第574話 席の温まる暇もなく(その2)

続きです。


訪問診療を終えて病院に戻ってくると、ちょうど12時にならんとする頃だった。訪問診療セット(訪問診療で使うかもしれない、と考えている個人所有の道具を入れたカバン)を置くことなく、外来、処置室に向かった。処置室では救急搬送された患者さんが、点滴、酸素投与をされ、ストレッチャーで横になられていた。


「大変でしたね。今ご気分はどうですか?」

「わし、もうあかんわ」


答えられる。前回入院中も、「わし、もうあかんわ」と元気に答えられていたので、重篤感は強くないと判断した。身体に触れると確かに熱い。それ相応に高熱は出ているようだった。酸素マスクをつけられており、胸部聴診を行なう。限局的なラ音(副雑音ともいう。簡単に言えば、『異常な呼吸音』と理解していただければよい)も認めなかった。


救急対応をしてくださった外来の先生にお礼を申し上げる。


「先生、コロナの検査は陰性です。血液ガスと採血をしましたが、あまり目立った異常はないです。CTを見る限りでは誤嚥性肺炎の様です」とお話を伺った。


高熱が出ており、酸素も必要なので、「では施設に戻りましょう」とはいかない。入院が必要である。部屋の確保、病棟への連絡もついており、あとは私が入院のための書類を書くだけ、となっていた。付き添ってくださったご家族に、「入院加療を行ないます」と説明し、外来看護師さんには、「『入院書類は病棟で書きます』と病棟に伝えてください」と伝言を依頼した。


入院書類セットは用意されており、ひとまずそれを抱えて在宅部に顔を出し、訪問診療の際に、しっかりと記載できなかった患者さんのカルテを記載し、必要な書類を作成し、本日の訪問診療の仕事を終えて、患者さんの入院病棟に向かった。


病棟に着くと、12:20。13:00から別の患者さんの嚥下造影検査が待っている。入院セットの書類、仕上げるのに小一時間はかかるのである。


外来での検査データと画像を確認し、処置室での身体所見を合わせて、書類、指示を書いていく。目は三角になっていただろう。必死である。その最中に、薬剤課から、「持参薬の確認ができました」と薬剤の書類が届いた。前日処方した退院処方そのものである。持参薬の継続をカルテと薬剤課の書類に指示し、また書類を書いていく。


「書類、できました。身体拘束のこと、急変時対応については、昨日までの入院と同様の対応でよいとご家族の確認を得ています。カルテにも書きました!」と病棟看護師さんに書類を渡す。時計を見ると12:50。検査まで時間がない。昼食は無理だ。


医局に戻って、訪問診療セットを片付け、のどがカラカラなので、お茶を二口飲む。口渇に従って飲んでしまうと、持ってきたお茶が全部無くなってしまいそうなので、二口で我慢。そして、“Nature Calls.”。 “Little Joe”をやっつけてから、放射線科へ急いで向かう。


無事に検査には間に合い、放射線科にはまだ患者さんは降りて来ていなかった。


嚥下造影を行なう患者さんは、別の医師が主治医をしているのだが、聞いた話では、「嚥下機能が低下し、胃瘻を勧められた」ということについて、ご家族が「十分に評価をしたのか?」と不信を抱いておられるらしい。そのために急遽嚥下造影を行なう、ということらしい。しかも今日は主治医が不在の日である。なので、嚥下造影の結果についても私から説明してほしい、とのことだった。ご家族は、嚥下造影検査の現場に入って評価の様子を見たいと希望していたそうだが、放射線科の操作室は狭くて、嚥下造影にかかわるスタッフだけで満員となってしまう。ということで、検査直後の説明、となったらしい。


嚥下機能評価には、継続的に言語聴覚士がかかわっており、言語聴覚士(以下、ST)の臨床判断としても、「嚥下機能は不良であり、経口摂取は危険」ということだった。STさんや、病棟の看護師さんに嚥下の状態を聞いても、「とろみ付きミキサー食やゼリー食を少量食べてもらって、ラッキーならのどがゴロゴロとしてゴホゴホとむせる、アンラッキーなら本人は無反応でSpO2だけが急速に低下する」という状態だとのこと。常に吸引器をスタンバイさせて、注意しながら経口摂取を行なっている、とのことだった。


スタッフの話を聞いただけで、「経口摂取、無理やん」と思った。主治医とご家族との間で、どのような話があったのかは分からないが、嚥下造影検査も「誤嚥窒息」のリスクがある検査である。ご家族へのお話の仕方次第では、危ない橋を渡らずとも、となったのではないかと思うと気が重い。


