第529話 ふざけるな!

読売新聞オンラインの記事。Yahooニュースより


<以下引用(傍点は私がつけた)>

大阪府立中河内救命救急センター(東大阪市)で2021年3月、部長だった40歳代の男性医師が、新型コロナウイルスで入院していた60歳代の男性患者の人工呼吸器を一時的に停止していたことがわかった。患者が気管切開に同意しなかったことが理由で、患者は呼吸状態がした。運営法人は重大な倫理違反と認定し、医師を戒告の懲戒処分とした。


 センターによると、患者はコロナで重症となり、集中治療室で口からのどに管を通す人工呼吸器を使用していた。医師は、細菌感染すれば、肺炎などを起こす懸念があるとして、のどの一部を切って管を入れる気管切開を提案。患者が拒むと、筆談で「呼吸器を止めてみます?」と尋ねた。患者が「止めてみろ」と反応し、停止したという。


 患者の呼吸状態が悪化し、医師は約2分後に呼吸器の使用を再開。後日、が気管切開した。患者は症状が回復し、まもなく転院した。


 センターから報告を受けた運営法人が21年秋に倫理委員会を設置。「故意に苦痛を与える行為で重大な倫理違反」として同年12月、医師の戒告処分を決めた。


 運営法人は処分を公表せず、患者への謝罪は22年12月になってからだった。

 一方、医師は倫理委員会の聞き取りに「気管切開が最善であると判断した」と説明。処分の撤回を求める訴訟を大阪地裁に起こしている。現在は別の系列病院に異動している。


 運営法人の谷口和博理事長は「医療に対する信用を失墜しかねないもので反省し、謝罪する」としている。

<引用ここまで>


記事を読んでがっくりした。医師の行動ではなく、病院側の対応についてである。


中河地救命救急センターは、私が研修医として修業した地域にある三次救命救急センターである。なので、その地域の人たちの基本的な気質は感覚として理解しているつもりである。


大阪に居住していない人、いや、大阪に居住している人でも「大阪北部に居住している人よりも、大阪南部に居住している人の方が気性が荒い」とイメージしている人が多いように感じている。例えば、岸和田の「だんじり祭り」などを見ると、そのようなイメージが沸くのもさもありなん、とは思うが、その南河内と同様、いや、時にはそれ以上かもしれないが、いわゆる「中河内地域」も気性が荒い人が多いように感じる。


もちろん、都心に電車1本でアクセスできる地域なので、様々な背景を持つ人が住んでおり、「十把一絡げ」にはできないのだが、少なくともERで勤務をしていて、「本気で命を左右する」病態で搬送される人でなければ、「人の話に耳を傾け、話の内容をしっかり理解したうえで、感情的にならずに自己の意思を表示できる」人は少なかったように感じていた。


ERのスタッフに毒づく人、時に暴力に訴える人も珍しいことではなかった。ERに働く者にとって、「深夜にも重症の患者さんが行き着く暇もなく搬送され、必死で働いたけど、搬送された人はほとんどが命の危機を乗り越え、適切な病棟に入院した」という状況は、「身体」はとても疲れているが、「心」は晴れやかで、「このようなことが続くのが耐えられない」と言って職場を離れる人は多くない。ERスタッフの魂を削る人は、「自分のわがままを通し、医療スタッフの指示を受け入れない人、スタッフに理不尽な暴言、暴力を行なう人」である。


で、極めて残念なことに、私が研修医時代、3~5日に1回、ER当直をしていた時、上記の後者のような思いは、うんざりするほどしてきた。


「話せばわかる」なんてことを言うが、ER当直をすれば、その言葉が全くのであることがとてもよくわかる。同じことを繰り返し伝えても、伝え方を工夫して表現を変えても、「通じない」人には全く通じない。しかも残念なことに、そういう方の多くが、「自分のいう事は常に正しい」という謎の信念を持っており、なおかつ、色々な意味で「暴力的」である。


