応援コメント

第596話「日本国」の研究力低下は「当然」の帰結」への応援コメント


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    臨床研究の場合、倫理委員会の手続きが1つの壁ですね。

    また、米国留学時代にいくつか感じた事があります。

    まず、研究者は雑用が少なかったです。
    アシスタント的な事はアルバイトに来ていた医学生がやってくれました。
    医学生にとっても意味のあるアルバイトだったと思います。

    それと当時、英語という言葉の壁は大きいものでした。
    現在ではITを駆使すれば、かなり乗り越えやすくなっていると思います。

    あと、科学に対する根本的な考え方の違いも大きいですね。
    事実と見解を厳密に区別する、何か述べるときはその根拠を示す、そしてロジックを大切にする、こういうことが骨の髄まで叩き込まれているのが西洋諸国における研究者だと感じました。

    中国や米国には大きく差をつけられてしまいましたが、日本の研究者はまだまだ秘めた力を持っていると、私は思っています。
    まずは、修士や博士を大切にする社会であって欲しいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    いわゆるF欄大学も、ある意味「博士号取得者」の受け皿となっているのかもしれない、などと思ったりします。

    医系の大学院生は、アルバイトだけで暮らしていける、何なら家族も養えますが、一般学部卒の院生では難しいことです。

    そのような修士、博士、ポスドクが研究に専念できるようであってほしいと私も思います。


  • 編集済

    私は博士課程単位取得満期退学した経験から思うのですが、課程博士の取得は実は、ある程度取りやすくなっているのに対し、論文博士の取得にハードルが多くあり、企業に博士取得者が少ない要因ではないかと思うのです。

    私は単位取得なので退学した大学には論文提出学位請求の資格はもっているのですが、指導教官は退官しており、D論を提出するには審査する教授捜しから始まります。規定で査読する副指導教官二人必要で、同分野の先生を選ぼうとしても二人いないのです。

    さらに論文博士には、参考論文数は課程博士よりさらに求められることになっています。大学紀要は原則在学中か教官のみ。
    今でも学会に年会費は払っていますが、学会誌に出すには指導教官の推薦が…

    頭がいたくなります。
    いっそのこと、博士を取るためき再入学するのが一番早いのかと。

    理系だと企業研究で大学とつながりがあれば社会人として論博は道は開けそうですが、文系は絶望的です。

    という事情もあり、国立大学教授でも文系は修士という人が結構います。
    博士でも学術博士がほとんどで、文学博士、法学博士はいわば珍種でしょう(失敬、相当、偉い先生ですね)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「理系」の修士と「文系」の修士では重みが違うと思っています。学位論文は「これまでになかった新しい発見」が求められます。文系では、それを新たに生み出すことはかなり大変で、「大学院に入学」のハードルそのものが「理系」と比べてうんと高いのでは、と感じています。

    「理系」は、「新しく分かったこと」の鼻先に「まだ分かっていないこと」があるので、そういう点では、「文系」の修士号や博士号と比べると、かけるエネルギーは「理系」の方が少なくて済むのでは、と思っています。

    MBAや法科大学院を除く文系大学院に進む方は、「本当に学問が好きなんだろうなぁ」と思って、尊敬の目で見ています。