第581話 初期研修医、後期研修医(専攻医)のメンタルヘルス

ソースは読売新聞オンライン。Yahooニュースより


<以下引用>

 神戸市東灘区の「甲南医療センター」の専攻医だった高島晨伍(しんご)さん(当時26歳)が過労自殺した問題で、高島さんは生前、仕事で追い込まれていく心情を母親に吐露していた。センターは長時間労働を指示したことを否定しており、遺族は不信感を募らせている。


<中略>


 しかし、専攻医になる直前の22年2月頃から、救急対応などで深夜に及ぶ残業が続くようになった。高島さんはこの頃、大阪で暮らす淳子さんに「朝5時半に起きてタクシーで出勤し、午後11時に帰宅している」「土日も行かないと業務が回らない」と話していた。

 淳子さんは心配して高島さんの神戸市の自宅を訪ねたが、4月以降は部屋はごみが散乱し、口数も減った。診療の忙しさに学会で発表する資料作成も重なり、5月に入ると「しんどい、しんどい、疲れた。2月から休みなしや」と漏らすようになったという。


 亡くなる2日前、高島さんは、センターまで迎えに来た淳子さんの顔を見た途端に泣き出した。「今週締め切りの学会の資料ができない。あかんあかん」と取り乱し、淳子さんは翌日も高島さんを訪ね、休職を提案した。しかし、「休職したら職場に戻れない」と受け入れなかったという。


<引用ここまで>


診療科を問わず、「手技」を行なう診療科はとかく忙しい。外科系の先生方は「手術」という大きな「手技」があるので言わずもがなであるが、内科であっても、循環器内科や消化器内科などの「手技」が仕事の大半を占める診療科では、時間配分に苦労する。


日中の仕事は、「外来」と「手技」で時間が取れない。私が消化器内科をローテートしたときも、9:00~17:00は、外来の日でなければ内視鏡室に居続けていた。「居続けていた」と言ってもグダグダしているわけではない。午前中はひたすら上部消化管内視鏡を行ない、ちょうど昼食の時間帯あたりに、「上部消化管内視鏡+下部消化管内視鏡」の人の検査を行ない、午後は、下部消化管内視鏡。15:30位にその日の消化管内視鏡検査が終わり、その後はERCP/ESTなどの難易度の高い内視鏡的手技を行なう、というスケジュールだった。もちろん、その間に、救急搬送された吐血の患者さんの上部消化管内視鏡を行なったり、胆道閉塞疾患の方のPTCD/PTGBDなども行なっていた。ルーティーンの上部消化管内視鏡も、下部消化管内視鏡も、後期研修医には、supervisorの先生がつき、時に見落としを指摘してくださったりしていた。


なので、入院患者さんの「管理・治療」はいわゆる「通常勤務時間」にはできないわけである。夜に回診すると、緊急を要する状態変化に追いつけないことが多いので、どうしても朝早くの回診とせざるを得ない。患者さんを診察すれば、当然カルテを記載しなければならないし、点滴や内服薬の指示、検査の指示なども患者さんごとに行わなければならない。


医療は「チーム戦」であり、手技を必須とする診療科では、特にそういう雰囲気が強い。いわゆる「体育会系」的雰囲気である。すべての病院がそうだ、というわけではないが、少なくとも私は悪しき「上意下達」的雰囲気の中で仕事をしたことはない(手術室以外では)。チームとして教育的雰囲気にあふれていたが、それだけに、チームの輪を乱す行動は厳しく注意された(チームとして対応しなければ、患者さんの命にかかわることもあるから)。


当然医師と看護師もチームではあるが、この二つのメンバーは異なる時間軸で仕事をしているので、致し方ないものの、そこでトラブルが起きることはままある。看護師さんは基本的には8時間3交代(最近は準夜勤+深夜勤を合わせて、16時間の勤務とし、夜勤は2日分の労働と換算するところもある)なので、日勤帯の看護師さんの交代時間を考えると、「指示は15:30まで」というところが多い。


ところが、医師の業務を見ると、15:30は午前9時から始まる手技の真っ最中で、とてもそれまでに指示を出すことは難しい。不思議なことに「翌日の日勤帯でいいです」と添えて深夜帯に指示を出すと「こんな時間に指示を出されては困ります!」と怒られるのだが、「早朝帯」に「日勤でお願いします」と言って指示を出すと文句を言われることはめったにない。これも不思議と言えば不思議である。


