第596話「日本国」の研究力低下は「当然」の帰結

8/26の読売新聞、朝刊の記事から。


11面 「解説」で、日本の「注目論文数 13位転落」をテーマとした記事が掲載されていた。見出しは「若手研究者減 交流が低調」となっていた。


「研究」の成果は「論文」として学術雑誌に掲載される。学術雑誌もそれぞれランクがあり、ランクの高い雑誌に自分の研究論文が記載されるのは、研究者として生きていくうえで重要なことである。「研究者」としての評価は、「ランクの高い」雑誌も含め、どれだけの論文を「どの学術雑誌」に掲載されたか、で判断される。


重要な研究成果、あるいはこれまでの常識を覆すような研究については、一つは「ランクの高い雑誌」に掲載されることと、その論文で示されたことを基に、新たな研究が広がっていくので、たくさんの人が、その論文を参考文献として引用されることとなる。


つまり、研究者の世界で「価値の高い論文」とは「質の高い学術雑誌」に掲載され、「たくさん引用されている」論文である。


「どれだけ引用されているか」を見ているのが「トップ10%論文(記事では「注目論文数」」である。引用数が上位10%に入っている論文が「トップ10%論文」と定義されている。


文部科学省の科学技術・学術政策研究所が調査を行なっており、本年度の結果が発表された。20年前の調査では、総論文数では世界第2位、注目論文数(トップ10%論文数)は4位だった。今回の調査では、総論文数は世界第5位、注目論文数はなんと13位にまで低下していた。一方で中国は、今回の調査では総論文数、注目論文数とも世界第一位となっている。


記事では、日本は、中国、米国に次ぎ、研究開発費、研究者とも世界第3位なのだそうだ。で、この結果である。


同研究所ではこの結果の要因として、4つの問題をあげている。①研究開発費の伸び悩み、②研究時間の減少、③大学院博士課程入学者の減少、④研究者のネットワーク不足、である。


様々な分野で研究が進み、最先端の研究の多くは、高度で、微細なものを扱うようになっている。故に一つのテーマを遂行するのにかかる金額も大きくなっている。研究開発費が伸びていても、それ以上に、研究を行なうのにかかる費用が増加すれば、研究者は「資金不足」に直面するのである。研究時間の減少については、私のような医学、生物学分野に身を置いているものとしては、「倫理委員会の審議を経ること」などの要因で、研究そのものに取り組む前の手続きの複雑化は要因の一つだろうと考えている。


今回の記事は③、④について取り上げられていた。大学院 博士課程(博士後期課程)に進学する学生数は2000年代前半をピークに減少している、とのことである。もちろん少子化も影響を与えているのは否めないが、一番大きな問題は、「博士課程(博士後期課程)」に進学するメリットよりも、デメリットの方がはるかに高いからである。


私が卒業した「医科学修士課程」は「修士課程」しかないので、「修士課程」が正式名称になっているが、多くの大学院研究科では「博士前期課程」「博士期課程」が正式名称となっており、前期課程を修了すれば「修士号」を、後期課程まで修了し、所定の基準を満たせば「博士号」を得ることができる。以下の文章では「博士前期課程」を「修士課程」、「博士後期課程」を「博士課程」と称することとしたい。


1990年代から、文部科学省は「大学院重点化」政策を推し進め、制度としては「大学院大学」の推進、学生に対しても積極的に「大学院への進学」を進める動きがみられた。


「大学院大学化」と言われても「何だ」と思われるかもしれないが、話しを簡単かつ雑にまとめると、「教育する学生の主体」を「学部生」から、「大学院生」にする、という「看板の掛け替え」である。詳細な制度の在り方は不勉強で申し訳ないが、簡単に言えばそういうことである。


「大学」と聞くとまず「学部生」の教育がメインで、それを発展させた形で「大学院」が存在する、つまり「学部」>「大学院」という包含関係がイメージされると思う。「大学院大学化」はそれを逆転させ、「大学院」が教育対象の主体となり、その下に「学部」がぶら下がっている、つまり「学部」<「大学院」という関係にする、ということである。そうして「大学院大学化」を行なった大学(大学院大学)は国からの補助金が増える、という形で1990年代から2000年代にかけて行われた施策であった。


ただこれが、「大学院教育」の充実化につながったか、と言われると、そのころを「学部生」そして「大学院生」として所属していた私にとっては、その変化を感じることはなく、学生側から見れば、いわゆる「看板の掛け替え」に過ぎなかったと思っている。


閑話休題。1990年代前半にバブルがはじけ、「就職氷河期」となった。第二次ベビーブーマーであった私たちが、ちょうど大学を卒業し、就職するか、大学院に進学するか、を判断する時期であった。私は当時、旧帝大の工学系学部に在籍していた。就職希望で就職活動に励んでいた友人たちは、ことごとく「連戦連敗」となっていた。ほんの2年ほど前までは大企業のリクルーターが研究室にやってきて、「学生を紹介してください」と来ていたのに、である。私は生物系の研究室に所属していたが、情報系などの学科では、「某大企業からの求人」に対して、「ジャンケン」で「研究室から推薦する人を決めていた(研究室推薦なのでほぼ落ちることはない)」などの噂をたくさん聞いたことを記憶している。


私自身は「就職」を考えておらず、最初から「大学院進学」を目指していたが、結局就職活動に疲れ、「やっぱり大学院を受ける」と路線変更した同期も多く、就職活動のために、「わざと」留年していた同期もいた。


