第531話 ほら、やっぱり(520話、529話より)
R5.6/28に拙文 529話「ふざけるな!」を書いたときには、病院からの情報しかなかったので、実際の主治医と患者さんのやり取りは、地域性など、これまでの経験を踏まえたうえで、「推測」で書いていた。6/29には、主治医、患者さんの記者会見、取材報道が伝えられたが、見事に「私の予測」通りのことが起きていたので、「ほら、思うた通りやん」と思ってしまった。
主治医側も、患者さん側も、事前に医師から「気管切開術の必要性についての説明」があったことは認めている。以下は、患者さんの取材報道からの情報だが、ご本人は、体調がよくなってきていると感じており、「気管切開は不要、人工呼吸器もいらない」と医師に伝えたそうだ(と患者さん側が言っているので、実際にそういうやり取りだったのだろう)。
医療者側は「今後も人工呼吸器管理は長期にわたる」と判断して気管切開術の説明をしている。患者さん側は、「体調は良くなっており、気管切開は不要だし、何なら人工呼吸器も不要」と固く考えている。繰り返し医療者側から説明されているが、その説明を受け入れないわけである。不毛の論議である。
あとで、患者さんのインタビューでの発言を引用しようと思っているが、患者さんの論理なら、「患者さんの同意のない医療行為は『犯罪』である」という事である。実際に、「本当の意味で同意なく、不可逆的、侵襲的な医療行為を行なえば、『犯罪』の要件をみたす」わけなのだが。
なので主治医は、本人が同意していない「人工呼吸器装着」という行為について「人工呼吸器を止めましょうか?」と問うたのだろうと推測する。患者さんの意思を尊重した問いかけであろう。それに対して患者さんは「止めてみろ」と返したわけである。
特に日本語では、言葉遣いで、その言葉を言った人が、その言葉の相手のことをどのように考えているかが明確に分かる。「源氏物語」の原文では「主語」の記載がほとんどなく、「敬語」の使い方で、「この発言は誰から誰へのもの」という事がわかるようになっている。それだけ、「言葉遣い」は明らかに思いを伝えてくれる。
そう考えると言葉遣いの次元で、医師は患者さんのことを「対等に(少なくとも見下してはいない)」、その一方で患者さんは医師を「下に見ている」ことが明確である。その態度もこの問題を考えるうえで認識しておかなければならない。そして報道では患者さんの言葉を受けて「人工呼吸器を止めた」と記載している。
正しくは、人工呼吸器を「外した」というのが適切だと思うのと同時に、医師が行なったのは「懲罰的な人工呼吸器外し」ではなく、「本当に人工呼吸器が不要なのかどうか」を「評価」したわけだと推測している。正しく表現するならば、「患者さんの希望に対して、人工呼吸器の離脱が可能かどうかを評価した」と記載すべきだろう。
「行動」の奥には「意図」がある。「意図」を解することなく、あるいはわざと「意図」を無視して、「行動」だけを取り上げると、その意図が曲解されることはよくあることである。
それに、病状を考えると「人工呼吸器を外してもすぐにつけなきゃダメだろうなぁ」という病態である。人工呼吸器のスイッチを切ってしまうような面倒くさいことはしないだろう。人工呼吸器を外して、「人工肺」(弾性のあるプラスティックで挟まれたゴム袋。人工肺をつけないと「空気が漏れている」とアラームが鳴るので、人工呼吸器の待機時は人工肺をつけておく)をつけてそのままスタンバイしていただけだろうと思う。で、患者さんにはおそらくTチューブをつけてモニタリング。SpO2 90%を下回ったから「人工呼吸器での補助換気が必須。人工呼吸器の離脱の希望はあるが、現状では困難」と診断して人工呼吸器を再装着したのであろう。やり取りは「売り言葉」に「買い言葉」に見えるかもしれないが、
医師は、「患者さんの『人工呼吸器は不要』という希望に対して医学的評価を行ない、『やはり人工呼吸器の離脱は現時点では不可』」
と診断したわけである。
繰り返しになるが、悪意を持って「人工呼吸器」を止めたのではなかろう。患者さんの希望である「人工呼吸器離脱」が可能かどうかの評価のためには「人工呼吸器を一時的に離脱」する必要があったので、「一時的に」人工呼吸器管理を離脱した、という事ではないか?