私が放射線科に着くとほぼ同時に、嚥下造影検査にかかわるスタッフ(栄養士、言語聴覚士、リハビリ課長、NST責任課長、看護師、放射線技師、そして私)が勢ぞろいし、患者さんもやってこられた。


嚥下造影のプログラムは「①とろみ茶を小スプーン1杯、②とろみ茶を大スプーンで1杯、③とろみ付きミキサー食(ビーフン)を小スプーン1杯、④とろみ付きミキサー食を大スプーン1杯」とSTさんが考えてくださった。もちろん嚥下の状態では途中で中止はあり、である。


細かなセッティングも行ない、動画を撮影しながら嚥下造影を開始する。①の時点で、のどの残留は多かった。細かく言えば、喉頭蓋谷、梨状陥凹に著明な残留があり、空嚥下(ゴックンとしてもらう)でも、残留物は残存した状態だった。かろうじて気管内への流入はなかった。②も同様であった。③ではのどへの残留はさらに著明となり(喉頭蓋谷、梨状陥凹だけでなく、咽喉頭部に残渣の貯留が目立った)、残念ながら、気管内への流入も見られた。検査の継続は限界である。STさんと相談し、検査の中止を宣言した。


「これ以上の検査継続は危険なので、これで検査は中止します。看護師さんは急いで吸引処置をしてください」と指示を出した。


窒息せずに検査を終えられてホッとしたのが正直な気持ちである。


その後、STさんと、ご家族への説明について打ち合わせをした。嚥下造影など、画像を評価する際には、まず「解剖」が分からないと話にならない。私が紙に汚い絵をかこう、と思っていたが、STさんが、「嚥下造影の解剖の画像と、正常者の嚥下造影の動画があるので、それを使いましょう」と提案してくださった。私の汚い絵よりはるかにわかりやすい。


嚥下造影検査が終わると間もなく、MSWさんから、「ご家族の方がいらっしゃいました」と連絡が入り、STさんと私で、面談室に移動した。動画はタブレットで撮影していること、撮影したばかりなので何の画像処理もしておらず、そのままタブレットで診てもらうこととした。


お見えになられたご家族にご挨拶。


「内科の保谷と申します。今日は主治医の先生が不在なので、嚥下造影検査の結果について、私からご説明いたします。よろしくお願いします」


そして、最初に、STさんが用意してくれた「嚥下造影で写る構造物」の写真を見てもらい、それぞれの役割を説明。食物の残留しやすい喉頭蓋谷や梨状陥凹の部分、また、嚥下の時には、軟口蓋が挙上し、鼻への食べ物の逆流を防ぐこと、喉頭蓋が倒れこむのと、機関部が挙上することで喉頭に蓋をし、そのタイミングで食物が本来ならスムーズに食道に送り込まれていくことを説明した。そして、正常な嚥下造影の動画を見てもらい、前述の説明を再度行なった。


そして、患者さんの動画を見ていただく。「百聞は一見に如かず」ではないが、健常者の嚥下造影画像をSTさんが用意してくださっていたおかげで、その違いがよりはっきりと理解することができた。ご家族も、「あぁ…。」と理解された様子だった。少し説明を追加し、ご家族のいくつかの質問に答えて、結果説明は終了となった。ホッとした。


時計を見ると13:40。今日は時間外外来の担当なので、そろそろ外来から「発熱外来」の患者さん診察依頼が来る頃だぁ、とおもった。とほぼ同時に外来から連絡。患者さんはCOVID-19陽性だった、とのことだった。


発熱外来については、COVID-19陽性であった方が話は早い。患者さんに、①検査の結果、COVID-19に感染していると診断された。②現時点での療養期間は用紙(療養期間を記載した用紙をお渡ししている)のとおりであること。③体調が悪くなった場合はその用紙に記載している、大阪府の相談センターに連絡すること。④薬剤アレルギーの有無を確認して、対症療法を処方すること、この4つをお話すれば終了、であるからである。80台を超える方にはこれに加えて、⑤抗ウイルス薬として「ラゲブリオ」を処方することと、薬剤の説明用紙を渡すことが追加される。もちろん、SpO2の低下した中等症1以上の重症患者さんの場合は、入院のための転送業務が必要となるが、きわめてまれである。


逆に、COVID-19は陰性、インフルエンザも陰性であった人の方が手間がかかる。再度症状を確認し、本人の重症感が強くなく、鼻の症状+咳、あるいは咽頭痛があり、発症から数日であれば、「COVID-19でもインフルエンザでもない風邪症候群」の可能性が高い、と説明し、対症療法薬と異常時には再受診することを伝えて診察終了、であるが、鼻の症状を伴わない(風邪症候群の定義には、「鼻の症状」が必須である)ものならば、病歴、身体診察と、胸部レントゲンや血液検査が必要となることもある。院内の緊急採血は結果が出るまでに20分程度かかるので、その間、別の仕事をしていても、気持ちの半分は外来に残った状態となり、落ち着かない。


