第521話 「四苦八苦」

私が勤務している病院では、基本的には入院患者さんは何らかの「治癒しない」トラブルを抱えていて、介護保険などの社会的資源を使って、あるいは医学的には「常に医学的管理を必要とする状態」から抜け出すことができないまま退院、転院していかれるので、「患者さんが良くなったーっ!」ということは多くはなく、患者さんの「解決困難」な問題に対して、日々「四苦八苦」しているのだが、今回の表題の「四苦八苦」というのはそういうことではない。


前述の患者さん、長男さんとの二人暮らしで生活をされていた。70代の長男さんと、90代のお母様の二人暮らし、である。このような家族構成となっていることには、何らかの理由があるのだろうが、そこを突っ込んでいくには、そうなっている理由を聞くべき「正当な理由」が無ければ、聞くことは難しい。


Key personの長男さんに、もちろん弟妹がおられ、入院時にはご兄弟に様々なお話をさせていただいた。ただ、一緒に暮らしていた長男さんと、別居されていた弟妹の方では、「お母様の寿命が尽きかけている」という事実の与える衝撃は異なるだろう。お母様が入院されて、長男さんは少し身体は楽になられたようだが、心の面ではずいぶん苦悩されておられた。


水曜日の訪問診療に回っているとき、在宅部の看護師さんから、「長男さんは『ずっとお母様のそばにいたい』と希望されているようです」と聞いた。しかし残念ながらCOVID-19の影響で、当院は現時点でも、「ご家族の付き添い」は解禁していない。これは「病院」としての決定なので、私がどうこう出来るものでもない。


そんな長男さんのことを考えていると、仏教で説かれる「四苦・八苦」が思い出された。「四苦」は「生老病死」であることは有名だが、八苦はこの四苦に加えて、「愛別離苦(愛しているのに別れなければならない苦しみ)」「怨憎会苦(恨み憎んでいる人に会わなければならない苦しみ)」「求不得苦(求めているのに得られない苦しみ)」「五蘊盛苦(五蘊:人間の肉体と精神)が思うようにならない苦しみ」が加わる。長男さんは、「愛別離苦」に苦しんでおられるのだ。つらいだろうと思っていると、一つの仏教説話を思い出した。その時にはエピソードだけで名前は思い出せなかったが、今、Google先生に聞いてみると「キサーゴータミーの説話」というらしい。


患者さんの家から家へと移動中に、看護師さんに話しかけた。


「今、〇〇さんのことを考えていて、昔聞いたことのあるお釈迦様のエピソードがあるんやけど」と言って話を始めた。


大切な自分の子供を亡くした母親(キサーゴータミー)が、何とかして子供を生き返らせてほしいといろいろな人に尋ね、「お釈迦様なら神通力で何とかしてくださるかもしれない」ということを聞き、釈尊のところにやってきた。彼女は釈尊に「何とかしてこの子を生き返られせて下さい」と懇願した。釈尊は「そのためにはケシの実が必要なので、もらってきてください。ただし、これまで一人も死人を出したことのない家からのものでないといけません」と女性に伝えた。


女性は必死になって、家々を回り、ケシの実を欲しいこと、その実は一度も死者を出したことのない家からもらわなければならないことを伝えた。当然その時代は「核家族」ではないので、家族は複数の世代から構成されている。当然死亡率も高いので、どこの家でも、誰かが亡くなっている。女性は家々を回っているうちにあることに気が付いた。「誰もが、大切な人を亡くし、その悲しみを抱えて生きている」ということに。


そしてその女性は、子供を失った悲しみを抱えながら、それでも前を向いて生きようと思い、釈尊の弟子となった。


という話である。


「先生、確かに長男さんの気持ちを考えたら、その話は心に届くかもしれませんね」と看護師さんは言ってくれた。そんな話をしながら訪問診療を終え、昼食を食べて、午後から設定されていた「病状説明」に向かった。


集まっているご兄弟に病状を説明。長男さんのお気持ちはわかるが、病院での付き添いは許可されていないこと、「一緒に過ごす」ということなら訪問看護師さんの手配や在宅酸素療法の機械はすぐに用意できるが、24時間、緊急呼び出しには対応できるとはいえ、長男さんがお世話をしなければならないこともたくさんあることなどをお話しした。


長男さんは本当に苦しそうに悩まれて、苦しそうに「決められない!」と吐露された。


私はご家族に、先ほどの仏教説話をお話しし、誰しもが「愛しい人と離れなければならない」苦しみを抱えていることをお伝えし、「長男さんの気持ちが定まるまでは、入院の状態で経過を見ましょう」と提案した。


「先生、すみません。よろしくお願いします」

「『すみません』なんて思わなくていいですよ。本当にお辛い時間を過ごされていると思います。とても大切なことなので、納得できるまで考えてください。ただ、その間にお迎えが来たときは、『それが寿命だった』とお考え下さい」


とお伝えして、ご家族とお母様の面会の時間を取ってもらった。


人の生死と向き合って仕事をするには、”Science”としての医学だけでなく、このような宗教的素養も必要なのだろう、と思う。ちなみにこの話し合いで、この仏教説話に一番感銘を受けていたのは、医療ソーシャルワーカーさんだった。「先生、いいお話、ありがとうございました」と感謝していただいた。



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