第590話 患者さんとして救急車に乗る。

火曜日は私にとって、1週間の仕事の始まりである。昨日もいつもの時間にいつも通り起床し、朝のルーティーンを済ませて、6:30過ぎに出勤した。妻に「行ってきま~す」と手を振って車を走らせ始めた。


家を出て2,3分後からだったか、左足になんとなく違和感を感じた。なんとなく左下肢全体が重いように感じた。数分のうちに、「なんとなく」の違和感は、明らかな「重い感じ」に変わっていった。


「何だろう。座り方の問題かな?腰の問題だろうか?」と思い、信号待ちでパーキングブレーキをかけ、座り方や姿勢を変えるが、重い感じは変わらない。膝や足首を動かしてみるが、動きには問題がなさそうだった。


出勤途中に、コンビニに寄ることが多い。一応自分へのご褒美として、3時のおやつを一つ買っていくことにしているのだ。駐車場に止めて車を降りる。車の乗り降りは問題ない。ビリビリしびれる感じもないが、明らかに右と比べて左下肢の重い感じが続いている。コンビニに入ったが、歩くのは違和感がなかった。


「腰部脊柱管狭窄症とか椎間板ヘルニアかな?一時的なものならいいけど。左手にも症状が出たらまずいなぁ。どうしよう。明らかに緊急でなければ、始業時間の8:30の時点で考えよう」


と思いながら、ご褒美を購入して車の運転に戻る。


普段はMT車に乗りたい、と思っているが、今の状態なら、AT車がありがたい。両手と右足には異常がないので、車の運転に支障がないからである。


職場の駐車場に無事に着いた。左下肢の重い感じは変わらない。荷物を抱えて車を降りて、職場に向かうなだらかな坂を上っていった。朝日で私の影が映っている。影の動きを見たが、歩き方は問題なさそうだ。上り坂を上っているからと言って足の重い感じは良くも悪くもならない。


職場の玄関を入り、当直帯の事務スタッフや清掃スタッフの方に「おはようございます」と挨拶をする。挨拶はいつも私からするように心がけている。挨拶の発語を自分で確認するが、しゃべり方はいつも通りである。ろれつ難はない。


医局は4階にあり、病院側から、「職員はなるだけ階段を使うように」とのお達しが出ているので、毎朝、4階まで階段で上がっている。筋トレも兼ねて、私が階段を使うときは、土踏まずより前方だけを使って階段を上っている。踵が浮いた状態になるので、ふくらはぎの筋肉(下腿三頭筋)の訓練になるのだ。


階段を上っていく。右下肢はいつもと同じように上がっていく。足関節も安定している。しかし、左下肢は、転倒はしないものの、わずかだが、体重をかけると左足が背屈する。下腿三頭筋が自分の体重を支え切れず、足関節を完全に固定できていないことを意味している。


「ありゃりゃ。わずかだが、左下肢の筋力低下があるよ。やはり「左下肢が重い」と感じているのは気のせいではなく、何かが起きているのだろう」と思った。


白衣に着替えて、いつものように回診をする。特に週末週明けで状態が悪化した患者さんはおらず、落ち着いている人はそれなり、不安定な人もそれなりであった。


回診をしているうちに、左上肢も全体的に違和感を感じるようになった。


「嫌な兆候だ」


と思った。左上下肢に症状が出ていれば、やはり脳血管障害を考えなければならない。出現している症状を見ると、起きていたとしても右放線冠か、右内包の小さなラクナ梗塞だろうと推測した。回診を終え、カルテを記入していると8:20ころになっていた。別の常勤の先生が出勤され、病棟にお見えになられた。


「先生、お忙しいところすみません。私なんですけど、今朝の6:30過ぎから左下肢の重い感じが出現して、階段を上るとわずかですが筋力低下があるようなのです。回診を回っているときに左上肢にも重いような、少しピリピリするような違和感が出てきました。左上下肢の感覚異常、筋力低下があるので脳血管障害を疑っています。紹介状の下書きをするので、先生に確認していただいて、紹介状にサインをいただけますか?」


