第520話 カリフォルニアから来た娘、空の向こうの孝行息子

土曜日に緊急入院してもらった、90代の女性。入院後の評価では嚥下障害も強く、経口摂取ができない状態であった。点滴をしようとしても、点滴を行なえる血管がないため、皮下点滴(おなかなどの皮下組織に点滴用の針を留置し、そこから輸液を行なう手法。晶質液(塩水、とか砂糖水など。一般的な点滴はいわゆる塩水と砂糖水の混合液)で500ml/日程度なら輸液が可能)で500ml/日の点滴で経過を見ている状態である。


症例対照研究や、二重盲検試験などを行なうのは倫理的に不可能なので、どうしても「経験則」に頼らざるを得ないところではあるが、私の経験でも、「緩和ケア」などの教科書でも、「終末期の患者さんには積極的な輸液を行なわない」とされている。


在宅で患者さんの看取りを行なう場合には、あえて点滴もせず、「口を湿らせる程度の水分でいいですよ。水で濡らしたガーゼで口周りや舌などを拭いてあげる程度の水分でよいです」と説明しているが、「入院で看取り」となると、いわゆる“The Daughter from California”の問題であったり、「正義感のある身内」から背後を切られる、という事が起こりうるので、本人に苦痛の極めて少ない、しかし傍目には「医療を行なっているように見える行為」である「点滴」を、トラブルを避けるために行なっている。


日本でもアメリカでも、やはり患者さんの終末期に起こりうる問題は共通していて、”The Daughter from California Syndrome”という名前でアメリカでは通用するらしい。ただし、当のカリフォルニアでは”The Daughter from N.Y./Cicago“と呼ばれているようである。


それまで、ご本人やご家族など、患者さんに近しい人たちの希望を確認し、トラブルなく穏やかに終末期を過ごされてきたのが、たまたまやってきた遠方に住む親族が「何でこんな状態で置いているんだ!」とその方針に大きく口を出し(だいたいそういう人は一族の中でも発言権の強い人、とか、声の大きい人)、それまでの「医師-患者関係」をめちゃくちゃにしてしまう事を指している。


1991年に米国老年医学界誌にこのような事例が報告された際に”The Daughter from California syndrome”と発表されただけであって、性別を制限するものでも、女性を貶める意図であったわけでもない、と明確にしておく。男性であれ、女性であれ、年齢が若かろうが年配であろうが、めったに合わない親族がいきなり「ワーワー」と騒ぎ立てて、これまで良好だった「医師-患者関係」を引っ掻き回す、という事を指しているだけである。ちなみに台湾では「空の向こうの孝行息子症候群」というらしい。英語では娘、中国語では息子となるのも面白いものである。


「正義感のある身内」の「身内」とは、自院の医療スタッフである。私が研修医をしていたころよりも、緩和ケア、看取りの知識が広がっており、「終末期」には、本人に苦痛がなければ、「医療的介入」を行なわず、身体ケアを中心に行っていくことが「標準」という感覚が浸透したように感じている(いや、そのような患者さんを主に見ている医療機関で働いているからそう感じるだけかもしれないが)。ところが、私が研修医をしていた20年ほど前は、なかなかそのような管理の仕方は少数派であったように記憶している(あるいは「救命」を基本的に重視する「急性期病院」という環境がそうさせていたのかもしれないが)。


このような現場では、本人の苦痛がないから、と言って「医療行為」を何もしなければ、一部のスタッフは「患者さんが亡くなりそうなのに、医者はなぜ何もしないんだろう!」と憤りを感じることがある(医者は「何もしない」のが「ベスト」と判断し、その旨指示も出しているのだが)。そしてそのスタッフが、家族に自分の考えを伝え、それがもとで「医師-患者関係」が悪化するのを、私の師匠は「正義感のある身内」に背後から切りつけられる、と表現していた。


閑話休題。そんなわけで、終末期に「医師ー患者関係」が悪くなるのは最悪である。という事で、そういう厄介ごとを避けるためにも「最小量の輸液」を行なうことにしている。


初期研修医時代、師匠が私たちに「点滴をすること」の「医学的」ではなく「医療的」な意味について教えてくださったことがある。


「点滴をするでしょ。そうすると、点滴を受けている本人も、それを見ているご家族も「あぁ、治療をしてくれているんだなぁ」と思います。という点で、「治療を行なっている」ことのアピールになります。また、点滴をすると、本人も、ご家族も「点滴が必要なんや。まだ治療が必要やねんな」と感じます。という点で、患者さんやご家族にとっての「鎖」ともなります。皆さんが点滴を行なうときには、もちろん「医学的必要性」を考えるのは当然ですが、先に述べたことを考えて、その利点、欠点を意識して「点滴」を行なってください」と指導を受けたことを覚えている。


ということで、”The Daughter from California”の問題や「正義感のある身内」の問題を予防するという点で、申し訳ないが入院中は少量の点滴を行なっている。健康保険では、1日500ml以上の点滴をしないと、「点滴」としてのコストが取れないため、「点滴路(チューブですな)」や「点滴用の針」にかかるお金を考えると、赤字になってしまうのである。500ml/日の点滴、というのは、よく使われる点滴1パックが500ml、ということと、コストの問題、両方が理由である。


教科書的には、「呼吸や皮膚から逃げる水蒸気量(「不感蒸泄」という)が約500ml/日程度、とされているので、理屈では、500mlの点滴は、呼吸で逃げる水分を補充しているだけ、なのであるが、それでもそうするのは、そのような理由もあるからである。


内容的には次に続く。

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