第572話 席の温まる暇もなく(その1)

午前7時前に職場に着く。タイムカードを通して、医局に入ると、前日にはなかったはずのカルテの山ができていた。これも見慣れた景色である。医局と女性の更衣室が4階にあるので、医事課の女性スタッフが終業後更衣室に向かうときに、書類作成が必要なカルテを一緒に持って上がってくるのである。なので、しょうがないといえばしょうがない。が、朝一番からカルテの山を見るのは気分の良いものではない。


医局の蛍光灯をつけ、エアコンのスイッチを入れ、自分のカバンを机に置き、水筒代わりに使っているペットボトルを医局の冷蔵庫に入れる。私の机は洗面台の隣なので、鏡に映る自分の姿が見える。薄い髪の毛が、寝ぐせでぼさぼさになっている。子供のころ、ぼさぼさの頭で出勤する実父を見て「格好悪いなぁ」と思っていたのだが、大人になると、親父と同じことをしている。こういうところも遺伝なのか、習慣なのか?


洗面台で髪を湿らせて、櫛を通して寝ぐせを直す。心理学的にも、「第一印象」は大事、とのことなので、「寝ぐせだらけ」の医者では信用してもらえないだろう。寝ぐせを直すと、なんとなく、春よりも髪の毛が薄くなったように思うのは気のせいではないだろう。


とりあえず髪の毛を整えたら、新しい不織布マスクに付け替え、白衣に着替える。白衣のポケットは研修医時代からたくさんのものが入っているので、結構重い。1kgくらいはあるだろうか?これに聴診器を肩にかけ、院内PHSを持つと多分それなりの重さになるだろう。院内ルールで、病棟や外来では、不織布マスクとフェイスマスクをつけることとなっているので、フェイスマスクをつける。私は普段からメガネをかけており、メガネの上からフェイスマスクをつけるとフェイスマスクがすぐに外れてしまうので、仕事用メガネとフェイスマスクをセロハンテープでくっつけている。傍で見ると格好悪いと思うが、セットにしてしまうのが楽なのだ。こういうところで楽をしようとするのが「おっさん」なのかもしれない。


とにかく、そんな形で、お仕事モードのスタイルになった。各病棟は、ウロウロする患者さんがいるので、午前7時では階段の出入り口はカギがかかっていて、出入りはエレベータを使うことになっている。エレベータで病棟に入り、順に患者さんを診察していく。診察の時は、どの患者さんに対しても「〇〇さん、おはようございます。今日は調子はどうですか?」と声をかけている。認知症で受け答えが怪しい患者さんにも、意識障害で呼びかけに反応しない方にも同じように声をかける。答えを返してくれる方、表情で返してくれる方、無反応の方、それぞれおられるが、それで私の態度を変えるわけではない。返事を返してくれる方には、お話を聞いて、体調の確認や食欲、睡眠などを確認する。そして、患者さんの体に触れて発熱の有無を、そして胸部、背部の聴診を行ない、特別に診察が必要な部分があれば、その部分を診察する。臥床状態であれば、喀痰や誤嚥物などが背側に流れ込んでくるので、胸部聴診の際に、「背部」の聴診を行なうのは重要なのだが、患者さんを「よっこいしょ」と、身体を傾けて背部を聴診するのは結構力業である。大柄な男性で意識障害があって身体が動かせない、という方で、一人で「よっこいしょ」とするのは大変である。


そんなこんなで一つの病棟の患者さんの診察を済ませ、ナースステーションでカルテを記入する。当院は紙カルテなので、カルテは基本的にナースステーションにある。


患者さん一人一人、夜間帯の看護師さんの記載、熱型表(体温、バイタルサイン、食事量などをまとめた表。1週間で1ページとなっている)を確認して、必要な指示があれば指示を出す。


当院には病棟が二つあるので、両方の病棟で回診を行なうと、1時間~1時間半はかかる。定期点滴の指示日や、定期処方日はもう少し時間がかかるので、回診を終えると、8時半を過ぎていることが多い。私たち医師の定時は9時からなので、この1時間半はサービス時間外業務ではあるが、朝一番に入院患者さんの診察を終えておくことは利点が多い。患者さんの状態を把握しているので、ある程度安心である。重症の患者さんがいても、心の準備ができているので少し気が楽である。


