第539話 朝のバタバタ、その後。

そんなわけで、午前診をしながら、患者さんの検査がどこまで進んでいるかをずっと気にかけていた。当直帯の看護師さんには「指示を出しているので、各部署が動き始めたら、大至急で検査をお願いします」とお願いしていた。


各部署とも、8:30から業務開始なので、うまくいけば午前の外来が始まる9時くらいには結果が出そろうかなぁ、と思っていたのだが、当然ながら各部署、特に看護部の申し送りは細かくきっちりと行なわれているので、8:30~9:00はよほどのことがなければ、看護部は動けない。という事で患者さんの検査も9時過ぎから動き始めたようだった。


いつも土曜日は患者さんがたくさんお見えになり、一週間で一番忙しい午前診になるのだが、天気の影響か、今日は少し患者さんが少なめだった。なので、診察と診察の間に、検査結果の「チラ見」ができる余裕があった。時計とにらめっこしていたが、なかなか検査が進まない。検査オーダーは血液検査、心電図、胸部レントゲン、そして、大動脈解離除外のための胸部CTとしていた。血液検査は、院内至急セット、トロポニンTと、静脈血液ガスをオーダーしていた。


9:15頃にようやく、血液検査が「検査中」となった。ただ、項目を見ると「静脈ガス」は取られていなかった。患者さん、かなり冷や汗をかいており、おそらく「カテコラミンサージ」に伴うと推測される高血糖(深夜帯 291,早朝 496(FBSで))が存在していたので、乳酸アシドーシスに起因する代謝性のアシデミアがあるのではないか、と考えていたので、検査が提出されていなかったのは残念だった。


外来患者さんが少し途切れたので、病棟に患者さんを覗きに行った。患者さんはやはりしんどそうな見た目で、呼吸も早いし身体は冷たい。よろしくない印象だった。


病棟のリーダー看護師さんから「先生、これから検査に下りてもらおうと思ってます」とのことだった。「ありがとうございます。至急でお願いします」とお願いし、外来に戻った。


外来で待っておられた患者さんを診察し、また少し空き時間ができたので、検査室を覗きに行った。ディスプレイ上に結果が出ていなくても、検査室ではある程度データを把握していることがしばしばなので、検査室に足を運ぶのは意味のある行為である。


検査室を訪室し、お話を伺うと「先生、トロポニンは検体を乗せるとすぐに『陽性』と出ました。肝機能が少しうまく結果が出なかったので、これから再検査をします」とのことだった。朝に心電図モニタを見たときにST部分の低下があることに気づいていたので、「やはり心筋梗塞か…」と思った。急性発症で、ショックバイタルになって、低酸素血症があり、糖尿病が基礎疾患にあって、と考えると、やはり心筋梗塞が第一に挙がるだろうと思っていた。そうでなければ肺塞栓、感染を示唆する身体所見はないが敗血症性ショックくらいしか鑑別診断としては思い当たらなかったので、想定の範囲内の結果であった。


いくら「急変時に心肺蘇生は不要」という事となっているが、現時点でも意識があり、意思疎通ができる患者さんをそのまま「放置」というのは違うだろう、今の患者さんの状態なら、積極的に心筋梗塞の治療を行なうべきだ、と考えた。


病棟に上がり、リーダー看護師さんに「心筋梗塞でした。今からご家族に連絡します。紹介状を書いて転院先を探します。病院が決定次第転送します」と伝え、ご家族に電話連絡。「昨日深夜~本日未明から急に容態が悪くなり、調べたところ、心筋梗塞の可能性が極めて高いとわかりました。これから治療をしてくださる病院を探します。病院が決まればまたご連絡するので、連絡をお待ちください」とご家族にお伝えし、紹介状作成+外来診察の継続のため、外来フロアに戻った。


外来フロアに下りると、レントゲン室で検査技師さんが心電図を取ってくれていた。波形を見ると、前胸部誘導で異常Q波と、STの低下が目についた。どの誘導でもST上昇は認めなかった。「あぁ、NSTEMI(No ST Elevated MI:ST上昇を伴わない心筋梗塞)ですね」と確認し、外来診察室に戻った。


外来診察室の机には、大学病院からもらった、いくつかの「ホットライン」の電話番号が挟んである。もちろん循環器内科疾患(心筋梗塞、急性冠症候群、重篤な心不全など)に対応してくれるホットラインもある。そんなわけで循環器内科疾患ホットラインに電話を掛けた。なかなか出てくれなかったのは土曜日、という事もあるのだろうか。ようやく電話がつながった。


