第506話 ウグイスの鳴く夕暮れ

仕事を終え、昨日書いたように1番風呂に入れてもらい、風呂上りにこの文章を書いている。外からはウグイスの鳴き声が聞こえてくる。


ウグイスの鳴き声は、彼らが練習して「後天的」に身に付けるものだそうな。ここに越してきたばかりの時、ウグイスの鳴き声は「ホ~ッ、ホケキョ」とお尻に余分なものがついていた。この辺りのウグイスの方言なのだろう、と思いながら聞いていたことを覚えている。


今も、外からはウグイスの鳴き声が聞こえてくるが、「ホ~ッ、ホケキョ」と、お尻ではなく、鳴き声の真ん中に方言が入っているようだ。


最近書いたように、私の実家は大きな川の氾濫原、いわゆる平地であった。しかも地域の区分は「準工業地域」に指定されていた(周りにたくさんの倉庫群があった、というのはそういうことである)。そのようなところにはウグイスは来ないのだろう。


子供のころには、まだ周りに田んぼがたくさんあって、水路にはカブトエビがたくさん、アマガエルもトノサマガエルもたくさん、そして、水路の中でヤゴがたくさん育っていたのだろう。トンボもたくさんいた。目の前の市営グラウンドの草むらには、ショウリョウバッタがたくさんいた。


一度だけ、めちゃくちゃ大きなショウリョウバッタを捕まえたことがあった。体長20cmは超えていただろうか?虫かごには入りきらないような大きさだった。小学3年生くらいのころだったので、夢や幻ではないと思うのだが。


昆虫好きではなかったので、標本をつくる、なんてことは考えもしなかったのだが、その数年後か、何かの科学の本で、「ショウリョウバッタは大きくなってもこれくらい」という記事を読んだのだが、それを読むと、どう考えてもあの時のショウリョウバッタはその記事の大きさを超えていた。今までいろいろなものを「あぁ、取っておけばよかった」と思うことがあったが、あのショウリョウバッタもそうであった。


先に述べたとおり、家の周りには田んぼが多かったせいか、スズメもたくさんいた。朝になるとチュンチュン、夜になるとゲコゲコと、まぁそれなりに自然は残っていた。今は、田んぼはすべて住宅や倉庫、物流センターに変わっていて、多分、カエルも、カブトエビも、トンボもいなくなっているのだろう。


しかし、子供のころ、自宅や学校への通学路など、身近なところで本物の「ウグイス」の鳴き声は聞いたことがなかった。「マイコン少年」だった私や友人が、時に大阪市内の日本橋の電器屋街に遊びに出かけたときに、電子音で作られた「ホー、ホケキョ」を聞くぐらいであった。


今は少し高台に暮らしている。周囲には古くからの天神さんや、お寺さんが持っている「山?」があり、少しばかりだが、「森?」らしきものが残っている。そのためだろうか、よくウグイスの声を聴く。逆に、田んぼがないので、スズメはあまり見かけない。市内中心部で見かける「カラス」たちは、この辺りに帰ってくるのだろうか?


恥ずかしいことに「理系」の人間、しかも分子生物学などを学んだ身でありながら、(いや、だからか?)「動植物」や「昆虫」の名前はからっきし駄目である。前職場の院長先生は、大阪市内、都心部の育ちでありながら、非常にその辺りが強かった。傍で聞いてて、うらやましい限りであった。私は、中途半端な「都会人」である。


なんてことを、ウダウダと書いてしまった。このようにウダウダと書くのも、また一興である。

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