とお願いした。先生のご主人も若くして脳梗塞をされたそうなのだが、


「えーっ!先生、大丈夫ですか?うちの主人も症状の始まりは『スマホがうまく使えない』だったので、絶対受診が必要ですよ!頭部CTを指示しましょうか?」


「いえ、先生。発症早期なので、頭部CTでは診断できないと思います。MRIを取れる病院に受診しようと思います。」


と先生にお伝えし、回診後のカルテ記載、指示出しを済ませ、医局に戻り、診療情報提供書の下書きを始めた。PCで入力をしたが、なんとなく左のタイピングが不自然に感じた。


症状が軽微なので出血性の疾患ではないだろうとアタリをつけていた。そう考えた理由は、根拠は貧弱なのだが、医学生時代に使っていた教科書の記載にあった。


教科書の名前は「STEP内科」シリーズ。1巻が神経内科と膠原病を扱っていた。6巻全部合わせると、新臨床内科学など、内科医が使う教科書と同じ厚さになるので内容は学生用とはいえ薄くはなかった。読みやすくて、実際にこの教科書の知識だけで、それなりに日々の診療も乗り切っているので、個人的にはいい教科書だと思っていた。


その教科書で、微小血管の破綻によっておこる脳出血と微小血管の閉塞によっておこる(ラクナ)脳梗塞の違いを、ずらりと並んだ水洗便所に例えて説明していたことを覚えている。脳梗塞は言ってしまえば水道管が詰まってしまうので、水道管の詰まったトイレは使えないが、詰まっていないトイレは問題がない。脳出血はいわば水道管が破裂したようなものなので、近くのトイレまで水浸しになり、使えなくなる、と記載されていた。


脳梗塞も閉塞の部位で当然重症化するのだが、現状の私のレベルの症状で「脳出血」はそういう意味で可能性が低いと考えた。閉塞部位もわずかなので、血栓溶解療法や血栓吸引除去術にはならないだろうとは思っていたが、一応、脳梗塞のゴールデンタイム(積極的治療の可能な時間)は3~4.5時間。早ければ早いほど良い。外来担当日だが、外来を終えてから受診、では遅すぎる。Time is Brain.である。


なんとなく動きが悪いような気がする左手も使いながら、診療情報を作成する。自分自身の体に起きたことだから、書きやすい。


書き終えて、先生に確認してもらいサインをいただき、その足で地域連携室に顔を出した。


「すみません。緊急で病院を調整してください。患者は私です。発症から2時間の脳梗塞疑いでお願いします」と伝え、自宅から一番近い総合病院を第一希望。最寄りの駅の駅前にある大学病院を第二希望とした。


その足で、医事課の課長に、私自身の状態を報告。外来を休診としていただくようお願いした。そして調整がつく間、医局に戻り、白衣を脱いで私服に戻る。椅子に腰かけ、両手を前にならえ状態にして、目を閉じる。「上肢Barre兆候」と呼ぶが、麻痺があると麻痺がある方の手が少し落ちる。実際にしてみると、確かに左手がわずかだが明らかに回内し、右手の位置より下に落ちていた。左手にも麻痺が出てきているようだ。


「困ったなぁ。どうしよう」と思っていると地域連携室から電話。


「先生、第一希望の〇×病院が受け入れOKとのことです。救急車で来院してください、とのことです」


ということで、着替え終えると、妻に電話をかけた。


「ごめん。左の手足の感覚がおかしくて、少し麻痺もあるみたい。〇×病院が受け入れてくれたから、救急車で搬送になる。9:30くらいをめどに救急外来に来てくれる?」


と伝えて、病院玄関に一番近い地域連携室で待機する。なんとなく左上下肢の症状は緩和してきたように感じた。


救急隊が到着した。外来師長さんがこっそりと「救急車を使うから、重症感を出してください」と耳打ちしてくれた。なので、普通に救急車に乗れそうだったが、わざわざストレッチャーを下ろしてもらい、降ろしたストレッチャーに座って、救急車に乗り込むことになった。