記事によれば、患者さんは口から気管に管を入れられた状態で「人工呼吸器管理」を受けていた、とある。緊急時の気道確保は、口、または鼻から気管に挿管チューブを挿入するのだが、チューブが入っていると、一つは口腔内のケアができない。口腔内の清潔度と肺炎の発症リスクは関連があるので、マウスケアができない状態はできる限り避けたい。


そのほかに、以前にも書いたことがあるが、気道系でガス交換にかかわらない部分の容積を「死腔」と言うが、「死腔」を減らすため、そして、ある程度長期間、人工呼吸器などで呼吸管理を必要とする方には、チューブの交換にかかる手間を考えて、「2週間」を一つのめどとして、口や鼻からの挿管チューブを用いた呼吸器管理から、気管切開を行ない、気管切開孔に気管切開チューブを挿入して人工呼吸器管理を行なうことにすることが多い。「永久気管孔」のように、皮膚と、気道粘膜を縫合しなければ、気管切開孔は速やかに閉鎖することがわかっている。


また、人工呼吸器での管理、という事についてもいろいろな段階がある。細かく話をし出すと、これで十分1冊の書籍として販売できる(実際にそのような本はたくさん市販されている)ほどなので、極めて簡単に話をすると、


① 患者さんの自発呼吸が全くないため、設定された一回換気量、一分間の呼吸回数を完全に人工呼吸器が設定されたとおりに呼吸させるモード


② 患者さんは時に自発呼吸をしてくれるが、安定して自発呼吸をしてくれるレベルではないため、患者さんの自発呼吸を感知したらそのサポート、一定時間自発呼吸がなければ人工呼吸器が作動して設定のパラメータ通りに呼吸を行ない、一回換気量、1分当たりの呼吸回数を維持してくれるモード


③ 患者さんは自発呼吸をしてくれるが、呼吸筋が弱っていて、十分に吸気、呼気ができないため、患者さんの自発呼吸を感知して、設定の圧力で呼吸をサポートしてくれるモード


と分けられる。人工呼吸器は③のレベルで、投与する吸気の酸素濃度、圧サポートの数値が一定以下であれば、「抜管」と言って人工呼吸器と挿管チューブを外すこともあれば、チューブは抜かず、人工呼吸器だけを外し、そこにTチューブというチューブを使って自発呼吸で酸素化が維持できるかどうかを確認する、という1ステップを踏んでから「抜管」することもある(こちらはより慎重派)。


Tチューブの縦の棒は挿管チューブに接続し、横の棒には酸素濃度を高めた高流量の気体を流す(なのでTチューブは本当は横棒が長く、縦棒が短い)。少し死腔は増加するが、患者さんが自発呼吸し、しっかり吸気できれば、横棒に流れている酸素濃度の高い空気を吸い込むことができ、息を吐きだせば、吐いた息は横棒の流量が多いので、横棒に届いた呼気はすべて洗い流されてしまう、という事で、一定の酸素濃度の気体で呼吸を続けられる、というメカニズムとなっている。


この話では、患者さんと主治医が意思疎通できているので、人工呼吸のレベルとしては③だったと思われる。ただ、必要とする酸素濃度が高い、あるいは吸気力(呼吸筋だけでなく、肺の硬さも関係する。COVID-19肺炎は「肺が硬くなる」)が弱い、という問題で抜管が困難だったのだろう。何度か、呼吸器設定を「抜管可能」なレベルまで落として呼吸状態を観察し、そのうえで「抜管困難・長期的な人工呼吸器管理が必要」と判断したのではないかと思われる(医療提供者とすれば、挿管したら、なるだけ早く抜管したい)。



主治医はそのうえで、気管切開し、長期の人工呼吸器管理が必要だと、繰り返し説明したのだろうと、医療者側としては推測する。主治医が「人工呼吸器を止めてみます?」と本人に提案したように書いてあるが、おそらくその前に「」不毛な会話が続いていたのだろう。おそらく、患者さんは「もうすぐしたら人工呼吸器もいらんようになるわ」「もう人工呼吸器も要らんやろ!」と煽っていたのではないか、と推測する。


上方落語で「池田の猪買い」という噺がある。今でいう大阪市の本町辺りにある商家の若旦那が病で寝込み、栄養をつけるために店の者が大阪北部の「池田」にイノシシの肉を買いに行く、という噺である。


