第511話 一般内科で「精神科疾患」かと悩むとき

今の時代、「精神科疾患」については「操作的診断」と言って、各疾患に「診断基準」を定め、症状がその診断基準を満たすかどうか、という事で診断をつけている。このことについては、今となっては「古い医者」と言われてしまうのかもしれないが、「精神病理病態的」あるいは「呈している症状を全体として判断」して診断をつける精神科医にとっては、とっつきにくいものらしい。確かにそれはその通りであろう。


もともと「精神疾患」は、「正常」と「異常」の区別が明確に引けないものが多いと思われる。身体疾患であっても、例えば、「心筋梗塞」なら、心臓を栄養する「冠動脈」が閉塞し心筋がダメージを受ける疾患であり、「冠動脈の閉塞」の有無は明確に区別ができるので、心カテーテル検査を行なえば、明確に診断をつけられる。その一方で、「高血圧」は「血圧が高い」疾患であるが、ではどこからが「高血圧」か、という事については本来ボーダーラインはないのかもしれない。


現在、収縮期血圧だけで見ると、130未満は正常、130~140は「正常高値」と呼ばれ、「高血圧予備軍」と考えられており、140以上が「高血圧」となる。


これは、ある意味「人為的な要素」も加わっている。なぜ120,130,140と、区切りのいい数字になっているのか、本来人間の身体の現象を数値化するのに、「そんなに切りのいい数字になるのか?」という疑問がわいてくる。10進法の数字は人間の指が基本的には10本だから用いられているだけのことで、例えばコンピュータでは、0と1の組み合わせ(2進数)4ケタだと、0~15までの状態を表すことができるので、16で次の位に移るほうが自然である。という事でデジタルの世界では16進法を使うことが多い。


血圧の基準値、はもちろん臨床研究を基に出された数字であるが、その臨床研究のデザインが、血圧分類を10ずつずらして、疾患のリスク評価をしたのである。そういう点では元となった研究デザインに「人為的要素」が入っていたので、10刻み、という覚えやすいが、本質的には自然ではないものとなっているわけである。


という事で、高血圧の基準はある意味「人の手」でラインが決められているわけであり、本当の意味で、疾患と正常のラインというのはもやっとしか存在しないものだと思う。精神疾患もやはり同様であり、そのラインも本来もやっとしたものである。診断基準の多くに「症状によって、本人、あるいは周囲が通常の社会生活を営むことが困難」と入っていることからもわかることである。


少し脱線してしまった。昨日の午前の外来で、少しそのようなことを思い出したので、つらつらと書いてみる。


私の修業時代、初期研修を終え、私は内科の後期研修を修業した病院で継続して受けたのだが、そこでは、後期研修医は午前1枠、午後1枠の外来枠を持つことになる。「困ったときは別の、ベテランの先生に聞いてもいいよ」という事にはなっていたのだが、なかなか3年生(内科専門研修としては1年目)で「通常外来」を担当するのは難しい。


初期研修医の2年間は常にER当直をほぼ3日に1回のペースで担当していたので、「急性期の症状」(熱が出た、とか、おなかが痛い、など)を訴えて受診された方の対応は慣れている。


しかし、「血圧が高い」とか「糖尿病と健診で言われました」という方の管理については、手探り状態である。マニュアル本を読み、ガイドラインを確認したりして対応していたが、その当時のガイドラインは今ほど充実はしていなかった。


私が特に困ったのは「糖尿病の初期対応」だった。今ではガイドラインに「禁忌がなければ、メトホルミンから開始する」と書いてくれているので、迷うことはないのだが、そのころのガイドラインには、「初診の方の薬物治療はこれから」というようなことが全く記載がなくて、また、各Dr.も言う事が定まらずに苦労したことを覚えている。


そんなオタオタした外来を始めたばかりの6月頃だったと記憶している。外来に30代女性の初診の方が受診された。主訴は「何かおかしい」。いや、「何かおかしい」って、その気持ちはわかるが、その主訴から想定される疾患は何だ、と言われても何も思いつかない。途方に暮れたことを覚えている。とはいえ、患者さんが私の外来に受診されることが決まっている(受付で割り振られた)のでしょうがない。意を決して患者さんを呼びこんだ。


