第542話 聴診器を胸に当てないの?

今朝の読売新聞、朝刊の記事。


大阪公立大学が、胸部レントゲン写真から心臓弁膜症の存在を68~85%の確率で診断できるAIを開発した、との記事が載っていた。


このAIで、心臓の専門医が少ない地域や夜間の救急外来などで活用できる、との記事だった。


記事では、心臓弁膜症の診断は、「通常は専門医らが超音波検査で診断する」と記載されていた。


このAIがどのレベルまで診断できるか、ということが書いていないので、判断が難しいなぁ、というのが「何でも内科医」である私の印象である。


小学校、あるいは中学校で学習する内容なので、人間の心臓は「二心房・二心室」の構造となっていることは覚えておられるかと存ずる。右側に(正確には右前胸部側)にある右心系は、身体から戻ってきた「静脈血」を肺に送る「肺循環」にかかわり、左側(後方~左前胸部)にある左心系は、肺で酸素化された動脈血を全身に送る「体循環」にかかわっている(ここまでは「義務教育」の範囲)。


さて、右心系、左心系とも、それぞれ、心房と心室の間、そして心室と動脈の間の2か所に逆流防止弁がついている。この「逆流防止弁」がついていることで、心臓は「ポンプ」の働きをすることができる。右心系に2か所、左心系に2か所の弁があるので、心臓には4つの弁が存在している。右の房室弁は「三尖弁(T弁)」、左の房室弁は「僧帽弁(M弁)」、動脈との間の弁は右は「肺動脈弁(P弁)」、左は「大動脈弁(A弁)」と名前がついている。


弁が故障する、というのは「弁から逆流する」というタイプと「弁がうまく開かない」という2つのパターンになるのはご理解いただけるだろうか?「逆流してもらっては困る」ところに「弁(逆流防止弁)」」をつけるので、「弁から逆流する」というのは「問題だ」と考えていただければわかりやすいと思う。また、「弁」の部分を正しく流体が進むときには、その「弁」が流れを妨げないのが理想である。「弁」が「流れを妨げる」ようになれば、その分、ポンプの出力を上げないといけない。身体の血液(動脈血)は「血圧」という圧力で体の隅々まで送られるので、「弁」が流れを妨げる状態となれば、ポンプ(心臓)に余分な負担がかかってしまう。


「弁に逆流がある状態」を日本語では「閉鎖不全(英語ではregurgitation:逆流、なのだが)」、便がうまく開かない状態を「狭窄」と記載する。


ということで、心臓弁膜症は4つの弁×2つの症状=8つの病態、病名がある(実にシンプル)。高齢者で、いわゆる心臓弁膜症が問題になるのは左心系の弁膜症なので、病気としては「僧帽弁閉鎖不全(Mitral regurgitation:MR)」、「僧帽弁狭窄(Mitral stenosis:MS)」、「大動脈弁閉鎖不全(Aortic regurgitation:AR)」、「大動脈弁狭窄(Aortic stenosis:AS)」の4つの病態である。右心系の弁膜症は多くの場合、合併奇形を伴った新生児期に問題となることが多く、老年期では臨床的に問題となることは珍しい。現実問題として、心臓の超音波検査では、三尖弁閉鎖不全の程度と静脈圧から推定の右室圧を計算するほどである。


閑話休題。記事に記載のあった、「心臓弁膜症の診断は、『通常は専門医らが超音波検査で診断する』」というのは、心臓弁膜症の「重症度」まで診断をつける場合である。それぞれの弁膜症で、超音波診断的な「重症度分類」があるので、それを踏まえ、心臓の超音波検査全体を見て、弁膜症(に限らず、心疾患の超音波検査すべて)は診断をつけている。


胸部レントゲンのAIが、少なくともこの4種類の弁膜症の診断と、その重症度まで診断できる、というのであればものすごく素晴らしいAIだと思う。


一方で、「この4種類の弁膜症を区別できるが、重症度までは判定できない」となれば、悩ましいところである。


以前書いたことがあるが、現在、心臓超音波検査で診断がついた心疾患で、解剖所見と一致(基本的には一致する)したものを100とすると、超音波診断の機械が存在しなかった時代、聴診を主とする身体所見で診断、治療した患者さんで、解剖所見との一致率は80と決して低くない数字であったそうだ。誤診としても「本質的に」外していない誤診(例えば、ASと診断していたが、AS+MRだった、など)が多く、大きく診断を外した症例というのはまれであったと聞いている(出典忘れました。すみません)。