そんなわけで、8時半過ぎに回診を終えて医局に戻ると、先ほどの書類作成に取り組むことになる。ひとまずのタイムリミットは9時であるが、生理現象なども訪れるので、これまた慌ただしい。


今日の午前は訪問診療、午後からは、嚥下造影検査(レントゲン透視下に、造影剤を混ぜた食べ物を食べてもらい、食物の嚥下の様子を確認する検査)、私の担当患者さんではないのだが、そのご家族に嚥下造影検査の結果説明、新入院の患者さんが1名、そして、時間外外来+午後の発熱外来の担当となっている。担当患者さんであれば、入院の時や、入院中の病状説明などで、ご家族と数回顔を合わせているので、どんなご家族なのか雰囲気がつかめているのだが、自分の担当患者さんではない方に重要なお話をするのは非常に気を遣う。朝から嚥下造影検査とその結果説明のことで気が重い。


少し落ち込み気分で、訪問診療を担当している在宅部のドアを開ける。同行してくれる看護師さんから、今日の訪問診療の特記すべきことを教えてもらう。


今日の訪問診療で、一人、COVID-19に感染し、臨時で点滴を行なっている患者さんがいるのは把握していた(点滴指示を書いたので)、が、さらにもう一人、COVID-19に感染した方がおられるそうだ。当然「COVID-19に感染したから訪問診療は中止」なんてことはない。むしろ診察しなければならないので、当然診察リストに入っておられる。その他、新規に訪問診療にエントリーした患者さんが二人。1人は、最近私の外来に通院されていた方なので、おおよそ状況は分かるのだが、もう一人は全く初めての方である。胃ろうを造設しているそうだが、胃瘻から栄養が入った影響で体調がよくなり、経口摂取が可能になったのだが、今度は胃瘻から出血が続いているそうだ。利用しているデイサービスから「出血の原因」と「治療」を依頼されている、とのことらしい。「おそらくあれが原因だろう」と話を聞いた時点でおおよそのあたりは付いたが、甘く見ていると、落とし穴にはまるので、丁寧に診ていこう、と思いながら出発する。


「訪問診療」という医療行為には、ある意味「相性」がある。「訪問診療を苦としない」医師と、「訪問診療が性に合わない」医師がいる、ということである。私が修業をした研修病院では、私の在籍中に内科医で訪問診療を担当していた医師は4名だけであった。今から20年近く前のことであり、自宅でできる検査も限られていた(今は超音波検査も在宅でできるし、本当の意味で「ポータブル(持ち運びできる)」のレントゲン機器もあるが、そのようなものは当時はなかった)。なので、患者さんの病歴、身体所見である程度あたりをつけて対応せざるを得ず、容易に検査ができる環境にある「病院」という場所を離れて、医療的ケアが必要な患者さんをフォローしていくことに「怖さ」を感じる医師も多かった。私自身も、訪問診療を始めた直後は、病院での医療と在宅での医療の違いに戸惑うことが多かったことを覚えている。


閑話休題。そんなわけで訪問診療に出発する。もちろん、COVID-19の患者さんは訪問診療の最後に伺うことになる。いつも訪問診療に向かうたびに、いろいろと頭を抱える問題に直面する。


90代半ばの女性。連合弁膜症(大動脈弁狭窄症+僧帽弁閉鎖不全)と、うっ血性心不全の既往があり、軽度の認知症があるもののお元気な方。私が現在の職場に来て数か月ほどの時に、当院に入院され、その後訪問診療を続けている。大動脈弁狭窄症は弁膜症の中でも予後の悪いものであり、心不全を起こすような状態となれば、教科書的には生命予後は半年程度、突然死もありうる、というものであるが、奇跡的に、3年近く、トラブルを起こすことなく、ヘルパーさんの介入のもと、独居生活を続けておられる方である。


経過中、貧血の進行を認め(実はこれが曲者)、鉄剤を投与していたが、最近、便が黒くなったり、少し血液が付着したりすることがある、との報告を看護師さんから受けた。看護師さん曰く、「キーパーソンの娘さんは『年も年なので、精密検査は不要です』とおっしゃっているが、息子さんが「大腸内視鏡などの検査が必要ではないか」と言われているそうです」とのこと。