今でこそ、梅田から阪急電車で20分程度、本町からでも40分弱くらいで「池田市」に行くことができ、池田市も大阪市のベッドタウン、高級住宅地(阪急電鉄の祖である「小林 一三氏」の邸宅も池田市にある)となっているが、落語の時代には人里離れた田舎、であった。


この落語のオチは、猟師がバーンと銃で仕留めたばかりのイノシシであるにもかかわらず、その店の者が「ほんまに新鮮な肉なんか?」と猟師に尋ね(ここからは桂 枝雀師匠の落とし方)、猟師がそのイノシシのお尻を蹴っ飛ばすと、実はただ銃声に気絶していただけだったイノシシが目を覚まして、慌てて逃げていき、猟師が「ほらみてみい!新鮮やろ!」という噺である。


今回の人工呼吸器の件も同様である。医師の説明に耳を傾けず、散々「わしはもう人工呼吸器もいらんのじゃ!」と言っていた(書いていた)のであろう。売り言葉に買い言葉ではあるが、医師が「じゃぁ、そこまで言うのなら、人工呼吸器を外してみましょう」となって、言った本人も「おう!外してくれ!」となったのだろう。


人工呼吸器を外す、とはいっても、回路につないだままで人工呼吸器を止めると息ができないので、おそらくTチューブで様子を見たのだと思う。2分間でSpO2が90%を下回ったので、再度人工呼吸器にのせた、という事なので、主治医はその間、放ったらかしではなく、注意深く患者さんを観察していたのだと思う。少なくともこんなバカなやり取りで患者さんが命を落とすことになれば、最悪である。


成人の酸素療法の適応は、SpO2 90%を下回るときが一つの基準であるので、「2分で基準を下回る」ことを確認し、再度人工呼吸器を装着したのであろう。


SpO2が低下している状態にもかかわらず、「頑として」高次医療機関での精査加療を拒否する患者さんに対して、実はトリッキーであるが、私はあることをして、患者さんの拒否を緩和させる技を使っていた。


私も50代になったので、もう耐えられないかもしれないが、自分の指にパルスオキシメータをつけて、1分間の息止めを患者さんの前でしたのである。若い人で、手元にパルスオキシメータがある人は試してもいいと思うが、息止めの前に息をしっかり吸い込んでおくと、あれほど呼吸苦が強いのに、パルスオキシメータは97%程度を維持したままである。さすがに1分間の息止めはしんどいが、それでも見事にSpO2は維持されている。


患者さんの前でそれを行ない、「ね、1分息を止めても、SpO2は変化しないでしょ。肺にはそれだけの余力があるという事です。なので、あなたのSpO2がすごく下がっていることは、それだけ、肺や循環器の機能が落ちて、『重症』だという事ですよ。大きな病院でしっかり治療を受けた方が絶対いいですよ」と言うと、ほとんどの患者さんは納得してくれた。それだけ、誰にとっても「1分間の息止め」がどれだけしんどいか体感しているからであろう。


本当は、このひどい息苦しさは「低酸素血症」よりも「CO2貯留」の影響がほとんどなので、そこは「小さな嘘」なのだが。


それはさておき、人工呼吸器を2分外した患者さんは、実際に人工呼吸器を外してみて本当に懲りたのだろう。だから気管切開を受け入れることができたのだろうと推察する。


アインシュタインの言葉だったか、誰の言葉だったか忘れたが、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。結局その患者さんは、現状を自分の身体で体感するまで受け入れられなかったのだろう。「話せばわかる」どころか、「痛い目にあってはじめてわかる」である。しかも、本当の意味での「痛い目」に合わないように主治医の監視下である。


気管切開術は別の医者が行なった、というのは、主治医と患者さんの関係が悪くなった、などの話ではなくて、COVID-19の管理は、呼吸器「内科」が行い、気管切開術は「外科」が行った、ただそれだけの話であろう。そこをもったいぶって書くところに記者の悪意を感じるのは私だけだろうか?


