第586話 数学の苦手な理系一族。

「数学の苦手な理系一族」とは我が家のことである。妻は文系(国文科卒)なのだが、私は旧帝大の工学系学部を卒業し、医学部も卒業している、という事でバリバリの「理系」に分類される。長男は「医学部志望」なので理系、次男も「自然科学が好き」という事で、「文理選択」の時は「理系」を選択する、と宣言している。


ただとても、いや、極めて残念なことに、父も、息子たちも「数学」が「鬼門」である。


私の実父は工業高校卒、母は商業高校卒である。母は「数学、好きだったよ。答えがピタッと決まっているからね」と言っていたが、今考えると、母を軽んずるわけでは決してないが、「商業科で必要とされる」数学は「四則演算とその周辺」になってしまうだろう。複素平面や微積分を勉強したとは思えない。母は今でこそ元気だが、若いころは病弱だったそうで、祖父が母の身体を気遣って、自宅近くの商業高校に進学させたと聞いている。私の高校受験時代、まだその高校は女子高として残っていたが、偏差値的にも…な高校であったことは事実である。


繰り返しになるが、母を軽んじているわけでは決してないが、母が「得意だ」と言っていた数学、いわゆる普通科の理系専攻が学ぶ数学に比べるとおそらくうんと簡単だったのだろうと推測している。微積分や複素平面をひょいひょいとこなしていたとは思えない。その代わりに、簿記などは本当に得意だったのだろう(母が家計簿をつけている姿は見たことがないが(笑))。


実父は数学が得意だったのか、苦手だったのかは聞いたことがない。ただわかっているのは、「工業高校」出身だということと、「首席」で卒業した、という事である。


専攻が何だったのかは知らないが、「工業高校」ではやはり扱う数学が異なってくる。電気を扱うなら当然複素数は必須であろうし、微分、積分も避けては通れない。私が子供のころ、学校の進度より少し早めに掛け算の筆算、割り算の筆算を父から教えてもらったが、わかりやすかったことを覚えている。何の時だか忘れたが、平方根を筆算で求めていた記憶がある(開平法)。私の高校時代は「開平法」は扱っていなかった(多分学習指導要綱の範囲外だったのだろう)。なので、私はそれができない。なのでおそらく父は、高校で数学もしっかり勉強ができたのだろう。


さて、私である。数学ができる人から見れば、「単純に演習量が少なかっただけじゃないの?」と切って捨てられるかもしれないが、何となく相性が悪かった。特に図形(幾何学)、ダメでしたね。補助線を引いたり、色々と試行錯誤をするも、どうしても解けず、解答を見ると、予想外のところに補助線が引かれていて、「誰がこんなん気がつくか~!(いや、多くの人が気付いているよ!)」と叫んだり、難易度の高い問題に悪戦苦闘して、やはり解けずに解答を見て、同じように「誰がこんなん気がつくか~!(いや、できる人はみんな気付いているよ)」と吠えていたことを覚えている。問題演習が足りない、と言えば否定はできないし、「数学的発想力に乏しい」と言われれば、否定はできない。ただ、他の教科で、かけた労力と得られた得点を考えると、明らかに私にとって数学は「かけた労力の割には得点が取れなかった」とは言える。中学時代は父の病気で、家庭がぐちゃぐちゃだった、という事は、成績とは関係ない、という事にしておくことにする。


今は大阪府の公立高校の入学試験は、3段階の難易度で問題が作られているが、私が受験したころは、問題は1種類だけだった。英語、数学、国語、理科、社会の5科目だった。翌日に新聞で解答が発表されるのだが、国語は「作文」があるので、その点数はわからないものの、英語、作文以外の国語、理科、社会は満点だったと記憶している。作文も学校で何度も練習させられた(いや、練習課題をさせていただいた)が、15点満点で、ほぼほぼ14点(満点はくれない)だったので、悪くはなかっただろう、と思っている。

 

ただ、数学は本当にひどかった。問題+解答用紙、結構大きなサイズで表裏に問題があったが、自信を持って解答できたのは、表の1/4だけ(つまり全体の1/8)だけだった。中には、練習問題で何度も解き、難なく証明できていた問題もあったのだが、それさえまともに解けなかった。