大腸内視鏡(下部消化管内視鏡)は、胃カメラ(上部消化管内視鏡)よりも穿孔などのリスクが高く(穿孔のリスクは約10倍)、前日から強い下剤を使うなどの準備(プレップ)が必要であるが、高齢者ではプレップの際にトラブルが起きることもしばしば(下剤で逆に嘔吐を起こし、誤嚥窒息で死にそうになった患者さんを経験したり、大腸の狭窄部分に便が一気にやってきたために「大腸閉塞」を起こして緊急手術になった患者さんを経験したこともある)なので、行なうにしても、70代後半~80代前半くらいまで、と思っている。80代の方は、プレップから入院で行う方が安全だと思っている。


そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら、患者さんのお宅を訪問。


「〇〇さん、最近暑い日が続いていますね。体調はどうですか?夏バテとか、だいじょうぶですか?」

「先生、ありがとうございます。家は冷房をつけっぱなしにしているので、しんどいことはないですよ。食事も普段通り食べてます。ご心配ありがとう」


とお話をしながら身体診察。心雑音は変わらず聞こえているが、頚静脈の怒張もなく、歌詞の浮腫もない。血圧もそれなりにコントロールされており、状態は安定していると判断した。


「遠方に転居していた娘が最近、こちらに帰ってきて、よく顔を出してくれます。ありがたいですねぇ。それに比べて、息子はちっとも顔を見せにも来ません。娘とはえらい違いです」とのこと。


やはり、患者さんをよく看ている人は、分かっているのだなぁ、と思った。この方に限らず、患者さんのケアをしっかりしてくださっているご家族は、今後の方針について、医療者側と共通認識を持っておられることがほとんどで、時に「純粋に」迷われて、意見を求められることがあるが、多くの場合は、「阿吽」の呼吸で、医療者側の提案する方針とご家族の希望される方針が一致することが多い。


その一方で、患者さんをみていない人ほど、的外れの要求をしてくることが多い印象がある。今回もそうである。ちっとも様子を見に来ない「息子さん」が「下部消化管内視鏡」を希望しているのである。先に述べたように、検査、あるいはプレップに対するリスクも高く、仮に、悪性のものが見つかったとして、年齢と心臓の状態を考えると「手術」は無理。内視鏡的な手術もリスクが高い。抗がん剤治療を行なうとかえって寿命を縮めてしまう。消化管のがんで多い「腺がん」は放射線感受性が低い(放射線治療が効きにくい)。なので、悪性のものがあっても、正直「できることがない」わけである。見つかっても「何もできない」ものを、リスクを負って探しに行く必要性はないだろう。リスクだけで、ベネフィットがない。そのような治療は不要である。


そんなわけで、患者さんの診察後、同行の看護師さんに、「大腸カメラは不要です、と医者が言っていたと息子さんには伝えてください。『医者と話したい』ということであれば、日程を調整してくだされば、お話しします」と伝えた。この患者さん、一見お元気にお過ごしだが、本当はトランプで作ったタワーのようなものである。どこかで何か、不調が起きると一気に崩れてしまうだろうと思っている。


新規の患者さんで、胃瘻から出血しているのでデイサービスで入浴させてもらえず困っている、という方の訪問診療に向かった。


「こんにちは。これから訪問診療を担当する内科の保谷と申します。よろしくお願いします」とご家族、患者さんに挨拶をする。患者さんは滑らかに言葉を発するが、言葉の意味は全く理解できない。


患者さんは複数回、脳血管障害を発症され、失語や嚥下障害があり、胃ろうを造設した、とご家族から伺った。「失語」には、「運動性失語(Broca失語)」と「感覚性失語(Wernicke失語)」そして両方を合併した「全失語」という状態がある。耳から聞こえた「言葉」や、自分の中にあるイメージは大脳の「Wernicke野」に情報が送られる。この部分は言葉の意味を理解したり、伝えたいメッセージを作りだしたりする領域である。そして、伝えたい言葉は「Broca野」に送られ、声帯や頬、軟口蓋、舌を動かして、「言葉」として発していく、という流れになっている。