患者さんとそのお母様が入ってこられた。私の基本パターンである「今日はどうされましたか?」から問診を開始する。


「うちの娘、半年ほど前から、なんかおかしいんです」

「具体的には、どういう感じですか?」

「先生、今見てもらったらわかると思いますけど、生気はないし、呼んでもあまり返事をしないし、話しかけても、的を射ないようなことを言ってくるのです。いろいろなクリニックや心療内科にも受診したんですが、どこに行っても『分からない』と言われたので、こちらに来ました」


とのこと。まじか?!こっちはピヨピヨの3年生である。ただ、私以外の外来は、すべて各専門内科の部長外来となっているので、初診の方は私のところに来ざるを得ない。私にとっては試練である。しょうがない。


ご本人は、待合室で血圧やパルスオキシメーターの測定をされていたが、バイタルサインには問題なし。俯かれていて、まとっているオーラが何となくどんよりとした、確かに『何か変だ』と思う雰囲気だった。本人に尋ねる。


「今日はどうなされましたか?どこか具合が悪いところがありますか?」

「……怖い、です。……」

「あぁ、怖い感じがしているんですね。何か嫌なことが起こりそうな感じの怖さですか?」

「……はい、……」(←「世界没落体験」統合失調症の症状の一つ)

「あと、何か困っていることはありませんか?」

「あの、常に私、見張られていて、頭で考えたことも全部筒抜けになってしまいます」(←「注察妄想」、「思考奪取」、いずれも統合失調症の症状)

「あぁ、そうですか。それは心が疲れますね」


と会話して、お母様にお話しした。


「お話を伺いましたが、ご様子やお話の内容からは、やはり精神科で対応すべき病気だと思います。大きな精神科病院を紹介しますので、そちらの方でしっかり診察してもらい、治療を受けてもらいましょう」


とお伝えし、入院可能な精神科病院を病診連携室で探してもらうと同時に、紹介状を作成した。たまたまその日の外来枠が空いている、とのことで、すぐにタクシーで病院に向かってもらい、後日届いた紹介状では「陰性症状の強い統合失調症。入院加療を開始しました」とあった。どう考えても、第一に思いつくのはそれだろう(それだけ典型的だった)。なので「心療内科」の先生は、いったい何を見ていたのだろう、典型的な症状を呈していたのに、わからなかったのだろうか?と非常に不思議に思ったことがあった。


そんなこともあったかと思えば、ERでこんなこともあった。


救急隊からホットライン。60代の男性で、主訴は突然の興奮、幻覚が見えている様子。精神科病院からは受け入れ可能だが、内科的疾患の除外をしてから連れてきてほしい、との依頼があった。その時にERは私一人だけだった。


救急車が到着したが、本人はひどく興奮している。救急隊に話を聞くが、一緒に仕事をしていた同僚の話では、仕事中に徐々にいつもとは様子が変わってきて、だんだん興奮して訳の分からないことを言い始めた、とのことらしい。


救急隊からは「血液検査と、頭のCTで異常なければ精神科病院に連れていくことで話はついています」とのことだった。院内至急項目の採血指示と頭部CTを指示した。頭部CTは明らかな出血性病変、占拠性病変はなく、血液検査も問題なかった。


その結果を渡すと、「ありがとうございました」と言って救急隊は患者さんを精神科に搬送していった。


まだまだ私が青かったころの思い出だが、本当の意味で「内科学的評価」と考えれば、「異常薬物」の問題と、「脳炎/脳症」の除外が必須であった。当時は院内に緊急薬物スクリーニングキット(トライエージ)は置いておらず、興奮が激しかったので、頭部MRIを撮れる状態ではなく、腰椎穿刺もできそうにない状況だった(理由は忘れたが、人手がおらず、救急車をバンバン受けている病院なのに、その時は医師一人(私)と看護師一人しかいなかったように記憶している。このことは、内科医としてもう少し成長した時点でこの症例を思い出し、「あぁ、なんて不十分な評価だったのだろう」と後悔した症例だった。