医学部生時代の実習や、研修医を終えた後、診療所や今の勤務先で、重症患者さんの付き添い、という形で救急車に乗るのは何度もあったが、自分自身が患者さんとなって救急車に乗るのは初めての経験だった。


車内に収容され、心電図、パルスオキシメーター、血圧計のカフを腕に巻かれ、バイタルサインを確認される。ストレッチャーの背中をあげて、半坐位の状態になっているので、自分の後方にあるモニタが見えない。隊員さんに尋ねた。


「血圧はいくらですか?」

「158/101です」


とのこと。普段の血圧は、降圧剤を飲んでいるので、120~130/80台をほぼほぼ維持できている。脳血管障害を発症した時は多くの場合血圧は上昇する。この血圧の上昇は、脳血管障害のためか、この「非日常的」な体験で興奮しているからか??


確か、患者さんのそばにおられるのが、救急隊の隊長さんだったと記憶している。


「いつも先生の病院にはお世話になっています」

「いえいえ、設備もない病院なので、かかりつけの患者さんでも、他院搬送をお願いしていることも多いです。逆にこちらの方がお世話になっています」


と少しおしゃべりしながら搬送される。救急車の窓はカーテンで閉じられているが、わずかに隙間がある。土地勘があればどこを走っているのか見当がつく。いつもは患者さんの付き添いなので、フロントガラスから見える景色や、側面のカーテンの隙間から自分たちの位置を判断し、患者さんに「もう半分くらい来ましたよ」「この角を曲がったら病院ですからね」と患者さんに声をかけるようにしている。患者さんも自分がどのあたりにいるのが分かれば、安心だろうと思うからである。


患者さんとして救急車に乗ると、後ろの窓についているカーテンの隙間から外の景色が見えた。


医学生時代の救急車同乗実習では、つづら折りの山道を登って患家に向かい、それを下って病院に搬送、ということがありひどく車酔いをした記憶があるが、今回はあまり酔うことはなかった。


〇×病院に到着し、ストレッチャーでERに入る。紹介状と、〇×病院の診察券、保険証を病院スタッフに渡して、ストレッチャーからベッドに移動する。


驚いたのは、急性期の患者さんをたくさん引き受けている〇×病院のERベッドが「本当にベッド」だったことだった。同じく、急性期の患者さんをバンバン受け入れていた私の研修病院では、ERにはベッド兼用の「ストレッチャー」が備え付けられていた。なので、検査に向かって、CTやMRIなど、機械に乗り移らなければならない場合は別だが、それ以外は、入院が決まって病棟のベッドに移るまでは「移乗」という動作をしなくても良かった。寝心地は良くないだろうが、効率的ではあった。なので驚いた次第であった。


救急外来の先生が身体診察に来られる。上肢、下肢ともBarre兆候はやはり左がdropする。ただ、左上下肢の重いような違和感は一番強いときの半分程度になっていた。


初期評価を行なった後、採血、点滴路の確保をされると、ER内にあるCT、レントゲン室に移動した。ER専用のCTがあるのは便利である。


今回のことでは頭部MRIは必須だ、と思っていたので、CTと胸部レントゲンを撮影し、その後は、救急医の先生からMRIについての説明、同意書への記入(右の肘正中皮静脈に点滴路を確保されていたので、右腕が曲げれず、担当医に代筆してもらった)。そして、医師、看護師さんから2回程、そして放射線科でも種々の確認を受け、MRIを撮影した。MRI室に入る前には、身体に身に付けている金属をすべて外さなければならない。私服で搬送されているので、胸ポケットには病院支給の携帯と、薬の説明会でもらったボールペン。眼鏡に腕時計。そして、ズボンのベルトにはスマホ収納ケースと、スマホが入っており、ポケットにはカードを含む財布、反対のポケットには自宅の鍵と車の鍵が入っていた。なので、服を脱ぎ、シャツ(白衣だと透けて見えるので、UNIQLOのAirism)とトランクス姿になり、トランクスの上から紙製の半ズボンをはいて、MRI検査に行くこととなった。


