(85歳以上)の方が来られるので、そういった方には、抗ウイルス薬の「ラゲブリオ」(当院ではこれしか採用薬としていない)も処方している。


そんなわけで、発熱外来と健診に振り回されつつ、定期受診の患者さんの診察にも力を入れていた。と、その間に交じって、「COVID-19疑い」でもない「初診」の方が来院される。


記憶に残っている方の一人は、20代後半の女性。4か月ほど前に帝王切開で出産された方で、主訴は「前日から出現した、歩くと響く右下腹部痛」だった。


お話を伺うと、前日の夕方頃から、徐々に痛みが悪化し、歩くと痛みが響く。便通は受診当日に普通便が出ており、血便や黒色便はなし。尿の色も変わりなし。食事と痛みの間には関係はなさそう、ということであった。


腹部診察では、筋性防御は目立たないが、右下腹部~臍下部に圧痛、強い反跳痛を認めた。熱はないが、虫垂炎か、月経は来ていないようだが、卵巣出血か、そのほかの何かか?いずれにせよ評価が必要と考え、腹部単純CTと血液検査を行なった(当院では腹部エコーはほぼ完全予約制)。


腹部CTを確認するが、虫垂は問題なく、憩室もなし。上行結腸、回盲部周囲に脂肪組織の濃度上昇は認めず。下腹部に明らかな腹水の貯留があった。


「う~ん、生理的腹水貯留にしては量が多いような…」と考え、血液検査を待つこととした。


その後も、健診の患者さん、発熱外来の患者さん、定期受診の患者さんを次々と診察していった。


そして、また別の「初診」患者さんが来られた。主訴は「前日炎天下で仕事をしてめまいがした。今も身体がだるい」というものであった。


患者さんを呼び込む。奥さんとお見えになられていたが、ご本人もスタスタと診察室に入ってこられた。明らかな神経学的異常はなさそうだった。お話を伺うと、前日、炎天下の中で仕事をしていて、強いめまいを感じた。今日はめまいは落ち着いているが、身体がなんとなくだるい。熱中症だと思うので、点滴でもしてほしい、とのことだった。


バイタルサインは安定しており、発熱は認めず。胸部所見に異常なく、パッと見て明らかな巣症状はなさそうだった。


「身体がひどくだるい、ということなので、血液検査をしましょう」

「点滴はしてもらえますか?」

「点滴をしても、お口からOS-1などを飲んでもらっても効果は一緒です。だから『絶対点滴が必要』という状態ではないです。ただ、採血で針を刺すので、希望があれば点滴しますよ」

「あぁ、よかった。そういえば先生、ついでに、これも見てほしいねんけど、ほら、お父さん!」


と奥さんと話をしていると、急に別の話をし始めた。患者さんが膝に降ろしていた左手を持ち上げると前腕屈側遠位にバンドエイドを横に4枚並べて貼ってあるのが見えた。


「昨日、めまいでふらついたときにケガをしたそうなんです。ガーゼでも貼ってもらえたら…」


と奥さんが言われる。慎重にバンドエイドをはがすと、前腕屈側遠位、手関節の3~4cm下方に、長さ5cm程度、皮下組織の深さの挫創があった。受付の問診でも、看護師さんの問診でもそれには触れず、診察室で初めてそのことを言ったそうだ。


「奥さん、ご主人。この傷、ほんまやったら昨日外科の病院で縫ってもらわないといけない傷ですわ。けがをしてから12時間以上たっているので、もう単純に「縫って経過観察」というわけにはいかない傷です。これは外科の先生に診てもらわないとだめです。血液検査をさせてもらって、その結果を見て、大きな病院の救急の先生に傷を見てもらいましょう」

「先生、点滴はしてくれはるんですか?」

「いや、点滴よりも、こっちの傷の方が多分重症です。血液検査の結果が出たら、すぐお手紙を書きます」


と伝えて、採血をしてもらった。


その間に先ほどの女性の採血結果が出た。血液検査は院内緊急項目では異常を認めなかった。やはり虫垂炎などの炎症性疾患ではなさそうだ。しかし、腹膜刺激症状のある右下腹部痛と、腹水貯留、を考えると産婦人科的疾患も含め、高次医療機関での精査が必要であると判断した。


患者さんを呼び込み、


「お待たせしました。結果が出ましたが、血液検査では、虫垂炎などの炎症疾患で上昇する、白血球数、CRP値も正常範囲で、特に問題となる採血結果ではありませんでした。腹部CTでも、ここに虫垂が写っていますが、特に腫れておらず、腸に炎症の所見はありません。ただ、下腹部に「腹水」と言って、水がそれなりに溜まっています。腹膜刺激症状を伴う腹痛で、腹水も貯まっている、ということを考えると、産

婦人科的疾患なども含め、詳しく調べる必要があると思います。産科もある病院、と考えるとA病院が近いので、A病院に今から手紙を書きますね」

「よかったです。A病院で出産したんです」

「あぁ、それは良かった。A病院ならそのこともご存じなので、安心ですね」


と伝え、A病院の救急外来に紹介状を作成。画像、血液データをつけて、地域連携室に調整をお願いした。


そんなこんなで、患者さんにはずいぶん待っていただいている。「お待たせしてすみません」と繰り返しながら、また診察を再開する。受付終了時刻を45分ほど過ぎて、ようやく患者さんを全員診察した。あとは、先ほどの患者さんの血液検査の結果だけである。と間もなく、血液検査結果が帰ってきた。CPKの上昇、肝機能異常、腎機能異常、電解質異常、高血糖はなく、CBCも問題はなかった。患者さんを呼び込む。


「血液検査の結果が出ましたが、現時点で緊急で対応が必要な検査データ異常はなさそうです。なので、今一番急ぐのは腕のケガです。近くのH病院の救急外来に手紙を書くので、この足で、傷の処置をしてもらってください」

「先生、点滴はいらないですか?」

「血液検査を見ると、『絶対に点滴が必要』というデータではないです。OS-1など、水分を取って、身体を休めてください。まず、腕の傷を治療しましょう」


と伝えて、3人目の紹介状を作成。血液検査データをつけて、これは地域医療部を通さず、そのままH病院に行ってもらうこととした。


そんなこんなで、約1時間遅れで、外来を終えることができた。


長くなったので続きます。

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