第528話 思い込み(バイアス)には要注意!!

本来は、私の「後期研修時代」の思い出に書いておかなければならなかった症例なのだが、先日、誘因なくふと思い出したので、もしこれを読んでいる医学生、研修医の先生がおられれば、勉強になるかと思い、ここに書き記しておくことにした。


後期研修医になって、まだ半年くらいのころだったか?いつものER当直に入っていた。日付変更線を超え、患者さんのピークも超えたので「時間分け(その時間から、ER当直終了までの時間を、その日のER当直医で均等に割って担当時間を決め、担当時間以外は休憩とする。もちろん重症の人が来れば、休憩中でも起床してことにあたることになっている)」をして、私が担当していた深夜の3時ころだっただろうか。20代の女性が「身体がしんどい」との主訴でwalk inでERに受診された。


余談であるが、症例提示や症例報告、カンファレンスなどで「主訴」について述べるときに、教科書によって「患者さんの言葉そのままを伝えるのが良い」というものと、「患者さんの訴えを医学的用語に変換して(今回の症例なら『「全身倦怠感」を主訴に』というように)プレゼンテーションを行うのが良い、と記載されているものもある。どちらが正しくて、どちらが間違っている、というものでもないが、私は患者さんの言葉そのものを持ってくる方が好きである。医学用語に変換、ということは私、というフィルターを通してしまうことになるので、患者さんの感じていたこと、伝えたかったことの一部であっても失われてしまうのではないか、と思っているからである。ただ、繰り返しになるが、内容に誤解がなければ、患者さんの言葉をそのまま持ってきても、医学用語として言い換えても、どちらでもよかろう、と思っている。


閑話休題。そんなわけで、ERの看護師さんから、「先生、診察~。」と言われ、問診票が回ってきた。主訴は先ほどのように「身体がしんどい」。経過などを書いてもらうところは空白、既往歴に「うつ病にて〇◇クリニックに通院中」と書いてあった。


よくある落とし穴だが、既往歴に引っ張られてしまって、診断を誤ることがしばしばある。特にERでは、精神疾患に対してはあまり明るくないので、ついつい考え違いをしてしまうことがある。


とりあえず問診票を確認した。バイタルサインは安定している。患者さんをERに呼び込んだ。


当院のERは、処置もできるストレッチャーが複数並んでいる救急車、重症患者さん用のエリアと、普通の診察室のエリアがある。深夜帯で看護師さんも「時間分け」をして人数が減っていること、若い女性なので、人目の少ない部屋での診察はトラブルのもととなるので、救急車受け入れエリアの椅子とテーブルを使って診察することにした。


お話を伺うと、1か月ほど前から誘因なく全身倦怠感が強くなってきて、今日はいつもと何か違う感じがするので、深夜であるがこの時間に来た、とのことだった。労作時の呼吸苦などはないとのことだった。身体診察を行なうが、特に問題は見当たらなかった。身体診察を行なっているときに、患者さんが「私、最近一日に3Lくらい水を飲んでいるんです」という申し出があった。


精神疾患を有する方、治療中の方は、原因は不明だが、冷たい水を好む傾向があり、場合によってはたくさん水を飲みすぎて、身体のイオンのバランスを崩してしまう「水中毒」を起こすことがある。「水中毒」では、血中のNaイオンが低下し、この低Na血症も全身倦怠感の原因となりうる。


それに、「全身がしんどい」と言って、深夜の3時に来ているわけである。やはり何かがおかしいんだろう、単純に「うつ病」だから「しんどい」なんて言っちゃだめだよなぁ、と考え、


「こんな遅い時間に、しんどいと言ってお見えになられているので、結果は20分ほどかかりますが、血液検査をさせてもらっていいですか」とご本人に了解を取り、緊急項目の血液検査を行なった。