そんなわけで、私たちの世代は「大学院進学率」が高かったであろうと思っている。「修士課程」の人間は、「学部卒」の人間より深い専門性を有している、ということで学部生より就職は有利になっていた(多分今も同じだと思う)。なので、修士課程を修了して就職、という人が多かった。私の所属していた学部の大学院はそのような動きとなっていた。


ただ、私が進学した修士課程は「医学部以外の学科で学んできたものに、医学教育、医学研究の基礎を施し、基礎医学研究者を養成する」ことを目的とする課程だったので、「修士課程」で就職した者は、同期22人中数人だったと記憶している。


私は博士課程1年で医学部に路線変更したため、同期の動静はしっかり把握しているわけではないが、多くのものが博士課程に進学したことは確かであり、博士号取得後は「ポスドク」(Post Doctral fellow:博士研究員)という不安定な身分で研究をつづけ、一部は海外や日本の研究所・大学のポストを得ることができ、あるものは、ポスドクで留学後、消息不明となったものもいる。


ポストを得られなかったものは、社会問題となっている「高学歴ワーキングプア」となっているのであろう。


残念ながら「修士課程」の学生には優しい企業も「博士課程」の学生には冷たい。「年を取っている」「専門性が高く、融通が利かない」などの理由で、一般企業で「博士号を取得しているもの」という条件の求人は皆無に等しい。そんなわけで、博士課程に進んだものは、ごく一部は大学のポストを得ることができ、家族を養っていけるだけの給料を得ることができるが、少なからず「高学歴ワーキングプア」となってしまった、あるいは身に付けた専門性を捨てて、全く関係のない職に就く、ということになったわけである。


博士課程の入学者のピークが2003年、と記事にあったが、私が博士課程を中退して医学部に進学し、6年間の課程を終えて医師免許を取得したのが2004年である。なので、2003年と言えば、大学院重点化と就職氷河期で大学院に流れ込み、博士課程にまで進学した私たちの年代が、ポスドクとして、数年勤務したころになる。その時点で、「博士課程」に進んでも「明るい未来はない」と「修士課程」の学生が「現実味」をもって、「私たちの姿」という実例の数々を目の当たりにした時期だろう、と思っている。


ただでさえ、毎年、その年齢層の人口は減っていくのである。それに加えて、「未来に光明がない」となれば、誰がその道を選択するであろうか?容易に想像つくことである。


「博士号」を持つ人材の「就職難」、特に一般企業への就職難は、「企業側」の偏見や、「人件費の出し惜しみ」によるところも多いと思っている。先に述べた「博士号」を持つ人間は「専門性が高く、融通が利かない」と企業側が印象を持っている、と記載したが、「博士論文」のテーマと「ポスドク」で研究しているテーマが大きく異なることは珍しくない。


私の大学院時代のボスは、「減数分裂時の染色体相同組み換え」の研究で博士の学位を取っているが、アメリカでの「ポスドク」時代はマラリア原虫の研究に携わり、そこで「ワクチン候補」となりうる抗原を発見し、「マラリアワクチンの開発」を研究室の研究の柱として研究室運営をしていた。


私の先輩も、博士号は「アフリカツメガエルの卵を用いた染色体の相同組み換え」で学位を取られたが、スイスでのポスドクでは、「染色体構造のX線解析」がテーマとなり、細胞分裂期以外では、従来考えられていたように染色体がある程度折りたたまれた状態として存在しているのではなく、フレキシブルな状態であることを証明し、その研究が評価され、40代前半で、某国立研究所の教授となっている。


なので、よほど、その人の専門性とかけ離れたことでなければ、「研究を遂行する能力」「研究成果を論文としてまとめ、発表できる能力」は担保されているわけである。企業が、「博士号取得者」の採用に積極的でないのは、その「誤解」と「年齢、人件費」の問題だろうと思っている。


そういう意味で、学問の世界だけでなく、産業界にも変化を与えなければ、今後も「博士課程」への進学者は激減していくだろうと考えている。


「研究者」の人的ネットワークも非常に大切で、私自身が「研究者」として生きていくことをあきらめた理由の一つはそれである。私が指導を受けた大学の先生方は皆さん、国内外に広く人的ネットワークを持っておられた。


「海外留学」の目的の大きなものの一つは、「人的ネットワーク」の形成である。


私自身の「大学生・大学院生」としての特性は、おそらく今の「学生気質」と似ているように感じている(あまり「留学」などの「海外志向」に乏しかったことなど)。という点で、私が時代の最先端を(悪い意味で)走っていたのかもしれないなぁ、と感じている。修士課程の同期で、今はNIHにラボを持っている友人だが、世界のあちこちを旅行し、「友達」のネットワークを世界中に作っていた。研究者としても、人としても大成するのはそのような個性の人だなぁと、学生時代、彼女のもとに遊びに来たイスラエルの友人を囲んで、たくさんの同期で家飲みをしながら、思ったことを覚えている。


閑話休題。現状の日本の「科学技術力の低下」、遠因は1970年~80年代に行われた、「国公立大学と私立大学の学費格差の縮小政策」に、近因は「大学院重点化」の受け皿を真剣に考えていないことだったと思っている。いずれも30年以上の時間が経っており、人口動態の影響もあり、簡単には解決しない問題だと思った。


第二次世界大戦で、「日本国」は本当にボロボロになり、そこから新しく国を作り上げてきたが、いろいろな意味で、それくらい日本国の根っこから、百年先を見越して組み立て直さなければならないのではないかなぁ、と悲観的に思ったりする。


ただ、第二次世界大戦敗戦後から70年以上が立ち、あの時点で「国家百年の計」をもって制度を組み立てていたとしても、そろそろ制度疲労を起こす時期であるのかもしれないが。

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