第513話 決まっているなら、許可を求めないでほしい。

毎週のことながら、土曜日は「特別な覚悟」で仕事をしている。というのも、出勤している医師が少ない中で、午前は診察、午後はワクチン外来を担当していて、いわゆる「労働基準法」に規定されたような「休憩時間」を取ることは極めて期待薄だからである。むしろ、毎週、「無茶苦茶でござりますがな」と内心思いながら仕事をしている。


昨日の土曜日も、いつもと同様に7時に出勤。白衣に着替えるとすぐに病棟の回診に向かった。私が入職時には6人いた内科常勤医がもうすぐ4人となってしまう。60床ちょっとの病棟数なので、入職時には、担当患者さんは10人前後だったのだが、今は15人を超えるくらいの患者さんを担当している。


患者さんが1.5倍になると、仕事量は1.5倍、ではなく3倍近くなる。というのは、回診人数も1.5倍、カルテ記載や処方箋記載も1.5倍、トラブル発生率も1.5倍、ご家族への病状説明も1.5倍となるので、ある意味指数関数に近いような増加率となる。


後期研修医時代、入院を担当している患者さんの数は、ときに30人を超えて、30人を超えると「全員」を間違えなく記憶するのはできなくなる、と書いたことがあったと思う。院内PHSに病棟から電話がかかってきて、患者さんの名前を言われても、「だれ、それ?」状態。いつも白衣のポケットに、担当患者さんのリストを入れていたが、単純に「どの病棟に誰がいるか」しか書いていないリスト(電子カルテなので、それは容易に出力できたので、それに簡単なTo Doリストをメモしていただけ)なので、「思わぬ患者さん」の名前を出されても思い出せないことがしばしばだった。


30人を超えて患者さんがいると、朝の回診に一人5分で回っても、150分、つまり2時間半はかかるわけである(もちろん病棟間の移動などを考えると、もっと時間がかかる)。回診で気になったことやすべきことなどを先ほどのリストにメモし、カルテを書くと、一人10分くらい(というのは、今後の方針などを考えるから)かけるとしても300分、5時間である。なので、30人以上の患者さんを抱えると、回診して、カルテを書き終えたら、私たちにはなぜか無関係とされる「労働基準法」の1日の仕事時間である8時間は目の前、ということになる。実際は、それに加えて、患者さんへの処置や、ご家族への病状説明、午前診や夜診、ER当直、日中の時間外当番などとその他の仕事も多く、てんてこ舞いであった。


今、15人なので、何とか7時から回診に回り、全員を診察して、カルテを書くのを、午前診、訪問診療開始までの2時間(医師は午前9時始業)で終わらせているが、今の外来関連の仕事を考えると、今の入院患者数が限界だろうと思っている。


さてさて、そんなわけで、昨日も頑張って患者さんの回診を終え、ぎりぎりで午前の診察に間に合った。


外来患者さんは、多くが定期受診の患者さんだが、それなりに健康診断の方、初診の方もお見えになる。健康診断は普通の人が思う以上に重労働である。というのは、


①書くものが多い(カルテ、健診事業部用の用紙、場合によっては提出用の診断書も)


②各検査の評価が手間である。

当院では即日の検査結果説明は胸部レントゲン、心電図のみであるが、どちらもまず「当日取ったもの」を評価する。当然「チラ見」ではだめで、胸部レントゲン、心電図とも手順に沿って、見落としのないように見ていく。必要なら、「計測」を行なう場合もある。

そして「当日のもの」の確認が終われば、「以前のもの」と比較する、という作業がある。「比較」なので、「前回」のものも手順に沿って評価していくことになる。そして最後に二つを比較して、新たな病変があるか、新たな異常があるか、ということを確認する。そうすると、ちょっと判断に困る胸部レントゲンなどは、読影で数分考えこむことも珍しくない。


③健診の問診表があれば、確認し、問診時に聞くべきことも考えておく。


というステップを踏んで、ようやく患者さんを診察室に呼び込むことができる。


「おはようございます。今日は「健診」でお見えなのですね。いくつか確認させてくださいね」と笑顔で声をかけてから、問診を行なう。


問診を行なうと、前もって記載してもらった「問診票」との齟齬や、「問診票」に書いていない「とても重要なこと」が分かることが珍しくない。内心、「きっちり問診票に書いてよ!」と思いながら、表情は笑顔で、「あぁ、それは大変でしたね。大事なことなので、問診票にも書いておきますね」と言って書き込んでおく。


