第510話 それは「やりすぎ」ってもんだろう…

広末 涼子氏と鳥羽 周作氏の不倫騒動、一部の界隈ではワーワーとなっているようだが、加熱する報道の中で、個人的に「こんな報道はアカンやろ」というものがある。


それは、広末氏が鳥羽氏にあてて書いたメッセージをつまびらかに公にしている報道である。


不倫の是非は横において、いや、その是非を考えたとしても、誰かが、その想い人に宛てて書いた「想いの詰まった」きわめて個人的なメッセージ(「恋文」じゃないか!)を、どんな権利があって、どんな正義があって、それを公にできるのだろうか?


「国家転覆」を図る秘密結社の、「武装蜂起」のためのメッセージを入手したので明らかにする、という事とは全く違う次元の話である。


例えば、とある高校のとあるクラス。クラスメートのAさんとB君は恋仲だが、周りには知られたくなかったのでその関係を隠していた。ただお互いの気持ちをやり取りするために、周りにはわからないように「交換日記」をしていた、と考えよう。


そこにたまたま第3者で、お調子者のC君がその交換日記を見つけてしまい、大声で


「うゎっ!AとBがこっそり付き合ってたんだ!びっくり!二人の交換日記にはこんなことが書いてあるぜ!」と言ってその内容を読むのと、やってることは一緒である。C君のやったことは許されることなのか?と問いたい。


ネット上にもその文章は上がっており、私のよく使うニュースサイトでも記事になっていたので、文章は読ませてもらった。「内容が気持ち悪い」という批判もあるようだが、性的活動性の強い年齢で、特殊な関係で思いを育てている二人なので、ある程度文章に性的要素が含まれるのはしょうがない。これは不特定多数の人に向けて書いている文章ではなく、特別な「彼」だけに宛てて書いている文章なのである。恋する人が、愛しい人に宛てたメッセージだろう。「愛おしく思っていること」、良く伝わってくるよ。百人一首に含まれている恋の和歌を読んでみれば、この程度のレベルの和歌、珍しくもない。


それが仕事で、それで飯を食っているんだ、と言われれば返す言葉もないが、このようなプライベートな文章を公開するなんて、ちょっとやりすぎだろう、と思ってしまった。

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