ということで、「この弁膜症がありますよ」という診断は、本来「聴診」でおおよその診断がつくものであり、その診断能力はかなり正確である(はずである)。


心臓の4つの弁、それぞれ、その弁の雑音が聞こえやすい位置はおおよそ決まっており、少なくとも私の外来で胸部聴診をする場合には、「心雑音」、「心調律(脈不整があるかどうか)」、「呼吸音の副雑音」を意識している。心雑音は時に呼吸音に紛れてしまうことがあるので、その時には「息を止めてください」とお願いして聴診することも多い。


心雑音は心臓が収縮するときに聞こえる雑音(収縮期雑音)と、心臓が拡張するときに聞こえる雑音(拡張期雑音)がある。心臓が力を入れて収縮しているときに出現するので、収縮期雑音の方が拡張期雑音よりも明らかに見つけやすい。ということで、ASとMRは比較的よく見つかる。時にMRだ、と思って心エコー(心超音波検査)をオーダーすると、今まで気づかれることのなかった先天性心疾患であるVSD(Ventricular Septum Deficit:心室中隔欠損)だった、という結果が帰ってきてびっくりすることもあるが(これまで3回あった)。


拡張期雑音はそれに比べると難しい。ARは、ときに大動脈から逆流する血流の「シューッ」というか、「ハァーッ」という感じの音を感じることもあるが、大動脈弁の閉鎖音であるⅡ音にエコーがかかったような(風呂場で聞いているような感じ)音で聞こえることがある。MSは、その原因疾患が「リウマチ熱」という溶連菌感染症の後遺症が最多だったとのことだが、「リウマチ熱」そのものを見ることがないので、MSそのものがまれな疾患となっている。教科書的には「拡張期rumble」と言って、拡張期に雷鳴音(小さいが「ゴロゴロ」という感じの音)が聞こえる、とされている。医学生の時は「MSの音は『ツタッタハー』」と口で言って勉強していたことを覚えている(最後の「ハー」が雑音)。


実際に通常外来やワクチン外来でも、胸部聴診で心雑音を見つけることが多い。ワクチン外来は、最近は私の枠では1枠50人弱だが、5~6人に収縮期雑音を見つける。「今見てもらっている主治医の先生からこれまでに『心臓に雑音がある』と言われたことはありますか?」と尋ねるが、ほとんどの方で、「初めて言われました」という答えが返ってくる。他院が主治医の場合は、「主治医の先生に『ワクチン外来の医者から、心臓に雑音があると言われました』と伝えてください」とお伝えしている。当院でfollow中の方であれば、「カルテに書いておくので、次の受診の時に『ワクチンの医者から心臓に雑音がある、カルテを診てください』と言われた」と伝えてください、と伝言している。


私が心雑音を見つけた場合、ASを疑う音の場合は、ASは生命予後が悪く、突然死のリスクもあるので、すぐに心エコーの予約を取り、結果によっては心臓血管外科に紹介することある。紹介するほどひどいものではなくても、注意してfollowしている。MRを疑うものであれば、「歯医者で歯石取りや抜糸をするときは、『心臓に雑音があると言われているので、抗生剤を出してください』と伝えてください」と伝え、心不全症状が出現しないかどうかを注意してfollowしている。


閑話休題。記事には「このAIで、心臓の専門医が少ない地域や夜間の救急外来などで活用できる」とあったが、少なくとも夜間救急外来では、多くの病院で心エコーが可能なので、あまりこのAIが活用されることはなかろうと思う。心臓の専門医が少ない地域、と言われても、心臓弁膜症、本来は胸部レントゲン(心負荷がかかると心拡大がみられ、肺うっ血の程度が分かるので、AIの有無にかかわらず重要な検査)、聴診、身体所見でも管理が可能な疾患である。重症の弁膜症なら、当然症状が出現するので、緩徐に病態が悪くなるようであれば、その時点で循環器内科医への紹介でもよいのではないか、と思うわけである。


という点で、このAIが大きな記事となっている時点で、「医師の聴診力」を軽んじられているのではないか、と残念に思った次第である。

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