第614話 ありがたいこと、困ったこと

毎週水曜日の午前は、私の訪問診療担当日である。月に南海訪問診療に伺うかは、患者さんの重症度や、お金の問題(当然医療にはお金がかかります)などなど、複数の要素が重なって決定するのだが、多くの場合は月に2回(基本的に2週に一度)となることが多い。


なので、訪問診療の患者さんも必然的に1,3週に訪問診療を行う方々(1,3週グループ)と、2,4週に訪問診療を行う方々(2,4週グループ)に分かれてしまう。月に一度の方は、どちらかのグループに入ってもらっている(これは、在宅部の中でのグループ分けに過ぎないことをご理解いただきたい)。


8月4週の火曜日に、出勤時から出現した左上下肢不全マヒのため(これは以前に書いた)、その週を「夏休み」として、「半強制的」に休みとなった。そのため2,4週の人は、4週目の訪問診療に行くことができなかった。在宅部から連絡してもらい、その週は薬のみの処方となった、と休み明けに聞いた。患者さんもずいぶん私の体を心配してくださっていると聞いていた。


そんなわけで、約1カ月ぶりの患者さんとの対面となった。


当院の訪問診療では、当然自宅での「看取り」にも対応している。そのために、夜間に死亡確認のために出てくる医師を「宅直」という形で確保している。宅直医師は常勤医では基本的に私、あとは非常勤医にお願いしているのだが、「早朝」に患者さんが亡くなられると、宅直の「非常勤医」の日常生活の中に「看取り呼び出し」が影響することがしばしばであり、早朝に亡くなられた方についてはご家族の了承を得たうえで、通常の訪問診療の中に組み込まれることが多い。


そんなわけで、「先生、今日は最初にお看取りお願いします。死亡診断書はほぼ作成済みです」と在宅部から話を聞き、まず最初にお看取りに向かうことになった。


訪問診療を受けている患者さんは診療区域のあちこちに散らばっているが、大まかに地域を分けて医師に振り分けているので、自分の担当していない患者さんは「自分の担当している地域」ではないところにおられることがほとんどである。今回も、私の訪問診療ルートから、片道20分かかる、離れた施設でのお看取りだった。


「死亡の診断」をつける、ということは法的に重要であるだけでなく、以前にも書いたように、一つの「儀式」としても重要である。施設に着くと、ご家族もお見えになられていたので、「いつものように儀式的にお身体を診察」し、「『死亡』と診断します」と幾分儀式的に診断を伝え、亡くなられた方には合掌、ご家族の方には深く頭を下げて「死亡の診断」を行なった。「死亡診断書」がないと、葬儀屋さんがお身体を動かすこともできないので、死亡診断書を完成させて施設を離れ、通常の訪問診療に戻った。


普段の、「割り込み」のない訪問診療でも、午前9時(始業時間)の出発で、12時ごろの帰院となっている。なので、やむを得ないこととはいえ、往復時間+診察時間の1時間は大きな時間の圧迫となる。


いつも、訪問診療の最初は、当院とは全く関係のない施設が運営している、たまたま場所が近いだけの施設に入所している患者さんから開始している。ので、いつものルートに戻って訪問診療を開始した。患者さんは皆さん落ち着いておられて良かったのだが、お一人、認知症で「ウロウロ」される方が捕まらなかった。他の部屋に入り込むことはなく、自分のフロアや、他のフロアの廊下に置いてある椅子に座られていることが多い方なので、各フロアの椅子を見ながら患者さんを探すがおられない。もちろん自室にもおられない。食堂も見に行ったが、そちらにもおられなかった。


施設のスタッフに聞くと、「つい先ほど、お部屋に戻られました」とのこと。もう一度お部屋を確認に行くが、やはり不在。もう一度各フロア、再度お部屋、食堂を見に行くが、やはり不在だった。


「おられなかったら、今回も『薬のみ処方』にしましょうか。他の患者さんが待ってますから」と付き添いの看護師さんと話をしていると、施設スタッフの方が、「今、お部屋におられます」と言いに来てくださった。もう一度お部屋に伺うと、患者さんがベッドに座られておられた。施設内にエレベータが2基あるので、エレベータですれ違ったのかもしれない。


患者さんはいつもと変わらず落ち着いておられ、定期薬を処方して施設の訪問診療も終了。ところが、患者さんとのすれ違いが影響して、いつもよりも30分ほど余計に時間を使ってしまった。出だしと合わせて1時間半の遅れである。


その次の患者さんは1カ月半ほど前に、腹痛、腹部の拡張を主訴に時間外受診され、私が診察し、「S状結腸軸捻転」と診断し、急性期病院に紹介した100歳近い高齢の女性だった。


「S状結腸軸捻転」の治療は、まず最初に、下部消化管内視鏡を利用した整復術を行なうことがほとんどである。ゆっくり下部消化管内視鏡を進めていくと、捻転がゆっくり解除され、多量の排ガスとともに腹部膨満も解消する。若い方ならそれで、高齢の方でも「穿孔」がないかどうか、1日入院で、問題なければ退院となることが多い。この方の軸捻転は2回目で、1回目は前述の通り、内視鏡的整復後、翌日まで経過を観察し、異常がないことを確認のうえ、退院となっていた。


