第505話 夢(寝ているときに見る方)について思う事
私は眠っているとき、夢を見ていることが多いようだ。研修医時代~診療所時代は布団に入ってすぐに意識消失、朝まで意識消失状態のまま、という事が多かった。最近ネットなどでよく見かける言葉だが、「布団に入って5分以内に入眠する人は、『入眠』じゃなくて『気絶』」らしい。そんな時期もあったよなぁ、と思うが、最近はそこまで一気に「気絶」することは少なくなった。
仕事がしんどかったころは、「仕事をしている夢」を見ることが多かった。診察机の横のカルテ置き場にどんどん患者さんのカルテが溜まっていき、待合室からは物騒な声も聞こえる中、必死に外来を進める夢や、超重症患者さんの対応で、「こんな重症な人、ここでは無理~!」と内心叫びながらなんとか転送にこぎつけて、救急隊を見送る、そして目が覚める、という顛末である。
前日も仕事をしてくたびれているはずなのに、夢の中でもやはり仕事をして、夢の中の仕事でへとへとになった時点で目が覚める。「あのバタバタが夢だった」というのは、結構堪える。何せ、それから同じことをするために職場に向かうわけである。疲労感は2倍。疲れをとるために寝たのか、疲れるために寝たのか、訳が分からない。それだけ精神的に追い詰められていたのだろう、と今になって思う。
時に「予知夢」を見ることがある。が、あまり役には立たない。デカい予知夢なら「はいはい」で流されるし、個人的な小さな予知夢なら、それはそれで「はいはい」でおしまい、である。「予知夢」が役に立ったことはない。それはそれでよいのだろう。
どうでもいい夢や、解釈不能で支離滅裂な夢も見るが、まぁ夢ってそんなものだろうと思う。
心に堪えるのは、「かつて恋した人」が出てくる夢である。私は「モテない君」だった(今もそう)ので、「かつて恋した人」を嫌いになったことがない。また、男性は「終わった恋」を引きずり、女性は「新たな恋は上書き保存」と言われることもあるが、やはり、自分の足元を見ると、過去の思い出が足首に繋がれたチェーンの先にくっついていて、さながら「思い出」という重しにとらわれた「囚人」のようにも感じてしまう。
なので、「かつて恋した人」が出てくる夢を見ると、夢の中では、想いは届かなくとも彼女と過ごしている時間がとても幸せで、しかしながら目が覚め、現実に戻ると「それは叶わぬ夢」という現実に直面し、心に残った切ない想いで深く「はぁっ」とため息をつく羽目になる。
時には仕事の夢でへとへとになり、時には、現実を見て「あの夢は、このことか!」と驚き、時には、朝一番から切な~い気持ちになる。
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