「お世話になります。こちら☆✕町病院 内科の保谷と申します。○○歳男性のNSTEMIの患者さんをお願いしたいのですが…。」

「あぁ、すみません。今こちらも緊急カテーテルの最中なので、対応困難です。すみませんん。」

「あぁ、そうなのですね。わかりました。他院を当たります。またよろしくお願いいたします」


とのことで、残念なことになった。ほかに「ホットライン」を頂いている病院はパッと思いつかなかったので、「地域連携室」に連絡する。


「すみません。保谷です。入院中の◇△さん、心筋梗塞で今から転送が必要です。大学病院は今、別の患者さんの緊急カテ中なので対応できない、とのことでした。今から紹介状と検査データをそちらに持っていくので、受け入れ先を探していただけますか?」とお願いし、紹介状を書き始めた。


その間に外来患者さんが来られたので、いったん手を止めて外来患者さんの診察をする。


こういう時に、少し重症の方がやってこられるのは「マーフィーの法則」と言えるのだろうか?


定期通院中の患者さんで、昨晩、咳がひどくて眠れなかった。なんとなく息苦しい感じがするとの主訴だった。SpO2は90%と低い値だった。「これまた困ったなぁ」と思いながら患者さんを呼びこんだ。


「先生、昨日咳がひどうて、眠れませんでした。昨日は胸もゼーゼー言うてましたわ。今はぜーぜーしてないけど、ちょっとしんどいね」とのこと。カルテを見ると、普段からICS/LABAという系統の「気管支喘息」に対する吸入薬を使っておられる方である。


「昨日のゼーゼーや息のしんどさ、咳の仕方は、いつもの喘息と似た感じでしたか?」

「いや、ちょっと違うように思うわ」


とのこと。「う~ん、困ったなぁ」と思いながら(喘息発作を良く起こす人は、自分の症状をよく理解していることが多い。喘息のベテランさんが『喘息や』と言って来院された時は、喘息の対応をするに越したことはない。主訴が一番信頼できることも外来では多い)、胸部を聴診した。


全肺野に呼気時にwheezeが聴取された。「やっぱり喘息じゃないのか?」と思いながら、患者さんに説明。「胸の音は、喘息の音にとても似ています。まず、気管支拡張剤の吸入をしてもらって、少し時間をおいてからもう一度診せてもらいます。その状態で薬を考えますね」と伝え、β2刺激薬の吸入をしてもらった。


患者さんが少し途切れたので、必死になって診療情報提供書(紹介状)を作成した。放射線科には撮影した画像をCTに焼いてもらい、薬剤科には、薬剤情報を地域連携室に持って行ってもらうのと、数日分の定期処方薬を持参してもらうように連絡した。血液検査と心電図はプリントアウトして、ひとまず書類を完成させた。地域連携室に書類を持っていき、「お願いします!」とお願いして、病棟に上がり、患者さんご本人に病状説明。


「昨日の夜中からしんどかったようですね。朝一番で調べたら、どうも「心筋梗塞」を起こしてはるみたいです。今、対応できる病院を探しているので、病院が見つかれば、そちらの病院で治療を受けてもらいますね」


と伝えて、カルテに検査結果、これまでの行動を記載し、また外来に下りる。


先ほどの喘鳴、低酸素の人は、吸入後しばらくしてSpO2は改善してきたようだった(一時的にSpO2が88%になった、とのことだが、吸入処置が効いて気管支が拡張してくると、一時的にSpO2が低下することが多い。この場合はSpO2が若干低下しても患者さんは「楽になりました」と言われることがほとんどである)。


患者さんをもう一度診察室に呼び込んで、胸部聴診を行なった。先ほどまでヒューヒューと聞こえていた呼気時wheezeはほぼ消失していた。肺胞呼吸音も聞こえており、吸入処置は有効だったと判断した。


「今は、ゼーゼーは止まってます。今、気管支は喘息が出やすい状態になっているので、3日間はステロイドの内服をしてください。ICS/LABAは調子が良くても続けてくださいね。」と説明し、処方を行なった。喘鳴が止まり、SpO2も改善してくれてよかった。