そして身体診察。一通り診察した後で、胸部レントゲン、心電図の結果説明を行ない、「市民健診」なら「結果は市の方から郵送で返却です。精密検査の指示があれば、もう一度ご相談くださいね」と声をかけ、「職場などに提出用」のものなら、「診断書は受付でお渡ししますね」と伝え、「お疲れさまでした」と声をかけて、診察終了。その後、大急ぎでたくさんの書類に必要なことを書き込む。


ということで、健診の方も時間を取る。


「体調が悪い」と言ってきた患者さんには、丁寧な問診、身体診察を行ない、必要な検査を行なうので、さらに時間がかかるわけである。


そんなわけで、バタバタと患者さんを診察し、山盛りのカルテを片付けていく途中、午前10時ころだったか、医療ソーシャルワーカー(以下MSW)さんが申し訳なさそうに「先生…」と声をかけてきた。


時は3日前の水曜日、訪問診療の時に戻る。90代女性で、もともと当院に定期通院されていたが、「通院が難しくなった」ということで4か月ほど前から訪問診療を開始した方がいた。


寄る年波には勝てないのか、経過とともにどんどんと衰弱されてきた。長男さんが介護されておられ、あまり自宅に他人が入るのは好まない方だった。しかし、長男さんお一人での介護では、介護者が倒れてしまうとお話しし、訪問看護師さんが週に1回程度介入、となった。ただ、ご家族の希望で、これ以上の介入は断られた(もちろんご本人の状態からは、ヘルパーさんなど、もっと介入してほしかったのだが)。


その時の訪問診療では座っていても右に倒れそうになるなど、「自宅での生活」そのものが限界のように感じられた。このままでは数日のうちに亡くなってしまうかもしれない、という印象を受けた。また、主介護者の長男さんも「もう僕も限界に近いです」とおっしゃられた。


ご本人、ご家族ともに自宅療養が限界、あるいは、主介護者が体調を崩すなどで在宅での生活ができない場合に備えて、「レスパイト入院」(レスパイト:respite、小休止)という制度がある。「今の状態だと、お母様と共倒れになりそうだと思います。一度ゆっくり体を休めていただいた方がいいと思います。『レスパイト入院』という制度があるので、お母様には一時的に入院してもらってはどうでしょうか?」と提案した。


息子さんは、「う~ん」と悩み、その場で答えは出せなかった。「慌てて答えを出す必要はないですよ。もし入院の希望があれば、在宅医療部に連絡してください」と言って、その日の訪問診療を終えたのだった。


地域連携室のMSWさんは、「先生が訪問診療をされている〇△さん、先ほど、『今日からレスパイト入院をお願いしたい』と連絡がありました。先生、入院をお受けしていいですか?」と私に尋ねられた。


まじか?!確かに「レスパイト入院」の話はしたが、よりによって人手の少ない土曜日のこのタイミングか?カルテの溜まり具合を見ると、今日も外来は午後1時を回りそうな勢いだ。午後2時半からはワクチン外来が始まる。机の上には書くべき書類が数冊載っていた(昨日全部片づけたはずなのだが?)。「入院カルテ」に必要な項目を書いて指示を出すのには1時間近くかかるのだ。


「えぇ~っ!このタイミングでですか~!マジか~」とボヤく。

「先生、何とかなりませんか?」

「いや、僕が『レスパイト入院』を提案したから、もちろん診ますよ。でも、今のタイミングはキッツイです。なんでこのタイミングなんやろ~!」

「じゃぁ、先生、お受けしていただけるのですね」

「はい。もちろんです。それにこの時点で、僕が「ダメ~っ!」て言ったらシッチャカメッチャカでしょ。しょうがないですわ。書類は僕の机の上に置いておいてください。入院病棟が決まったら、病棟に『患者さんが来られても、書類が間に合わないかもしれない』と一声かけておいてください。患者さんのお見えになる時間が決まったら教えてください」


と伝えた。研修病院の時にも思ったことだが、「君がそうしなければ、周りはめちゃくちゃだよ」と明らかな状態で、「先生、どうですか」と聞くのはやめてほしい。いっそのこと、「レスパイト入院の希望が入ったので、入院カルテ、机の上に置いておきました」と言ってもらえれば、「はい」か「Yes」しか返事はないのだから。


