第608話 バーベンハイマー、正義とトラウマ

先月だったか、一時世間を賑わせた出来事があった。アメリカの映画「バービー」が原子爆弾を賛美しているのではないか、という意見が大きく流れたことがあった。背景には、「バービー」公開と同日に、「原爆の父」とも呼ばれる科学者「オッペンハイマー」を主人公にした映画が公開されたことにあるらしい。アメリカの映画ファンの一部が、二つの映画の画像をコラージュした画像を作成し、ネット上で公開した。それを日本の人たちが見て、「原爆を賛美している」「原爆画像でふざけている」などと強い不快感を表した、という事である。


「バービー」と「オッペンハイマー」を合わせた「バーベンハイマー」という言葉もあるそうな。今朝のNHKラジオ「My!アサ」のコーナー「サタデイ・エッセイ」では作家の冲方丁氏が、このテーマについて思う事を語っていた。いろいろと考えさせられる内容であった(特に前半)。


氏曰く、戦争などの「対立構造」となった場合、片方の「勝利」はもう片方の「トラウマ」となってしまう、とのことだった。「原子爆弾」を取り上げても、日本では、2つの原子爆弾で20万人以上が亡くなり、今も傷跡を残している大きな「トラウマ」である。その一方で、アメリカでは、「沖縄戦」で約20万人の人が命を落とし、米軍も2万人近くが命を落としたことから、「戦争を継続」するならば「本土決戦」で、百万人単位の死者が出るであろうと予測していた。これを、2つの原子爆弾で、20万人の犠牲に減らすことができた、という事で、「原爆投下」については「早期に戦争を終結させ、最終的な犠牲者を軽減できた」とポジティブにとらえている人が多い。


一方で「神風特攻隊」については、アメリカ側は非常にネガティブな感情を持っており、「あのような非人道的な攻撃はあり得ない」と感じている一方で、日本では、「特攻隊」という作戦ではなく、そこに散っていった若者たちの思いを大切にし、もちろん「二度とこのようなことを起こしてはならない」と誓いつつ、複数の記念館が立てられている。という点で、「アメリカ」が持っているような忌避感を日本人は「特攻隊」については感じていないわけである。


氏はこれを「片方にとっては正義、もう片方にとってはトラウマ」と表現しており、「この対立については『互いに理解できない』という事を理解しなければ、永遠に対立し続ける」と述べていた。


「理解できない」という事を理解する、なるほど、と思った。朝鮮半島での「反日感情」もやはり、朝鮮民族にとって日本の「朝鮮併合」は民族にとっての「トラウマ」となっているのだろう。一部に「朝鮮併合は、朝鮮半島の近代化に大いに貢献した」という意見を聞くことがある。ある部分でそれは「正しい事実」なのだろうと思うが、そういったこととは別で、民族として「傷つけられた」思いは大きく、「トラウマ」となっているのだろう。


氏は「『理解できないこと』を理解する」ことができなければ、結局また戦争になって、勝利を収めることでしかトラウマを解消できない、と述べていた。確かにそうなのだろうと思う。


氏は、現在のアメリカが、「民主党」と「共和党」の対立で、「片方の正義は片方のトラウマ」状態となっており、すべてのことが政治的対立の意味を持つ世の中になっているのでは、と指摘していた。その対立が限界を越えれば、「分裂」という形をとらざるを得ないのでは、と警鐘を鳴らしていた。「分裂」の例をあげれば、独立後の「インド」「パキスタン」「バングラデシュ」の分裂や、近くはイギリスの「ブレグジット」を挙げていた。


以降の氏の議論については、あまり心に響かなかったが、ここまでの解釈は非常に納得のいくもので、大変心に響いた。「国家」や「民族」だけでなく、「ムラ」などの集団や、あるいは「個人のレベル」でも、「片方の正義は片方のトラウマ」なんてことは日常茶飯事だなぁ、対立の当事者は「相手のトラウマ」をどこかで『理解できないこと』と理解する必要があるんだなぁ、と感銘を受けた。


朝からよい話を聞けて良かった、と思う。

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