閑話休題。そんなわけで、本当に忙しかったのだと思う。ただ一つ気になるのが、「朝は5時半にタクシーで出勤」という記載である。


初期研修医、後期研修医(専攻医)を合わせて、「レジデント」と呼ばれる。「レジデント」の意味は「住んでいる人」という意味である。つまり、その期間は「病院に住んでいる」ような生活を送らなければならない、という事を暗示しているわけである(これまでの歴史から)。


私の6年間の研修医生活では、自宅は病院のすぐそばであった。院内PHSを持って帰ると自宅からつながるし、何なら、ベランダからの子供たちの声が、ER入り口まで届くほどの距離であった。


いくつかの有名研修病院では院内に「寮」を持っているところもあり、私の研修病院でも、旧館時代に「当直室」として利用されていた部屋は、かつて「レジデント」が暮らしていた部屋であった(昔は本当に「レジデント」だったようだ)。


なので、「通勤時間の多寡」が「疲労感」に影響していたのはあるかもしれない、と思う。ただ、本当に病院に住むと「ストレス」の解消する場所がないので、たとえ病院の隣であるにせよ、「病院外」に住居を定めることは大切なことだと思っている。


年次が低いほど、「仕事」と「勉強」の垣根は低くなる。いわゆる”OJT(On the Job Training)”である。現場でどんどん経験を積んで、できなかったことは本を読んだり、先輩に指導を受けたり、練習設備があればそこで練習したりして知識と技術を身に着けていく、そういう時代である。今は私たちの時代よりもさらに、「専攻医・専門医」となるためにクリアすべき課題が増えており、私たちのころ以上にきつい時代になっているのかもしれない。


研修医時代、そして、私が心を病んで休職するまでの、日々の労働時間を考え、どれくらいの時間外勤務があったのか少し計算してみた。やはり一カ月に200時間以上の時間外労働を行なっていた。ただ、私が過労死しなかったのは、「基本的に家に仕事を持って帰らない」ことをしていたからだと思う。もちろん、自宅でも教科書を読んだりは当たり前のようにしていたが、「学会発表の準備」とか、「カンファレンスの準備」などは仕事の合間に済ませて、自宅は「ご飯を食べて、お風呂に入って、家族と触れ合って、後は死んだように眠る」場所にしていたことが良かったのだろうと思っている。


自宅でも資料作成をしていたら、本当に「意識を失っている」短い時間以外はすべて「仕事」で占領されてしまう。それで心を病まない方がおかしい。


レジデントの勉強会の中で、一度初期研修医みんなで、うつ病の自己診断テスト(SDS)を行なったことがあるが、全員「うつ」の基準を満たし、みんなで大笑いしたことを覚えている。


私が心を壊して休めたのは、「専門医・認定医・指導医」などの資格を確保した後だったからかもしれない。それらの習得のために頑張っている時点では「休んだら、資格が取れない」と亡くなった専攻医と同じように思っていたかもしれない。


ラッキーなことに、私の身近な医師で、「自殺既遂(自殺して死んでしまった)」の人はいないが、「自殺未遂(結構ヤバかった)」の人や、「突然死」の人はパラパラとおられるので、「医師の過労」問題は、深刻であると同時に、医師がそのような働き方をしなければ、日常の医療、特に夜間の救急医療を維持することは不可能である、という事を知ってほしい、と思っている。


亡くなられた専攻医の方「土曜も日曜も仕事」とおっしゃっていたようだが、私も研修医時代はそうであった。土日とも仕事がない、というのは月に一度くらいで、基本的にはどちらかに24時間当直が入っていた。仕事がない日も、朝は病院に行って患者さんの回診をして、カルテを書いていたことを覚えている。もちろんその日に急に状態が悪くなり、「ちょっと覗きに来た」つもりが一日完全につぶれてしまう事も珍しくはなかった。有床診療所に勤務し始めてからも数年はそうしていたが、通勤時間もかかり「これでは本当に休めない」と思ったので、「休日」は本当に「休日」とすることとした。


ただ、一生懸命勉強して医師になり、懸命に医師として修業をする中で心折れ、命を絶っていく、というのは大変に悲しく、そして社会にとっても大きな損失であると思っている。


亡くなられた方に心からご冥福を、ご両親の辛いお気持ちにも、いつか少しでも和らぐ時が来れば、と心から祈っている。

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