少なくとも本人は人工呼吸器を「止めて見ろ」と意思表示をしたわけである。認知症のない、理解力のある成人が、必要性について繰り返し説明した医師に対して、それを聞いたうえでなおかつ「(人工呼吸器を)止めて見ろ」と意思表示をしたわけである。真っ当な認知機能のある成人に対して事はできない(医師の医療行為が「傷害罪」とならない三要素に「有資格者であること」「当時の医療水準に合致したものであること」「本人の同意を得たこと」と規定されている)。


主治医は人工呼吸器をいったん外し、致命的なトラブルにならないように監視を行ない、これ以上は健康を害する、というレベルで再度適切な医療を行なったわけである。


なので病院側は本来、このクレームに対して戦わなければならない!


本人が「止めてみろ」と明確に意思表示を行ない、ご本人に有害事象が起きないように主治医の監視下で、ご本人の意思に従った。ご本人の意思に従うと命の危険性があると明らかになったので、主治医は、主治医が「行うべき」と考えていた治療を再開した、と言わなければならない。病院側は、何を寝ぼけているのだろうか?が何か、きっちり考えなければならない。


主治医も、しっかり論理だててカルテを書いていたのだろうか?


「患者さんに対して、今後も人工呼吸器での治療継続が必要であり、経口挿管に伴うデメリットも大きくなる時期であり、繰り返し丁寧に、現在の病状、今後の見通しとともに、人工呼吸器の必要性、気管切開術の必要性を説明したが、患者さんは同意されず、人工呼吸器を「止めてみろ」との意思表示があった。

 理解力を有する成人が、医師から繰り返し病状説明、治療の必要性について説明したうえで「止めてみろ」との意思表示があったため、現在行っている「人工呼吸器を用いた治療」への同意が得られないと判断し、患者さんの自由意志に沿い、なおかつ、患者さんの生命への危機のないように、主治医観察のもと、人工呼吸器管理を一時的に中止し、Tチューブでの呼吸管理を開始した。開始後2分でSpO2が90%を下回り、これ以上のTチューブでの呼吸管理は危険と判断し、「救命」を目的として「人工呼吸器を用いた呼吸管理」を再開した」


とでも書いておけば、医療訴訟になっても、相手方の反論は難しいだろう。


病院側は医師を処分し、医師は退職し別の病院で勤務を続けており、病院側に訴訟を起こしているそうである。医師側としては、「背後から切りつけられた」ようなものである。患者さんの訴えが「正当なもの」か「不当なものか」を考え、守るべき人を守らなければ、先に待つのは「医療の崩壊」である。


患者さんは、患者さんであって、患者「様」ではない。例えば、自分の先輩などで、「心から尊敬している人」に対して「○○様」と呼ぶだろうか?「部長」などの職責名や「先生」などの敬称がない、あるいは不適切なら、心から敬愛しているからこそ、「○○さん」とさん付けで呼ぶのではないだろうか?


医療の現場では「医療者」と「患者」は対等であるべきだろう。対等な人に「様」をつけるのか?という点で、患者さんに「様」をつけるのは私は嫌いである。患者さんには敬意と愛情をもって「○○さん」と声掛けするべきであろうと思っている。


「様」をつけるのはだから、と考えている医療者、また一般の人も大間違いである。


医療機関は、患者さんの支払ってくれた診察料で運営しているのではない。診察料は診療報酬の中の1~3割、残りの7~9割は健康保険組合が支払っている。医師法第一条にも「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする」と規定されている。医療機関はその収入の多くを公的機関よりもらい、医師は「公衆衛生の向上、および増進に寄与し」「国民の健康な生活を確保」するのが仕事である。


法的にも、金銭的にも、医療にかかわるものは皆、、もっと正確に言えば、のために仕事をして、からお金をもらっているのである。その土台の上で、それぞれの患者さんに対して、「敬愛の情」をもって関わっていく、というのが法的に規定された姿であろう。


最後は少し脱線してしまったが、このニュースに対しては、クレームを入れた家族側と、謝罪を行なった救命救急センターに対して「」と言いたかった次第である。

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