第585話 経験者の知恵(538話の続き)

我が家では、日曜日の夜、「鉄腕DASH」を見る時以外は、基本的にテレビをつけない。もちろんラジオをつけているわけでもない。これは妻の強い意向なのだが、「食卓」は「会話を楽しみながら食事をする場所」という位置づけなのである。


しかしながら、男性の多くは女性より言葉数が少ない。「男は黙って…」などという教育をした記憶はないが、私も、子供たちも、「べらべらしゃべる」タイプではない。なので、流れるがままにしておくと、食卓には沈黙しか流れない。


実際に、妻が病気で寝込んでいたり、不在だったりすると、息子たちと私の男3人、「黙食」を意図しているわけでは全くないが、「いただきます」「ごちそうさま」以外は黙~って食事をしているのがふつうである。


そんなわけで、家族全員で囲む食卓では妻が司会進行となって、「はい、お父さん!面白い話を所望!」と、指名制で、誰かが話をする、という事になる。時には「なんで私ばっかり話を振らないといけないの!」と妻が怒り出すこともある。


昨日は、たまたま538話でも書いたジョークがあったので、それをネタにして私が話し始めた。そして研修医時代の給料の話にも当然触れることになる。


「多めに間違える確率」、「少なめに間違える確率」、同じやと思うねんけど、何でか、みんな少ない方に間違えられていたよ、というと子供たちは大笑いしていたが、そこで妻が、


「ちょっと待って!あなた、勘違いしている!」と妻のツッコミが入った。


妻は、私が医学生の時は某大企業の「地域子会社」で働いていた。総務の仕事をしていて、社員の給料計算もしていたと聞いている。


「当直の単位数って、あの「当直表」から計算するんでしょ?」と妻が尋ねてくる。


「そうやと思うよ。僕も『当直表』の担当をしていたけど、作っていたのは「当直表」だけで、各自が何単位の当直をしているか、もちろん作っているときはそれでバランスを見るから把握していたけど、それを事務には渡してなかったなぁ」


ここでの「当直表」は初期研修医、後期研修医で回していた「ER当直表」である。ER当直表は、ER当直に入るメンバーの上位年次、あるいはチーフレジデントが作成することが暗黙の了解となっていた。そんなわけで、チーフレジデントとして1年、その後も、たしか私が退職する直前くらいまでは作っていたように記憶している。


ER当直のルールとして、「絶対禁忌(絶対にしてはならないこと)」は、「連続当直」、「相対禁忌(可能な限り避けなければならないこと)」は、「飛び石当直(当直→当直明け→当直)」、「当直翌日の夜診担当」となっていた。1年次から6年次までなので、15人程度だっただろうか、このメンバーを前述の「禁忌」に触れないように、可能な限り公平に割り振らなければならない。しかも、初期研修医だけ、という日は作れない(後期研修医以上の医師のもとで医業を行なわなければならない、という規則のため)。


という事で、ひと月の当直表を作るのに、5時間くらいかかっていたように記憶している。当直表作成のために、先輩が残してくれたエクセルの「当直表作成支援ツール」を使い(本当はこれと、当直表が連動できていればなおよかったのだが、それはそれでしょうがない)、まず土曜、日曜から人を割り振っていく。可能な限り、その月のどこか1週は土日ともフリー、という週を作ってあげたかったので、苦労して土日を作り、そのあとに平日を埋めていくのだが、「あっ!ここ、飛び石だ!」と気づいて、一人動かすと、次々に禁忌が発生し、頭を悩ませていた。今なら、AIを使ってうまい具合にやってくれるだろうと思うのだが。


そんなこんなで苦労して作るER当直表は、左端に日付、曜日と、初期研修医欄、後期研修医欄でできており、それぞれの欄に、その日に担当する医師の名前が入っている。基本的にはERは3人で回していたが、初期研修医2人+後期研修医1人がデフォルトではあるが、人のやりくり上、初期研修医1人+後期研修医2人、という日も出てくる。


病院によっては、「ファーストコール制」と言って、初期研修医1年次が「ファーストコール」、二年次が「セカンドコール」、さらにその上が「サードコール」というシステムを問ている病院もあった。その病院ではERであっても、「各科当直制(内科疾患が疑われる患者さんは内科系医師が、外科的疾患が疑われる(例えば「外傷」など)患者さんは外科系医師が、小児科疾患であれば小児科当直医が呼ばれ、それぞれの科で「ファーストコール」「セカンドコール」「サードコール(これは内科・小児科兼任の場合もあった)」が決まっている。


このシステムのよろしくないところは、「ファーストコール」は休む間もなく一晩中働かなければならないことと、どうしても手が回らない、あるいは重症、という事で「セカンドコール」を呼ぶと、「何で呼ぶんだよ!」と「ファーストコール」(後輩)に文句を言う不届きな医師が出る、というところである。私もその病院に2カ月間お世話になったが、当直医の数に比べて当直室が少なく、明らかに「ファーストコール」用の当直室はなかった。なので、患者さんが途切れても、ファーストコールは身体を横にすることさえ許されていなかった。


という事で、各年次間で(特に1年目と2年目の間で)不満が溜まっていたことは事実である。


私の病院では、そのようなことは一切なく、初期研修医、後期研修医に関係なく、診療科にも関係なく、来院された患者さんはそれぞれ手分けして診察する、というスタイルだった。なので、後期研修医は「自分が診察する」という業務と、「初期研修医を指導、確認する」という仕事が課せられ、初期研修医よりも後期研修医の方が仕事が多い、という、まぁ、当たり前のシステムになっていた。


という事で、初期研修医、後期研修医ともに仲は良かった。そりゃ、先輩が、自分よりたくさん患者さんを診ていて、なおかつ自分の指導もしてくれていたら、感謝こそすれ、「楽をしやがって」なんて恨みを買うことはない。


そんなこんなで苦労して当直表を作っていたのだが、給料については15日締め、という事になっていた。なので、事務の人は2枚の当直表と格闘していたわけである。


閑話休題。


妻が、「事務に回っているのは「あの当直表」(毎月自宅に持って帰って、妻に渡していたので、妻もよく知っている)だけでしょ。それで、先生ごとに当直回数を数えるんだよね。実際数えると、『名前を見落として数え落とす』ことはあると思うけど、『二重に数えてしまう』ことはないと思うのよねぇ。しんどい仕事で、みんな荒んでいたり、本部に恨みがあったりしたのかもしれないけど、たぶん『わざと間違えて、お金を浮かしていた』ということはなくて、純粋に「数え落とす」確率が、『二重に数える』確率よりうんと高い、という事だけだと思うんやけど」と語る。


なるほど!言われてみればその通りだ。さすが、「給料計算」を担当していた人、視点が違う。言われて感動してしまったと同時に、少なく数えられていたことばかり起きていたことにも合点がいった。


う~ん、すごい説得力である。長年の疑問が一気に晴れた気がした。さすが実務経験者!と改めて感心した次第である。

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