この患者さんを診察中に地域連携室から私のPHSに連絡が入り「△☆総合病院が受け入れ可能とのことでした」とのこと。救急車での転送をお願いした。ひとまずほっとした。


そして、外来診察を続けていると、病棟のリーダー看護師さんからPHSに連絡が。


「ご家族に連絡したんですけど、奥さんは『しんどくて△☆総合病院には行けない』と言われてて、息子さんは今日は遠方に出張中、とのことでした。先生、転院は決定でいいですね」


「はい、もちろんです。うちにいたら患者さん、死んでしまいます」


「分かりました。ご家族のことは向こうの病院に伝えておきます」


「ありがとうございます」


とのこと。しばしば「家族の付き添いがなければ受け入れられない」と断られることもあるのだが、今回は、患者さんの命がかかっていることである。家族云々、という事はよくわかるのだが、今回は勘弁してほしい。


とそうこうしているうちに救急車が到着。私は外来中で手を離せず、その間に患者さんは出発された。


深夜~未明に発症して、午前11時前に出発、というのは時間がかかりすぎだ、という気はする。深夜でも緊急項目の血液検査はできるはずなので、当直帯に何かできたのでは、という気がしないではなく、モヤモヤしながら外来診察を続け、午前の診察が終了した。


午前の診察が終了した時点で、「あぁ、そういえば、胸部レントゲンではうっ血性心不全を示唆するButterfly shadowがあったが、胸部CT確認していなかったなぁ」という事に気づいた。そして胸部CTをみて、「あ、痛ぁ!」と呟いてしまった。


胸部CTでは肝臓辺りまで撮像されるのだが、肝左葉に、まるで木の枝のように美しい低吸収が広がっていたからだ。肝臓に映っているこの黒い美しい枝は「門脈内ガス」を示している。


肝臓の内部に「ガス像」が見える場合は「門脈内ガス」と「胆道気腫」を考える必要がある。「胆道気腫」は総胆管の手術を受けた方などで、消化管内のガスが胆道に逆流してくる像である。肝臓の中には「顕微鏡」のレベルで、「肝内胆管」も走行しており、「門脈」も走行している。


「胆道気腫」と「門脈内ガス」の区別は、「胆道気腫」は胆汁の流れに逆らって空気が入ってくるので、肝門部(肝臓の血管や総胆管が出てくるところ)を中心にして、比較的中心部に集まっていることが多い。肝臓の辺縁部にまで胆道気腫が広がることはまずない(ガスの流れは胆汁の流れに逆行しているから)。


一方、「門脈内ガス」は腸管壁の壊死などで発生したガスが、「門脈」という血管に流れ込み、血流の流れに沿って、肝臓に広がっていく。なので、胆道気腫とは異なり、肝臓の辺縁までガスが入り込んでいく。なので、肝臓の辺縁(目安は辺縁1~2cm)までガスが来ていれば「門脈内ガス」、辺縁にガス像がなければ「胆道気腫」と考えてよいとされている。


この方は辺縁までガス像が見られており、明らかに「門脈内ガス」であった。


それを見ると、またいろいろなことが考えられて、悩ましくなってきた。


心臓が根本原因の場合は、心筋梗塞、心源性ショックを来たし、腸管血流が低下したため、腸管虚血→腸管壁在ガス→門脈内ガスとなった、というストーリーが考えられる。


「門脈内ガス」が先に来る、と仮定すれば、「門脈内ガス」を作るような腸管のトラブルが起きた→カテコラミンサージが起きた(これは高血糖があることから起きていると考えて間違いない)→NSTEMIと考えた心電図変化、トロポニンの上昇、心筋細胞の損傷は、カテコラミンサージによって起きた「たこつぼ心筋症」であった、という可能性も浮かんでくる。私が経験した「たこつぼ心筋症」はトロポニンの増加を呈していたことを記憶している。


さぁ、真相はどちらなのだろうか?


トロポニン陽性となっており、虚血を示唆する心電図波形なので、冠動脈のカテーテル検査は必須である。いずれにせよ、循環器内科の力を借りなければならない病態であることには間違いなく、患者さんが命の危機にあった、という点では変わらないのだが、いったいどっちなのだろうか?


「治療者」としてではなく、「医学者」としての「医師」として、興味のあるところではある。



たった今、地域連携室から連絡があったが、この患者さん、このまま転送先の病院でお看取りになりそうだ、とのことであった。昨日まで元気だったのに、人の命は本当に分からないものである。

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