運動性失語は、Broca野にダメージがある状態で、言われた言葉の意味の理解はしっかりしているが、「言葉」を作り出すことがうまくできない状態である。なので、話し方は「電文調」と呼ばれる、単語を訥々と並べたものになる。例えば、「私、バナナ、食べる」というような、助詞を使わない言葉となる。


一方の感覚性失語は「Wienicke野」がダメージを受けるので、こちらから伝えた言葉の意味や、自分自身の思いを言葉にする能力が失われてしまう。その一方で、Broca野は正常なので、話し方は流暢だが、意味が分からない言葉を羅列するタイプの失語となる。言語の理解力も失われるので、こちらが何を言っているのかを理解することもできなくなる。流暢に語られた「意味のない」言葉を”Jargon”と言ったり、ドイツ語では”wortsarada“(言葉のサラダ)と言ったりする。


全失語は、Wernicke野、Broca野ともにダメージを受けた状態である。言葉も拙く、意味も分からない、という状態である。


患者さんはWernicke失語だった。発語はスムーズだが、まとまりのない単語を発しておられた。身体診察は問題なし。胃瘻からの出血がある、ということだったが、出血量はきわめてわずかで、予想していた通り、胃瘻のチューブに沿って不良肉芽ができていた。


ご家族に「便は海苔の佃煮のように真っ黒いものではないですか?」と確認したが、普通の便の色、ということだった。ご家族には、「胃瘻のチューブの周囲に、出血しやすい「肉芽」という組織がチューブの刺激で増えて来ていて、そこから出血している状態です。おなかの中で出血したものがあふれ出ている、というわけではありません。デイサービスで入浴しても大丈夫です。肉芽を小さくするために、肉芽の部分に綿棒でステロイド軟こうを塗ってください」と伝え、処方薬とステロイド軟こうを処方した。


その後、何件かご家庭を回り、COVID-19患者さんの訪問に向かった。1軒目の方は、感染で食事もとれなくなり、水分も取れない、ということで訪問看護師さんに特別指示を出し、連日点滴をしてもらっていた。背景はよくわからないが、娘さんが「現代医学」に懐疑的で、COVID-19感染、とわかっても「入院や、コロナウイルスに対する治療は拒否します」ということだった。「ぶどう糖と生理食塩水の点滴」は娘さんから許可が出たので、それでしのいでいる、という状態だった。わずかに食事はとれるようになった、とのことだったが、罹患前の様子と比べると一気に衰弱した印象であった。何とも歯がゆいところではあるが、点滴で何とかしのいで、とせざるを得ない。


もう一人の方は、施設入所中の方であった。施設内でクラスターが発生し、無症状だが、検査をしたところ陽性と診断された、とのことだった。前述のお宅も、こちらの施設でも、部屋に入る前はPPEをつけて入室していた。最近は発熱外来で陽性の患者さんが出ても、PPEなしで患者さんに説明しているのに、いい加減なものだなぁ、と思いながらPPEを装着する。こちらの患者さんはお元気で熱もなく、咳も出ず、食欲も良好、とのことであった。診察するがいつも通り。90歳を超えておられるが、無症状ならわざわざ抗ウイルス薬を処方する必要性はないと判断し、定期薬を処方し、経過観察とした。


訪問診療に回っていた10:45分頃、看護師さんの仕事用携帯に連絡が入った。私が入院主治医を担当し、前日退院、施設入所となった方が、施設で高熱、低酸素血症を呈したため施設から救急搬送の依頼があったが、受け入れても良いか、との連絡だった。


「マーフィーの法則」ではないが、前日まで元気だった方が、退院当日、とか、施設入所後すぐに状態が悪化し再入院となる、ということはしばしば経験する。前日まで入院していたので、断る理由もない。「主治医は私で入院してもらうので、救急車を受け入れて、初期評価は外来の先生にお願いしてください」とお願いした。


なので、訪問診療から戻れば、すぐに患者さんの入院書類を作成しなければならなくなった。午後から、別の患者さんも入院するし、嚥下造影の検査もあるし、「おれ、ちゃんと食事できるのかなぁ?」と心配しながら、12時過ぎに訪問診療から戻ってきた。


次回に続く。

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