第530話 突き刺さるなぁ。

ソースはサイト「オレ的ゲーム速報@JIN」の記事から。


とある高校教師のツイートだと思われるが、「なるほど」と「ガクーッ」の二つの感情をもったものを引用したい。


<以下引用>

学力の低い高校で教えてて何が辛いって、生徒が「知的好奇心」を全く持ってないこと。


彼らの「面白い」は「瞬間的・感覚的に笑える」ということでしかない。習ったことがつながるとか、考えてみれば奥深いとか、苦労して分かる楽しさとか、そういうのが全然ない。勉強の面白さが一切伝わらない。

<引用ここまで>


なるほど、"funny“はわかるが、”interesting”はわからない、という事なのか、と腑に落ちた。刹那的、瞬間の笑いはわかるが、「笑い」では表されない「面白さ」、継続することで見えてくる面白さ、頭の中でバラバラだったパーツが一つになる瞬間の「面白さ」を経験したことがない、という事なのだろうと思った。


世間では「話に『オチ』をつけたがる」し、テレビではお笑いバラエティ番組が流れているし、「刹那的、瞬間的な笑い」を優遇している感にあふれているように思う。


世代が違うので何とも言えないが、今の学生気質、「真面目に何かをやろうとする」という事に対して、視線が冷たいように思うのは気のせいだろうか?


「知的好奇心」を持たない若者がある程度の割合で存在する、となれば、やはり「日本」という国の価値は下がってくるのだろうか。


小さい子供は好奇心旺盛である。ふたがあれば開けたがり、書棚に本があれば、引っ張り出し、公園に行けば、名もない草をジーっと眺めている。このような好奇心はいったいどこで削られるのだろうか?


「努力しても報われない」けど、「努力する中で、何かがつながり、それを「面白い」と思える瞬間がある」という事をどう伝えればいいのだろうか?


このツイートは、子育て、幼年期教育、小中学校教育に対して、深刻な問いを投げかけている、と私は思った。と同時に、学力底辺校で、「馬耳東風」の生徒に対して、それでも教育を行なおうとする教員の思いにも感じ入った次第である。

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