研修医時代も無茶ぶりが多かったことは今となっては懐かしい。


「先生、病診連携室ですけど、これから☆×医院より、肺炎疑いで紹介の患者さんが来られます。診てもらって入院あげてもらっていいですか?」

「え~っ!今ICUにいて、先ほど紹介で入院した髄膜炎疑いの患者さんの腰椎穿刺をこれからするところですよ!」

「わかりました。それでは、狩野先生(私の師匠、内科部長)にお願いすることにします」

「またそんなことを言うて困らせはる。狩野先生に連絡が言ったら、先生から、「保谷先生、お願いが」ってまた私のところに連絡が来るんでしょ。それで「無理」って言ったら、「なんで断るんだ!」って狩野先生から叱られるのが目に見えているじゃないですか。はい、もういいです。診ますから!ERに患者さんが来たら保谷に連絡するよう伝えてください!」


というようなやり取りが多かった。内科の医局会で、病診連携室とのやり取りについて話題になった時に、レジデント全員から「どうせ自分が診ることになっているんだから、『診てもらっていいですか』と聞かずに『診てください』と言い切ってください。そしたら、返事は『はい』しかないので、悩まなくて済みます。『いいえ』と返事できないのに『どうですか?』と言われるのはつらいです」と申し出たことがある。


閑話休題。ただでさえ仕事が詰まっていたところにさらに大きな仕事がやってきた。さらに外来の速度をあげなければならない。「ヒーッ!」という気分である。


そんなときに、「先生、健診異常の方が来られました」と看護師さんがカルテを持ってこられた。カルテのポケットには「6/17、保谷Dr.外来へ」とメモが挟んであったが、私には何の話もなかった。カルテを確認する。5月に市民健診を受けられた時にたまたま私が診察した方だった。当市では2年に一度、市民健診で上部消化管内視鏡(ESD:おそらくE:esophagus(食道)、S:Stomach(胃)、D:Duodenum(十二指腸)を意味していると思われる)を受けることができる。なので、健診の際にESDの予約を取ってもらい、検査を受けてもらったところ、食道粘膜に異常があり、病理検査で扁平上皮癌との結果が帰ってきたので、病院側から連絡し、私の外来に来るよう指示されていたようだ。


本来なら、がんの病名告知は慎重に顔色をうかがいながらしたいのだが、溜まっているカルテと今後の予定を考えると、ゆっくりもしていられない。患者さんを呼び込み、


「先日の胃カメラで、問題のある結果が出たので、今日おいでいただきました(私が呼んだわけではないけど、というのは秘密)」とお伝えし、一緒にESDの写真を確認。「ここは食道ですが、この部分、周りと比べて、赤身も強く、ガサガサした感じがすると思います(食道がんの多くは扁平上皮癌である(食道粘膜が「重層扁平上皮」で構成されているため)。扁平上皮癌は、表皮の性質を強く持つ癌なので、病変の一部が角化し、皮膚の湿疹のようにガサガサした感じに見えた)。ここの部分の組織を取り、「病理検査」という顕微鏡での検査をしたところ、「食道がん」と診断されました。大きな病院で精密検査と治療が必要なので、ご紹介しますね。おうちは?あぁ、▽×町にお住まいなのですね。そしたら、☆〇総合病院が一番ご自宅から近いので、そちらにお手紙を書きます。」

「先生、私、これからどうなるのですか?」

「まず、この病気がどの深さまで進んでいるか、転移があるかどうかをまず調べます。転移がなく、表層にとどまっていれば、内視鏡での手術となります。ある程度の深さまで進んでいれば、内視鏡ではなく、外科の先生に手術してもらうことになりますが、そのところも含めて、調べてもらいましょう」


とお話しし、診察終了後に紹介状を書くこととした(診察中に書くと、その分診察が遅れるから)。土曜日なので、高次医療機関の予約も今日は取れないので、紹介状はあわてる必要はない。


と、必死に外来を進めていった。いつも最後の一人、二人は初診の患者さんで、検査など時間がかかる人が多い。6/17もやはりそのパターンだった。1人は3日前に急に後頭部に頭痛を自覚。その後から吐き気が続いている、とのことだった。頭痛は突然発症ではなく、肩がこるように20~30分ほどかけて徐々に痛みが強くなったとのことだった。話からはクモ膜下出血の可能性は低いが、頭痛があって吐き気がある、と言われると悩ましい。この方は、頭部CTと血液検査、トロポニン、静脈ガスを確認し、何か変なことが起きていないかを確認した。