20分ほどして、検査科から、「先生、結果出ました。ちょっとおかしいので確認お願いします」と電話がかかってきた。「低Na血症があったのかなぁ」と思いながら電子カルテを開け、データを確認した。電解質異常は目立たず、肝機能、腎機能にも異常はなかった。ただ、血糖値が500を超えていた。患者さんはかなりの高血糖だった。既往歴に「糖尿病」という記載はなかったのだが…。


患者さんを呼び込んで結果説明。「今まで『糖尿病』と言われたことはありますか?」と聞くが、全くなかったとのことだった。高血糖なら、ケトン尿が出ているかどうかが問題である。


まだ、DPP-4阻害薬もSGLT-2阻害剤も、GLP-1阻害剤もなかったころである。なので、検尿でケトン尿が確認できたら、「糖代謝がうまく回っていない、インスリン不足の状態」を意味している。

患者さんに、「検尿を確認させてください。検尿で、「ケトン」という物質が尿に出ていれば、身体の中でエネルギー源となっているブドウ糖がうまく処理できていないことを示しているので、入院を考える必要があります」と説明し、検尿をしてもらった。


検尿は5分ほどで結果が出るが、尿糖(3+)、ケトン(3+)だった。診断は「糖尿病性ケトーシス」による倦怠感だったのか。検尿結果を見ると、入院は確定だった。ただ、「糖尿病性ケトーシス」というところまで診断がつけば、今度はアシデミア(血液が酸性に傾いた状態)の有無が大問題となる。アシデミアがあれば、病名は「糖尿病性ケトアシドーシス」であり、ICUでの管理が必要となる。


またもや患者さんに説明。「検尿を見ると、体の中でエネルギー源となる「ブドウ糖」がうまく使われていないときに見られる「ケトン体」が尿に出ていました。重症の糖尿病として入院が必要です。申し訳ありませんが、今の血液検査、検尿の結果を見ると、血液が酸性に傾いているかどうかで、入院管理をするお部屋が、集中治療室か、普通の病棟かが変わってきます。何度も検査を追加して申し訳ありませんが、血液の酸性、アルカリ性を評価する検査を追加させてください」とお願いし、橈骨動脈から動脈血を採血し、動脈血液ガス分析を提出した。血液ガス分析は1分足らずで結果が出る。


すぐに検査室から電話がかかってきた。「先生、先ほどの血液ガス、pH7.2です。代謝性のアシデミアです」とのことだった。


最初に「うつ状態でしんどい」と考えたが、とんでもない間違い。患者さんはあまり重篤感もなく、歩いてERに来られたが、診断は「糖尿病性ケトアシドーシス」だった。


もう一度患者さんをERに呼び込み、病状説明。「先ほどの検査結果では、血液はかなり酸性に傾いており、『糖尿病性ケトアシドーシス』という病気でした。それで身体がしんどくなっているのだと思います。突然のことで驚かれるかもしれませんが、集中治療室での管理が必要です。内科の当直医を呼びますので、そちらの点滴室のベッドで横になって休んでいてください」と伝え、内科当直医に「先生、こんな時間にすみません。20代の女性、DKA(Diabetic KetoAcidosis:糖尿病性ケトアシドーシス)の方です。血糖は500台ですが、検尿でケトン(2+)、血ガスでpH7.2です。入院をお願いします」と連絡した。


「水を飲んでいるんです」と言われたときに、「精神疾患による水への欲求」だけでなく、「脱水」や「DKA」も、きちんと鑑別診断に上げなければならなかったのである。「重篤感がない」「精神疾患を持っている」「見た目に肥満のない若年女性」ということと、「深夜」という時間帯から「早期閉鎖バイアス」がかかっていたようだった。「採血をしましょう」と言って、血液検査をしておいて本当に良かった、と胸をなでおろした。


本当に修業中の症例だったが、「バイアスに要注意、特にしんどい時間帯は」ということと、「何かおかしいと思ったら、やはり検査はしておいた方がいい」という二つの教訓を学んだ症例であった。


ふっと思い出した次第である。

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