昨日の外来の一番最後の患者さんは10代後半の男子。複数の食材にアレルギーがあるそうである。本人曰く、お酒や違法薬物は使っていない、てんかんや頭部外傷の既往もないとのことだった。


お母様の話では、前日、夕方にカップラーメンを食べたが、その成分に「アレルギー」を起こす「ゴマ」の成分が入っていたそうである。ラーメンを食べた後、気分が悪くなり嘔吐をしたとのこと。体調が悪くてそのまま自室に入って就寝した、とのことだった。

当日の朝、お母様が様子を見に行くと、本人は吐物の中で眠っているような状態だったと。揺り起こしたが、開眼したが言っていることが支離滅裂で非常に興奮しており、明らかに様子がおかしかったそうだ。お母様は救急車を要請し、15分ほどで救急隊が到着。その時には本人の興奮も落ち着いてきており、意思疎通もとれるようになったそうだ。救急隊からは「今の状態なら、救急車ではなく、近くの医療機関で診てもらった方が良い」と言われ(何で?)、救急隊は不搬送で撤収。経過を見ていたが、ずいぶん落ち着いてきたので、当院を受診した、とのことだった。様子がおかしかった時の本人の記憶を訪ねてみると「いや、その時のことは何も覚えていません」とのことだった。


診察時はバイタルサインは安定。お母様は「何となくいつもとは様子が違う」とおっしゃられていたが、ぼんやりした感じはなく、受け答えもしっかりしており、初対面であれば、「普通」と感じる状態であった。


「何で救急隊は不搬送で帰るかなぁ?」と腹が立った。おそらく出来事は午前8時前後だと思うので、救急車の受け入れには不利な時間帯ではある(当直帯と日勤帯の引継ぎの時刻)。とはいえ、話を聞くと明らかにおかしなことが起こっている。これを食物アレルギーとして片付けるのはおかしな話である。やはり何かおかしなことが起こっていたと思われる。


「すみません。うちのような小さな病院では、簡単な血液検査と、頭部のCTくらいしか検査ができませんが、当院でできる検査については確認させてもらいます」とお伝えし、身体診察。身体診察では異常なく、巣症状も認めなかった。


当院は残念なことに、違法薬物検査キットを置いていないので、本人の言葉を信じざるを得ず、その他、院内でできる検査を行なった。血液検査、尿検査は異常なし。頭部CTでは、何となく静脈洞交会の部位から、右横静脈洞のあたりが何となくhigh densityと見えなくもない、という印象だった。


「う~ん、本人は否定しているけど、横にお母さんがいるから、違法薬剤については何とも言えないなぁ。片側の横静脈洞に仮に血栓があったとしても、対側がバイパスになるだろうから、症状の原因になるだろうか?今落ち着いており、一過性の症状と言えばそうだが、お母様は「いつもとは何かが違う」と言っておられるので、やはり高次医療機関での精査が適切だろう」と考えた。暫定診断としては、てんかん発作、脳炎/脳症、違法薬物摂取あたりが鑑別診断だろうか?と考えた。精神科的疾患の可能性も考えたが、あまりそれらしくはないと考えた。いろいろと考え、大学病院の脳神経内科に「一過性の興奮と異常行動、現在もお母様は『いつもと様子が違う』とのことです。脳炎、脳症を含め精査加療をお願いします」と紹介状を作成し、「申し訳ありませんが、設備の乏しい当院ではこれが精いっぱいのできることです。大学病院でしっかり診てもらいましょう」とお伝えし、診察を終了した。


一体何だったのだろうか?救急隊が不搬送としなければ、何らかの解が見つかったのかもしれないが、うちでできるのはこれが精一杯である。


そんなこんなで苦労をしていた時に、少し昔の話を思い出した次第である。

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