もう一人は、以前から私の外来に来られている方だ。もともとは脂質異常症で通院されていた方だが、最近はメンタルの問題で来られることがほとんどである。他院で治療を受けておられるのだが、どうも主治医との関係性がよくないようで、私に話を持ってこられる。


本当に患者さんが「うつ」に伴う強い倦怠感で、「出勤できない」と困っておられた時には、一時的に休職の診断書を書いたり(専門家ではないので、2週間程度としたが)、精神科の主治医宛に、「患者さんが困っていること、当方から見ても抑うつの状態が強いので、対応をお願いしたい」と紹介状を書いたりしたが、「しっかり診てくれている感じがしない」と言われる。処方されている薬も、「抑うつ、適応障害」で症状が出てしんどい人に対する処方としては、かなり弱い印象(自分が飲んでいる薬と比較して)を受けて、確かに「いかがなんだろう」という気はしていた。


ただ、この方のメンタルの問題については、私が主治医となるのは「違う」と思っていた。患者さんの私の外来への期待、あるいは依存と言ってもよいのかもしれないが、それは強くなっていることを感じていた。このままではよろしくないと思い、ご本人とかなり(時には厳しい)やり取りをして、当院と連携している精神科クリニックに紹介、として決着をつけた。


頭痛の人は、注意してCTを見たがクモ膜下出血の所見はなく、血液ガス、トロポニン、院内至急項目の血液検査は特に問題なかった。両側の僧帽筋はカチカチになっていたので、緊張性頭痛と考え、対症療法薬を処方し、その後、前述の紹介状を書いて診察終了。やはり予想通り、13時まで外来は時間がかかった。


大急ぎで、外来中に病棟から受けた電話について、病棟に出向いて指示を出し、医局の自分の机に戻った。


レスパイト入院の方の「入院指示」書類と、そこに付箋が貼っているのを見つけた。「13:30入院です。外来診察をしてからの入院としてください」とのことだった。病棟の基準として、外来からの緊急入院がある程度必要なので、その対応は構わないのだが、何よりも「時間」が足りない。昼食なんて暇はない。大急ぎで入院指示を必死で記載する。普段は1時間近くかかる指示書きだが、20分くらいで書き上げた。そして残りの10分で昼食をかきこむ。こういう日々を繰り返しているから、「医者は早飯食らい」と揶揄されることになる。


とにかく時間に間に合い、外来で患者さんが来るのを待つ。時間通りにお見えになられる。診察受付の時に熱を測ったりするので時間がかかるのだが、その時間がもったいない。


受付前まで行って、「〇△さん、こんにちは。ちょっと入院して、体調を整えましょう」と声を掛けながら、簡単に診察を行なう。そして、ご本人は入院のための胸部レントゲン、心電図に回ってもらい、お子さんが全員そろっておられたので、病状説明。「老衰で予後は厳しく、今回の入院中に命を落としてもおかしくはなく、それは『寿命』と考えてください」と説明し、書類を書いてもらい、病棟に上がってもらった。病棟で、点滴の指示と内服薬の指示を作成し、週明けまでの指示はすべて終了した。時計を見ると14:15。もうすぐワクチンの時間である。トイレを済ませ、お茶を飲んで、もう一度外来へGo!


14:30から16時過ぎまで、COVID-19を接種する。患者さんを呼び込んで、体調の確認、胸部聴診を行ない、利き手と反対の腕の三角筋部にワクチンを接種。問診票に名前を書き、カルテにワクチン接種の可否と身体所見を軽く書いて終了。これを50人近く繰り返す。


私の本名は画数が多く、名前を書くのが本当に面倒である。「私」がワクチン接種を「可能」と判断した、ということが分かればいいので、「楷書」で「丁寧」に書く必要はない。ということでただでさえ汚い字が更に崩れてくる。「行書」や「草書」なんて習ったことがないので、「ただの」汚い字である。「型」をしっかり身に付けて、その型を越えたものであれば、「型破り」であるが、「型」を知らないので、「型なし」の文字である。


そんなこんなで、ワクチン接種を終え、また病棟に指示出しをして、医局に戻ると16:45だった。7時から仕事を始めて、17時までの仕事、ほとんど休憩もなく、今週も走り回った。


翌日が休日で本当に良かった。

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