大病院なので、まるで迷路のようである。ストレッチャーに横たわっているので、天井しか見えない。〇×病院、改築してまだ時間が経っていないはずなのだが、照明が直接証明なので、人によっては証明がまぶしく感じるだろう。という点で、間接照明、病院の廊下で採用されているのは故あることだなぁ、と実感した。


エレベーターでフロアを変わり、あっちに曲がり、こっちに曲がりして、放射線科に辿り着いた。


ストレッチャーからMRIの台に移動した。MRIはどうしてもメカニカルノイズが強いので、耳栓をしたりするのだが、耳栓代わりに音楽が流れているヘッドホンをつけられた。


MRIは電磁波で検査をするので、金属は厳禁である。それは持ち込むものだけでなく、例えば、ヘッドホンでも、普通のヘッドホンなら、電線のところで発電されるため、機械が壊れてしまう。なので、ヘッドホンも空気が通るプラスチック製の筒になっていた。異常時に押すナースコールも空気の筒の先に着いたゴム風船だった。


ヘッドホンをつけると、音楽以外はほとんど聞こえなくなり、「消音性の高いヘッドホンだなぁ」と思ったのだが、装置に入り、検査が始まると、かなりの音が聞こえてきた。


何度もMRI検査(頭部だけでなく頸部なども)受けたことがあるが、これまで耳栓なしで感じていた音量と同じ程度の雑音を、消音性の高いヘッドホン装着下でも聞いたように感じた。MRIの性能が上がり、かけられる磁場が強くなると、その分ノイズは大きくなるのだろう。電磁場の変化と、それに対応したシグナル電磁波で画像を作成していくのだが、強い磁場を作るために、おそらくコイルが音を出すほど振動するほどの強い電流を流しているのだろう。


MRI撮影中はじっとしておかなければならないのだが、なぜだかこういう時に限って、鼻の頭や鼻の孔、唇の周りにかゆみを感じたりする。


「痒いよ~、触りたいよ~」と思いながらじっと身動きせずに堪えた。


MRIが終わり、ERに戻るころには、左上下肢の違和感はかなり改善した。


画像が出来上がったようで、救急医が結果説明に来られた。


「MRIでは有意な病変を認めませんでした。ちょっと時間をいただきますが、脳神経内科医の診察を受けてもらいますね。症状は今どうですか?


「今はほとんど症状は消失しています」


もう一度Barre兆候を確認させてくださいね、とのことで上肢Barre兆候を見てもらう。やはりわずかにdropしたようだ。


救急医から脳神経内科医へのコンサルトの電話が聞こえる。もう一度私のところに救急医がやってきて、


「脳神経内科の先生、ちょっとお見えになるまでに時間がかかりますが、お待ちください」と言って、ベッドから離れていった。時間は10時過ぎだっただろうか?


MRIで異常がなかったのは良かったが、やはりTIAはmost likelyだろう。あとは心因性の何かか?あまり最近は強いストレスを受けていた記憶はないのだが。


そんなことを考えながら、閉眼しつつ、医師が来るのを待っていた。ERベッド、ベッドなのだが、寝心地が硬い。やはり心肺蘇生術を考えてベッドが作られているのだろう、なんてことを考えたりしていた。


先に述べたように、右肘正中皮静脈に点滴路を確保されているので、右手が使いづらい。左の示指にはパルスオキシメーターのセンサーがつけられているので、左手も制限されている。


「動きづらいなぁ」


なんてことを考えながら、少し自分で体位変換をしていると、誰かがやってきた。誰かと思えば妻だった。


「ありがとう。来てくれて。助かったよ。今のところ検査では異常ないって。今、専門の脳神経内科の先生待ち」


「ずいぶん待合室で待ったよ。9時半にちょっと遅れそうだったから、急いで病院に自転車で来たら、救急入り口から搬入される患者さんが見えて、『見覚えのある服だ』と思えば、お父さんだったよ。慌てて自転車置き場に自転車を止めて、救急外来の受付に声をかけたんだから。やってくるの早すぎ!」


