第550話 脚気:古くて新しい病気
ソースはAERAdot. Yahooニュースより
<以下引用>
留置場の食事が原因で「脚気(かっけ)」になった――。さいたま地裁は6月、埼玉県警川口署に勾留されていた男性の訴えを認め、県に55万円の損害賠償を命じる判決を出した。健康上必要な量のビタミンB1が、食事に含まれていなかったことが発症の原因と認定した
<中略>
男性の弁護士などによると、男性は2017年11月に詐欺容疑で逮捕され、川口警察署の留置場に勾留された。その後、18年5月ごろから手足のしびれ、筋力の低下、腹部の異常を感じるようになり、次第に歩行が困難になった。
そして男性は18年8月15日、手足がしびれたり、力が入らなくなったりする「ギラン・バレー症候群」の疑いで同県川越市内の病院に入院。翌16日には容体が急激に悪化し、いつ心臓が止まってもおかしくない状態に陥ったという。
そんななか、男性の血液中のビタミンB1濃度が低下していることに医師が気づいた。すぐに補充を開始したところ、17日には全身状態が改善。1カ月後には退院することになった。
診断された男性の病名は「脚気心、ビタミンB1欠乏症」だった。
<引用ここまで>
医学生時代に聞いた話だが、本当かどうかは定かではない。
とある学会(神経内科学会?の地方会レベル?)で、原因不明の末梢神経障害の一例報告がされたそうである。その疾患は、末梢神経障害だけでなく、循環器障害なども併発しており、「この奇病は何だ?」ということで、その症例に対しての検討はかなり盛り上がったそうである。そこにいる若年~中堅の先生方が侃々諤々の論議をしているときに、現役を引退していた、戦前から医業を続けてこられた古参の先生が、「それって、私が若いころによく見た「脚気」のように思うのですが」と発言され、その場にいた医師全員が一瞬固まり、そのあとその場にいたみんなが大いに納得した、ということがあったらしい。
明治時代以降、白米を食べることが増えるにつれ、脚気の患者さんが増えていった。特に軍隊での「脚気」は深刻な問題で、屈強なはずの成人男性がバタバタと命を落としていった。この惨状に対して、ドイツの有名な細菌学者コッホのもとに留学した陸軍軍医総監の森 林太郎氏は「細菌説」を唱え、衛生の徹底を指示した。(この森 林太郎氏は文豪 森 鴎外氏である)。一方、イギリス医学を学んだ海軍軍医総監の高木 兼寛氏は、統計医学を用いて、「栄養説」を唱え、食事内容を西洋式に変更した(海軍カレーもこの改革で生まれた)。この高木 兼寛氏は今の東京慈恵会医科大学の開祖である。
この時代、まだビタミンB1は発見されていなかった(ビタミンB1は20世紀初頭(1910年、鈴木梅太郎が未知の栄養素「オリザリン」として発見された)。
脚気に対する海軍と陸軍の対応は全く異なっており、結局陸軍はどんどん脚気で若い兵士が命を落としていき、海軍での脚気の死者はゼロとなった(高木 兼寛すごい!)。
後に、脚気がビタミンB1不足と明らかになり、脚気はある意味「過去の病気」となってしまった感がある。
しかしながら、臨床医を20年ほどしていると、たまに「脚気」に出会うことがある。たいていは「衝心脚気」あるいは「脚気心」と呼ばれる「高拍出性心不全」で出会う。患者さんの背景は、日々の食事をカップラーメンなどで過ごしている人で、おやつもポテトチップとコーラなど、炭水化物を中心、というか炭水化物しか取っていない人や、お酒のみの人で、「日本酒のアテ(おつまみ)は、塩が一番」と言って、ひたすらお酒しか飲まない人である。
ビタミンB1は、ブドウ糖からATPを作る解糖系やTCA回路を構成する酵素の「補酵素」として働くので、細胞のエネルギー産生には欠かせないものである。
後期研修医のころ、ERにうっ血性心不全急性増悪で救急搬送された方で、頻拍が目立ち、Swan-Gantzカテーテルを挿入して管理し始めたところ、心係数が高かった。内科当直医は循環器内科医である院長だった。院長は、患者さんの生活歴(大酒のみでやせ形、お酒ばかりでアテを食べない)という話を聞いた途端、「先生、分かったよ。衝心脚気だよ。大丈夫、ビタミンB1を補充すればすぐICUから出れるよ」とおっしゃられて、チアミン(薬剤名を忘れました。すみません)を確か450mg/日の量で投与開始した。院長が主治医をされたが、院長の言う通り、翌日には心不全は良好にコントロール、速やかにICUから退室することができた、と記憶している。
ビタミンB1不足としては、「脚気」よりも「Wernicke脳症」や、「Wernicke-Korsacoff症候群」として目にすることが多いように感じている。
閑話休題。そんなわけで、脚気に限らず、ビタミンB1、あるいはビタミンB群欠乏症は時に遭遇する疾患である。
残念ながら、留置所で「脚気」が起きたことは、「拘置所」に収容されている人たちに対する食事が、全く栄養を考慮されていなかった、ということを反映している。
記事にも書いてあったが、「刑務所」で提供される食事は厳格に栄養量が規定されており、きわめて健康的な食事が提供されている。
これまでも、警察署内の留置所が、「拘置所」の代用監獄として使われていることが問題となっていたが、今回のことも大きな問題である。」
脚気を予防するためには、高級な食材を用意したりする必要はない。野菜やお肉など、バランスの取れた食事を提供すれば、そうめったなことはないと思うのだが。
ERから離れてずいぶん経ち、時に食生活がめちゃくちゃの患者さんの担当になることがあるが、「大酒飲み」でアテを食べない人には、基本的にビタミンB群複合薬を開始している。ビタミンB群の欠乏はいずれも厄介で、脚気のように死んでしまう病気もあるので、油断ができないと思っている。
「留置所」で「脚気」かぁ、いろいろな問題を浮き出させてくれるなぁ、と思った。
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