ところが、今回はなかなか退院されず、8月2週の訪問診療の時点では退院しておられなかった。


「高齢やし、心配やなぁ」と、4週目の訪問診療を待っていたが、4週目、私が休むこととなってしまい、気にかかっていた。今回の訪問診療メンバーには入っていたので、退院されたのは分かった。


訪問すると、特にいつもと大きな変わりはないようだった。紹介先の病院から返信があり、「内視鏡的整復後しばらくは、麻痺性イレウスのような状態となっていた」とのことだった。機能性イレウスや単純性小腸閉塞を繰り返す方でよく使われている漢方薬「大建中湯」が処方されていた。ただ、この薬、量が多くて飲みにくいのだ。これからも、ちゃんと飲めるのか、心配だぁ、と思いながら処方し、次の患者さんへ。


そこからはそれなりに順調に訪問診療は進んでいった。落ち着いている人はそれなりに、少しずつ悪くなっている人もそれなりに、という感じで、スムーズに訪問診療は回っていった。


先月の第2週から、「脳出血後の高次脳機能障害」で訪問診療となった方。前回の診療は問題なくスムーズに行えたのだが、その後、医師や、他人が介入すると怒りをむき出しにされるようになって来た、とのご家族の話だった。本人のいない玄関先で、1か月の状況を確認。経口摂取量も落ちてきて、痩せてきているとのことだった。胃瘻は造設されているが、経口摂取が改善したため、胃瘻は現在使用していないが、留置は続いている方だった。


お話を聞くと、食事量の維持のためには胃瘻からの注入が必要であり、体重減少についても、悪性腫瘍の評価をしなければならない。そんなことを考えながら、階段をのぼり、患者さんのところへ。


「体調はどうですか?」といつもと同じように笑顔で問いかけるが、急に患者さんは怒りをあらわにした。高次脳機能障害、意味性失語のため、患者さんの発する言葉も理解できず、おそらくこちらの言っていることも理解されていないが、いわゆる「大暴れ」の状態だった。私は首根っこをつかまれたり、聴診器を引っ張られたり、フェイスガード(+メガネ)を投げ捨てられたり、と大変だった。看護師さんに対しても同様だった。あまりの興奮ぶりに、奥様が、「先生方、一旦お帰りください」とおっしゃられるほどだった。確かに私たちがいると、どんどん興奮が強くなっている。退散すべき状態である。


ということで、詳細は病院に戻ってからカルテに記載する、ということでその患家を離れた。次のお宅は、私の外来に通院されていたが、認知症の進行で通院困難となったため、訪問診療に加わった方だった。


数十年来、ご近所の喫茶店で昼食を食べておられるとのことだった。訪問した時刻はもう11:30を過ぎていた。


「こんにちは」と声をかけるが、ご自宅には誰も居ないようだった。おそらく昼食を食べに行かれたのだろう。お店の中で「訪問診療」というわけにはいかない。ということで今回は投薬を行ない、次週診察とした。


そして、最後のお宅に。道が狭いため、病院に車を置いて、徒歩で訪問診療に向かう。


「こんにちは~、病院です~」と声をかけてお邪魔する。


「先生、お元気で。大変心配していました。体調は大丈夫ですか?」と患者さんから声をかけてもらった。


「大丈夫ですよ、お変わりはありませんか?」と声をかけ、診察。必要な薬を処方した。


「先生、お元気で、私を最期まで診てくださいね」とありがたくも重い声をかけていただいた。


病院に帰院後、昼食で不在だった方のカルテを書き、大暴れだった患者さんのカルテを記入した。その後のご様子を確認しようと電話番号を調べているときに、患者さん宅から電話がかかってきた。奥様がかけてくださり、ご様子をお伝えいただいた。


「先生、すみませんでした。ようやく、今、気持ちも落ち着いたようです。退院したばかりの先月は、穏やかな訪問診療だったのですが、訪問診療してくださる、精神科の先生との間は、今日のような感じで、怒りっぽくなってます。訪問歯科も利用しましたが、1回目は良かったのですが、処置が痛かったのか、2回目の訪問歯科は、口を開けず、先生の指をかむような状態で、診察になりませんでした」とのことだった。


体重減少については、現状では精密検査は困難であること、食欲低下については、「胃瘻からの注入」を再開するのが良い、とお話しすると奥様より


「退院前の指導で「胃瘻からの注入方法」は習っていません」


とのことだった。現状では奥様と二人なら落ち着いているが、男女関係なく、第三者がやってくると易怒性がみられるとのことだったので、誰かが指導に入ることも難しい。何のための胃瘻なのか、と思わなくもないが、しょうがない。


「現状では、体重減少について、検査などの医療介入は極めて難しいこと、経口摂取量の低下については、経口栄養摂取剤である、エンシュアHの処方と、エンシュアが足りなくなれば、ドラッグストアなどで、「メイバランス」を購入して飲んでもらうようにしましょう」と伝えた。


波乱万丈の訪問診療だった。今回訪問できなかった方、1,3週のメンバーは患者さんの数も多く、遠方にも行かなければならないので、時間としてギリギリなのだが、今週と同じ轍を踏まないようにしなければ、と思う次第であった。

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