第602話 私が死ぬまでに、完結してくれるかな?

主に「男子」の通過儀礼として、「週刊少年漫画雑誌」はほとんどの人が通ってきているであろうと思われる。もちろん、女子は女子として、同じような通過儀礼があるだろうと思っている。


週刊雑誌なので、作家さんには大変な作業なのだが、基本的には週に1話ずつ進んでいくので、話の展開が早く、単行本もどんどんと出てくる。


そういうリズムに慣れているからだろう、今私がfollowしているマンガ作品は「19番目のカルテ」、「海街diary」の続編としての「詩歌川百景」、そして「三月のライオン」である。いずれも、週刊連載ではないので、新巻が出たら、次の巻が出るまでに「年」の単位で待つことになる。


これがなかなかじれったい。つい先日、「三月のライオン」の新巻が出た。この作品は、家族みんながfollowしているので、家族みんなで、ひとまず目を通し終えたところである。


内容を細かく書くとネタバレになってしまうので、少しだけネタバレにならないように感想文を書きたい。


人生は常に取捨選択を迫られており、それが「生きる」ということでもある。「今日の夕食をお肉にするか、魚にするか」などという日常の選択は記憶に残るものではないが、人生の中で、「どちらも捨てられないが、どちらかを捨てなければならない」場面というのは確かにあると思う。その選択には正解が無くて、どちらを選んでも、やはりそれなりの「後悔」を抱えて、その後の人生を生きていかなくてはならない。


私自身も自身が取捨選択をしたり、往々にして取捨選択される側で、「捨てられてしまう」立場になることが多かったように思っている。二つの人生がもう寄り添うことはかなわぬ、と思いながらもリアルな夢に心の中で涙することはしばしばである。年齢を重ね、そのような経験を重ねながら人は生きていくものだ。


と思った次第である。


閑話休題。そんなわけでfollowしているマンガがゆっくりとしか進まないので、話しが大団円となる前に、作家さんの寿命が尽きるか、私の寿命が尽きるか、心配でたまらない。


未完の大作の一つとしては「ガラスの仮面」も挙げられる。連載が始まったころは、私が小学生くらいのころ、あるいは少し前ではないかと思う。母が一時期「王家の紋章」にはまり、少女漫画雑誌を購入していたころ、「ガラスの仮面」も連載していたと記憶している。マヤがお蕎麦屋さんでバイトをしており、電話は黒電話で、出前に走っていたと記憶している。それはその時代がそうであったので、「時代設定がリアルタイム」で進んでいったわけである。その後いくつかの休載を挟んで、私が大学4年生の時のこと。


所属した研究室では、「毎月購読したいマンガ雑誌」を毎年研究室で話し合い、その年の購読雑誌を決めていたのだが(もちろん、この雑誌代はみんなでお金を出し合って購入)、同期に女性がいたので、彼女のリクエストで「りぼん」が入った。その当時の「りぼん」には「ガラスの仮面」が掲載されていたが、7月ころだったか、作者から「いったん休載して、2年後をめどに再開、完結させます」とのメッセージが記載された。それがもう30年近く前のことである。


デジタル分野の進歩が最も大きいと思うのだが、初期の時代設定では明らかに設定がおかしくなっている今の時代である。このまま未完に終わるのか、「サザエさん」のように時代設定を変えずに話を進めていくのか、いずれにせよ、この作品も、完成するか、作者の寿命が尽きるのが先か、私が死ぬのが先か、心配な作品である。いつの間にか、マヤの年齢を超え、月影先生の年齢に近づいてきている私である。

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