患者さんのインタビューを見ていたが、患者さん曰く「同意のない医療はねぇ、これ、『犯罪』ですよ」とのこと。思い切りブーメランである。「人工呼吸器を外しますか」と問われ「外してみろ」と答えて、「同意がなかった」っていうこと、意味が分からない。
売り言葉に買い言葉であったとしても、議論が平行線をたどり、埒が明かないと判断した医師が「そこまで自身の意思を貫くなら」という事で提案した「人工呼吸器外しますか」という提案である。それ対して「外してみろ」と「自身の意志」で答えたわけである。これはまさしく、医師の提案に「同意」したわけであろう。
幼稚園児や小学生の発言ではない。60代の、インタビューを聞く限り、認知機能には問題のない方の発言である。「外してみろ」と言っておいて「外すことに同意していない」などという訳の分からない論理は通用しない。
SpO2 90%のラインは、患者さんの安全を守るラインである。ヘモグロビンの酸素平衡曲線(酸素分圧を横軸、酸素飽和度を縦軸において、記載した曲線:酸素分圧がどの程度の時に酸素飽和度がいくらか、また逆に酸素飽和度が何%の時に、その時の酸素分圧がいくらか、という事を示している)はSigmoid Curve(S字のような曲線)を描いている。
SpO2 90%以上では傾きは小さく、血液中の酸素分圧にかかわらずSpO2はあまり変化しない(つまり、酸素を適切に供給できる)のである。
しかし90%を下回る(例えば80%くらいになる)と一気に傾きが急峻となり、酸素分圧の変化で大きく酸素飽和度が動く、つまり酸素分圧のわずかな変化で、組織に供給できる酸素量が大きく変わってしまう、という事になる。
医学生、初期研修医、内科医、麻酔科医などは、カギになる酸素飽和度の値とその時の酸素分圧を記憶している。健常者では動脈血の酸素分圧はおよそ100mmHg程度なので、その時のSpO2は97%、SpO2が90%の時は酸素分圧60mmHg、静脈血はSpO2 75%で酸素分圧 40mmHg、SpO2が50%なら酸素分圧は27mmHgとなる。
閑話休題。なので、SpO2 90%を下回ったので人工呼吸器を再装着した、という事は、患者さんは「安全」を確保された状態で管理されていた、という事を意味している。決して患者さんを「危険にさらした」わけではない。
それに、「人工呼吸器を外す」ことをしなければ、「人工呼吸器が外せるかどうか」わかるわけがない。
528話で「抜管」の基準があると書いたが、その基準を満たした、という事で挿管チューブを外しても、「喀痰量が多くて十分に喀痰の回収ができない」とか、「やはり抜管したら呼吸状態が不安定になった」という事で再挿管することは「よくあること」ではないが「珍しい」ことでもない。なので、「人工呼吸器離脱が可能かどうか」を医師が評価することは適切であろう。
この問題について、医療提供者側(医師側)の視点から流れを整理したい。
COVID-19感染症で人工呼吸器管理が必要な60代患者さんがおられた。臨床経過からは、ある程度長期の人工呼吸器管理が必要と考え、長期人工呼吸器管理患者に対して標準的に行われている「気管切開術」が必要と考え、患者さんに提案した。
患者さんは気管切開術だけでなく、人工呼吸器管理そのものが現時点で不要と考えており、医療者側と患者さん側の認識の相違は大きく、繰り返し病状説明を行なうが、同意は得られなかった。
患者さんが「人工呼吸器も不要」とおっしゃられているので、本人の同意のない医療を行なうべきではないと考え、「人工呼吸器を外しますか?」と問うと、「外してみろ」との返答があった。
なので、人工呼吸器を一時的に離脱し、人工呼吸器を離脱することができるかどうか、評価を行なった。患者さんの生命の危険がないように、患者さんのバイタルサインをモニターしながら人工呼吸器を一時的に離脱してみた。
人工呼吸器を離脱するとおよそ2分でSpO2の低下がみられ、SpO2が90%を下回ってきた。なのでこれ以上の人工呼吸器離脱は危険と判断し、人工呼吸器の再装着を行なった。
というストーリーが描けるわけである。
さて、この一連の医療行為は「問題」とすべきものであろうか?「懲戒処分」に相当するものだろうか?これで医者が「処分」されれば、申し訳ないが、たまったものではない。
あともう一点、このことは、患者さん側には、病院の匿名スタッフからの報告でその事実が伝えられた、とのことであった。患者さん自身は人工呼吸器管理中であり、COVID-19の症状も重篤であったことから、そのやり取りについてはご自身の口から「そのころの記憶はぼんやりとしか覚えていない」とおっしゃられていた。520話で書いた「正義感のある身内」というのは、こういう事である。
患者さん側は「被害届」を提出した、とのことだが、この件についてはどのようになっていくのだろうか?仮にこれが「刑事罰」となれば、「医師」という仕事、仕事そのものが危なっかしくてやってられないなぁ、と思うばかりである。民事訴訟となれば、どちらの弁護士さんが優秀か、で決まるだろうと思っている。
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