とにかく午後最初の発熱外来の患者さんは、お元気な中年男性だった。上記のようにお話しし、対症療法を処方して、診察は終了した。


時計を見ると14:00。14:30から新入院の患者さんが来棟するので、昼食をとるならこのタイミングである。医局に戻ると、朝には片付けたはずのカルテの山がまたできていた。


とりあえずそれを横によけて、昼食のお弁当を開く。以前にも書いたことがあるが、私は、後ろに予定が入っていて、それに追われる状況はあまり好きではない。なので、ついつい昼食も急いで食べてしまう。10分ほどでお弁当を食べ終え、お茶を飲んだ。時計を見ると、14:20近くになっていた。カルテの山は少し置いておいて、新入院の方が来られる病棟に向かう。


新入院の方は、90代の男性。多発する椎体骨折で急性期総合病院に入院された。整形外科でダーメンコルセットを作成し、リハビリ病院に転院されたが、リハビリ病院で肺炎を繰り返す(??)ため、元の急性期病院に転院。「肺炎」とのことだが、血液検査では「炎症反応は低値」とのことらしい(じゃぁ、なんで「肺炎?」)。それでリハビリ継続目的で、当院に転院となったそうである。


14:40頃に患者さんが来棟された。ご本人はお元気そうで、受け答えもしっかりされており、90代には見えない。胸部聴診では右前胸部にrattling soundを聴取し、湿性咳嗽も見られた。


ご本人は病室に案内し、着替えてもらうこととした。ご家族に面談し、入院時のルーティーンの説明を行なった。


ご家族とのお話が終わると、外来から連絡。「発熱外来の患者さん、COVID-19陰性です」とのことだった。


「う~ん、困ったなぁ」と思いながら外来に向かう。患者さんのカルテを手に取り、病歴を確認した。


「10日ほど前から咽頭痛が出現し、高いときで38度台の発熱、鼻汁、咳嗽もあった。5日ほど前からは解熱し、体調も良くなったが、少し痰がらみの咳が出ている」とのことだった


何だ。「COVID-19かどうかは分からないが、風邪をひいて治った後、少し咳が残っているだけじゃないか」と思った。そりゃ、COVID-19抗原検査は陰性なわけだ。COVID-19だったとしても療養期間も終了している。


患者さんのところに向かい、結果を説明する。患者さんもお元気そうで、熱もない。胸部聴診するが、異常を認めない。


「COVID-19かどうかはわかりませんが、いわゆる「風邪症候群」と呼ばれるウイルス感染症にかかり、今は治癒した状態です。痰がらみの咳はしばらく続くことは珍しくありません。お薬はどうしますか?」

「いや、コロナかどうか知りたかっただけで、咳も大したことがないので薬も不要です」


とのこと。あぁ、よかった。


新入院の患者さんが来られると、薬剤課で「持参薬鑑別」という作業が行われる。持参薬の種類、日数を確認する作業である。結果は「鑑別書」という形で病棟に上げられ、主治医がそれぞれの薬を継続するかどうかを確認、継続日数を記入することになっている。


二人入院されたので、それぞれ別のタイミングで薬剤課から連絡が入った。


発熱、低酸素血症で入院された方は、前日に退院処方を出したばかりなので、薬はすべて継続とし、持参薬終了後の定期処方箋(これを書くのも時間がかかる)を作成した。


他院からの紹介入院の方は、継続すべき薬剤を選択し、継続の指示を出し、定期処方箋も作成した。この患者さんについては入院時のレントゲンを確認すると、確かにいろいろと所見があった。結核に特徴的な陰影ではないが、微熱があり、白血球やCRPが上昇しない肺炎で胸水も貯まっている、と考えると、「結核」については除外が必要と考えた。念のため、喀痰の抗酸菌検査(塗抹、培養同定、感受性)を3日間、結核菌PCRは1日、依頼をかけた。


そんなこんなで、病棟仕事を終え、医局に戻ると15:30となっていた。発熱外来はもう一人来る予定、と聞いていたが、ちょうどその時、結構強い通り雨が降り始めた。


医局に戻り、書類作成を頑張り、カルテの山を片付け、お茶を飲んで一息つくと、16:00を回っていた。


私の今日の勤務時間は、8:00~16:00となっているので、発熱外来の人は来なかったが、一応、本日の仕事は終了である。


白衣を脱ぎ、不織布マスクを交換し、空になった水筒とお弁当箱をカバンに詰めて、タイムカードを通して勤務終了!である。慌ただしい一日だったが、何とか乗り越えられて助かった。

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