貧乏な実家だったので、「ダメだ。私立高校は受かっているが、お金がなくて進学できないや」と、合格発表まで真剣に悩んだことを覚えている。なので、公立高校に合格できたのは「奇跡」であった。私は地域の2番手校に進学していたが、数学が人並みにできていれば、地域の一番手高校に行けたかもしれない(かもしれない、は禁句)。


以前にも書いたが、高校時代は極めて悪性の「数式を見ると強い睡魔に襲われる症候群」に罹患してしまったため、成績も「推して知るべし」の状態だった。


時代はバブル最盛期、世間では私立文系が流行だったが、自然科学が好きだった私は無謀にも、その当時もっとも不人気で「ダサい」とバカにされていた「国公立理系」を選択してしまった。


私という人間の「特徴」なのだろうと思うが、得意、と不得意の格差が大きく、でこぼこしている。高校だけでなく、進学した工学系の学部の成績表も、並んでいる文字は「優」と「可」ばかりで、程よい「良」の文字が見当たらない。


高校時代は、英語、国語、理科2科目(物理、化学)が得意科目で、数学と社会(地歴)が苦手だった。どうも「好きではない」ものは「頭に入らない」ようだ。後に医学部を受験するときには、社会は地歴ではなく、公民(倫理)を選択した。もちろんこれは大正解。チャート式の参考書を購入し、完全に自学自習だったが、面白いように頭に入るし、センター模試でも高得点を維持できた。


ただ、高校時代は、理系選択者は「理系科目」(理系物理・理系化学・微分積分・確率統計)を選択すると、社会では「公民」を選択できなかった。これは私にとってはビハインドだったかもしれない。


理系に進もうとすると数学が足を引っ張り、文系に行こうとすると社会が足を引っ張る。なかなかに難しい時代であったが、何とか英語と理科2科目のおかげで、大学に滑り込むことができた。


大学院も、私が進学した医科学修士課程は英語と小論文、という出題だったが、自校の院試は、英語、ドイツ語、数学だったように記憶している。数学で強烈に記憶に残っているのは「シンプルカテナリー」(つり橋の橋桁と橋桁の間にできる釣り縄の曲線)の問題である。


問題文からは、微分方程式を導き出せた。題意から、答えは「シンプルカテナリー」だという事はわかった。シンプルカテナリーの一般式もわかっている(覚えていた)。問題は、与えられた微分方程式から、どうやってシンプルカテナリーの式を導き出せるか、だった。常微分方程式なので、解けるはずなのだが、試行錯誤しても、だいたい「本番」にはうまくいかない宿命があるようだ。何とか答えから逆算して、それっぽい証明をしたことを覚えている。


自学科の院試、それなりに不合格の人がいたから、あの「シンプルカテナリー」、何とかしていなければ落ちていたのかもしれない。


こういうところでも数学は足を引っ張ってくれたのである。


医学部再受験の時は、センター試験は何とかなった。二次試験の前期、関西からは特急1本で行くことのできる地域の医学部を受験した。数学は例年、基本的な問題が出題されるのが特徴、という大学だったはずなのだが、ここでも数学が足を引っ張ったようで、過去問を解いたように「スッキリ解けた!」とはいかなかった。年齢が足を引っ張ったのか、数学が足を引っ張ったのかは不明だが、センター試験後の合格可能性判定でA判定が出ていたのをひっくり返したのは確かである。


そんなこんなで、何かと数学が足を引っ張ってきた人生であった。


長男君も「医学部志望」なのだが、やはり数学が足を引っ張っている。私のように「睡眠学習」ではなく、本気でしっかり勉強しているのだが、もう一つ数学が伸びない。長男君も、私と同じように文系的雰囲気で、英語、国語は抜群の成績、社会は公民を選択しているので、これも良い成績。理科2科目が少し足を引っ張り、数学が足をかなり引っ張っている。


頑張れ、お兄ちゃん!!


次男君は、勉強をしないので何を言わんや、の成績ではあるが、理科の成績は良く、本人も自然科学に興味があるようだ。なので、「理系志望」というのはわかるのだが、次男君にはまず、「普通に勉強しろ!」と言いたい。勉強せずともいい点数が取れるのは、選ばれた人たちだけだよ。勉強の種なんて、あらゆるところに転がっているんだから、「するべき勉強をしなさい!」と言いたいところである。


頑張れ、次男君!


そんなわけで、男3人とも、数学では苦労をしている次第である。


高校までの数学ができる人、どうやったら、解法の手がかりをつかめるのかなぁ、と今でもとても不思議である。

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