「いやいや、それは救急隊の人がいい仕事をしたってことで」


と言葉を交わした。時間を聞くと、11時15分頃だった。1時間ほど横になっていたのか。


少し妻とおしゃべりしていると、脳神経内科の先生がお見えになられた。


お互いに挨拶をして、先生から主に妻に病状説明。そのあと、私とお話。


「MRIでは所見はありませんが、病歴からは一番にはTIAが疑わしいと思います。入院で経過を観察し、少なくとも、頸動脈エコーと、あと心エコーはした方がいいと思うのですが」


「お話はよく分かりました。MRIで所見が無くても、その後に脳梗塞を発症された方、私も経験しているのでおっしゃられることはよくわかります。ただ、今回お世話になったのは、自院ではMRIが撮れないこと、脳梗塞のゴールデンタイムを考えて、のことだったので、頸動脈エコー、心エコーは自院でできるので、もしよければ帰宅、自院で追加の検査、とさせてもらえたらありがたいのですが」


TIAで入院しても、在宅療養としても、行なうことは基本的には変わらない。入院していれば、再発作の時に素早く対応ができる、ということは利点であるが、後期研修医時代、TIA疑いの患者さんを担当したことがあり、MRIでは有意所見なく、頸動脈にも問題なし。不整脈もない方だった。抗血小板薬を投与し1週間経過を見たが、発作の再燃なく退院としたところ、翌日に脳梗塞で再入院となった方を経験している。ラクナ梗塞で、1週間程度のリハビリでほぼ麻痺も改善したため、退院としたことを覚えている。退院の時に「TIAで、薬を使って今のところ脳梗塞は発症しておらず、再度のTIA発作もありませんが、常に脳梗塞発症のリスクがあることをご理解ください」と説明して帰ってもらったので、大きなトラブルとならずホッとしたことを覚えている。


もう一度TIA発作が起きるのかあるいは脳梗塞として発症するのか、これは予測できないし、正直なところ、予防のしようもない。そんなことを考えた。


「まぁとりあえず、診察をさせてくださいね」

と先生がおっしゃり、本当にTop to Bottomで細かく見て下さった。神経診察の教科書を読んでいるようだった。四肢の腱反射については、先生の所見の取り方がうまく、コツを教えてもらったりした。


「先生、2015年にも、頭部MRIを撮影されていますね」

「はい、確かそのころに撮影した記憶があります。あの時もTIAを疑ってお願いしたと記憶しています」

「なるほど。その時はメンタルを崩す前でしたか?」

「はい、あの頃は特に服用している薬はなかったです」


しばらく脳神経内科の先生は考え込んでおられた。


「可能性としては、確かにTIAは否定できないと思います。あとは、ヒステリー様の身体表現系の症状の可能性もあると思います」

「おっしゃる通りだと思います。ストレスはあまり感じてはいませんが、否定はできないと思います」

「身体表現性障害だとしたら、抗血小板療法も副作用だけ、ということになりますね。上のものと相談して、もう一度お話しさせてください」


ということで、先生はいったんERを離れられた。しばらくすると、ERのスタッフの方から、


「職場の丸山師長(外来師長)が、救急待合室でお待ちです。患者さんのカンファレンスでこちらにおいでになられた様です」


とのことだった。ご心配をかけて申し訳ないと思った。


しばらくして、先生が戻ってこられ、


「それでは、一旦薬なしで、自宅で経過を見ていただこうと思います。頸動脈エコーは必ず確認してください。病院に脳神経内科の先生がおられたと思うので、またその先生とご相談くださいね。返信を作成するので、着替えて、待合室でお待ちください」


ということとなった。


服を着替えて、忘れ物の確認をして、ERからER待合室に移動。師長さんに


「この度はご迷惑をおかけしてすみません」


とお伝えした。勤務については病院サイドで調整する、とのことだった。


妻は先に買い物をして、家に帰るとのことだった。私も仕事には戻らず、精算が済み次第タクシーで自宅に帰ることとした。


本当に重症で救急搬送、というのは困るが、今回は軽症だったので、いろいろと考えることができた。患者さんになるのもいい経験である。もちろん、健康が一番ではあるが。

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